「囲碁の図が貧相に…」 大竹英雄名誉碁聖が引退 今後は全国行脚で囲碁普及活動へ |
【2021年12月17日(金) 産経新聞(伊藤洋一)】 名人4期、十段5期など歴代5位のタイトル獲得48期をほこり日本棋院の理事長も務めた大竹英雄名誉碁聖(79)が現役引退を表明した。通いなれた日本棋院東京本院(東京都千代田区)での会見で大竹名誉碁聖は、「頭に思い描く絵が、盤上に表現できなくなった」と引退の理由を説明した。「テレビカメラがあるとは思わなかったよ。あまり得意じゃないなあ」と笑いながら始まった15日の引退表明会見。「9歳の12月のとき、木谷先生(実九段)のところに入門して丸70年。多くの方に恵まれた。碁盤に向かったとき、出てくる(囲碁の)図が貧相になってきた。来年80歳になる前に失礼しようかと。11月あたりから家内には相談していた」と胸のうちを明かした。9歳のとき、地元・北九州市を訪れていた木谷実九段の指導碁を受け才能を見いだされ、単身上京、内弟子になった。鍛えられ昭和31年に入段を果たし、2171対局(1319勝846敗5持碁1無勝負)を積み上げた。プロ2、3年目のころには「汗水たらして働くのが、本来の姿ではないのか」と悩み一時、地元に逃避したこともあったというが、ファンの応援に支えられ65年間のプロ人生を駆け抜けた。初めて七大タイトルを獲得したのが44年の十段戦。55年からは碁聖6連覇で名誉称号を獲得するなど長く第一線で活躍し、形を重んじる華麗な打ち回しは大竹美学≠ニ呼ばれた。53年の名人戦で激突した林海峰(りん・かいほう)名誉天元とは誕生日が6日違いということもあり、常に意識してきた。「私が悪ならリンさんは善。なくてはならない存在。(先に引退して)尊敬するリンさんを裏切った形になってしまって…」と竹林(チクリン)時代を築いた盟友に感謝した。会見直前に報告しようとしたが、留守番電話になっておりつながらず。林名誉天元は日本棋院を通して「とにかくびっくり。もう本当に寂しい。院生(プロ棋士養成機関)時代から入段も1年違いで、ずっと一緒だったので。寂しい限りです」とのコメントを出したほど。平成20年12月から24年6月まで、日本棋院の理事長も務め、組織の公益財団法人化に尽力した。一方で、自身が30〜40代だったときに日本は世界一の強豪国だったが、中国、韓国に後れを取った。「日本では棋道(きどう)というだけあって、道をたずねる部分がある。単なる勝負の世界なのか、(対局者)2人で作品をつくっていくものなのか…」と、競技か芸術かの結論を出せていないという。13歳でプロ入りした大竹名誉碁聖は会見後、史上最年少で入段した12歳の仲邑菫二段から花束を渡され、照れることしきり。今でも深夜から朝方にかけて、プロ棋戦の対局棋譜を並べるなど、囲碁好きであることに変わりはない。「勝ち負けだけではなく、盤をはさんで会話できることが囲碁の魅力。こんなすてきなゲームはない。さいわい頭と口は悪いが、体は元気。黄門さまじゃないけど、助さん格さんをお供に、全国行脚で囲碁の楽しさを伝えたいですね」。囲碁人生はまだまだ続く。
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