囲碁界大激震…「AIソムリエ」関航太郎20歳が史上最速でタイトル獲得できた“独自すぎる研究法”とは?《秋篠宮悠仁さまと芋 |
【2021年12月30日(木) Number Ex(内藤由起子 = 文)】 井山裕太五冠に令和三羽ガラスの一力遼九段、芝野虎丸九段、許家元十段の3人が挑む。これがここ2、3年の囲碁界の構図だった。しかしこの年末に大激震が走った。三羽ガラスの中でも打倒井山の一番手とみられていた一力が、20歳になったばかりの関航太郎に天元のタイトルを奪われたのだ。一躍スターダムにのしあがった関航太カ天元、ちょっとふつうの棋士とは違うのだ。囲碁界では、タイトルを獲得するのはもちろんだが、まずは、三大棋戦(棋聖戦、名人戦、本因坊戦)でリーグに入ることで、一流棋士と呼ばれる。棋聖戦Sリーグ、名人戦リーグ、本因坊戦リーグは「黄金の椅子」と呼ばれ、棋士の目標のひとつとなっている。ちなみに令和三羽ガラスの3人はすべてのリーグに在籍している。
プロ入りから史上最速でタイトル獲得 関は昨年、新人王戦で優勝し、一躍名を全国区にしたが、ほかに目立った活躍はなかった。棋聖戦ではもっとも下位のCリーグに在籍していたが、陥落。名人戦も本因坊戦も予選で敗退している。そんな関が一転、天元戦では大暴れしたのだ。まず、挑戦者決定戦で芝野虎丸王座(当時)を破り、周囲を驚かせる。そして、一力遼にも互角かそれ以上の力を出して倒し、史上最速(プロ入りから4年8カ月)でタイトルホルダーとなった。リーグに一度も在籍したことがなくて(七大)タイトルホルダーになったのは極めて珍しい。なぜこんな下剋上のようなことが起こるのか。
「大舞台では負けない自信があった」 それは関が大きい舞台ほど集中力が増し、実力を発揮するタイプであることに尽きるだろう。「新人王戦のときも、(決勝の)相手は本因坊リーグに入って活躍している佐田篤史七段で僕はただの三段。たいした実績もなかったのですが、当時の棋士人生で一番いい碁が打てました。自分の碁を多くの人に見てもらえるのが嬉しくて」。昔から大きな舞台ほどうまくいくイメージがあるという。天元戦も「対局前から自信を持って臨めました。一力さんとは明らかに実績、実力で劣るのはわかっていました。しかし大舞台では負けない自信があった」というのだから。関が他のプロと大きく違うのは、AIとの付き合い方だ。多くの棋士は、自分の打った碁をAIにかけて、その手がよかったか、何がよかったかを反省する。関が好きなのは、AIどうしの対局を見ていることだという。そんなことをずっとやっている棋士は、ほかにきいたことがない。AIの打つ手は人間と違ってストーリーがわかりにくく、見ていて面白さはなかなかわからないのだが。「純粋に、強い者の碁が見たいのです。深みのある碁を見て吸収したい。理解するのが難しいので、理解できるようになるとおもしろいですよ。AIの手を予想して、当たったときは一番気持いい」と関。また、「人間はどうしてそう打ったか教えてくれるかもしれませんが、ウソかもしれません。AIは入力すればいいのでAIのほうがききやすい」という。
関は「AIソムリエ」と呼ばれるようになった いつしか関は「AIソムリエ」と呼ばれるようになった。独自の研究方法で大きく花が開いたのだ。関が囲碁と出合ったのは5歳のとき。「外で鬼ごっこをするような活発な子どもで、誰とでも仲良くなる性格。クラスの中心にいるタイプでした」と関。当時はピアノ、柔道、水泳、サッカーなどの習い事をしていた。祖父が囲碁好きで遊んだこともあったし、親が「囲碁は頭にいいから」と習い事に加えた。小学1年のとき、通っていた「新宿こども囲碁教室」を主宰する藤澤一就八段に「プロを目指さないか」と声をかけられた。プロに向いているかどうか。藤澤の判断基準は(1)集中力が高いかどうか、(2)本人が碁が好きか、(3)親が協力的か(送り迎えなどできるか)の三点だという。小さいころから鍛えて、世界で戦える棋士を育てたいという目的で、このとき初の試みとして「6歳でプロを目指すグループ」を作った。白羽の矢が立ったのが、まだ級位者だった上野愛咲美(若鯉杯・女流棋聖)、広瀬優一(五段)、そして関の同級生3人だった。藤澤「関は走り回ったり、うるさくしたり。落ち着きのない男の子でした。ただ、ときどきすごい集中力を見せる。これほどの集中力の持ち主はなかなかいません。そのなかで、進学せずプロになるまで強くなるのは珍しい。関の戦いのセンスは素晴らしく、それは今も変わりません」
秋篠宮悠仁さまと一緒に芋掘りをしたことも これまでの指導者は、落ち着きのない子はそれだけでプロには向かないと判断して切り捨てる傾向にあった。しかし藤澤は「落ち着きがないのは、年齢がいけば直る。でも放っておくと強くはならない。落ち着きが出てから育ててもその時点で手遅れになります。最初はスタッフが頑張って面倒をみていました。関は中学生くらいになってようやく落ち着いてくれました」。関は、幼稚園から国立のお茶の水女子大学附属に通っていた。小学6年のとき、小学1年だった秋篠宮悠仁さまと一緒に芋掘りをして、仲良くなったこともあったという。勉学をして身を立ててもらいたいと親は思っていたことだろう。しかし本人がプロを目指すことになると、「藤澤先生にお任せします」と、子どもの気持を尊重した。小学3年で(プロの養成部門の)院生に入ると、土日は研修手合いがある。高学年になると給食を食べると早退して道場に通うようになる。これは、プロを目指す多くの子どもが送る生活パターンなのだが、教育熱心な厳しい学校からは「運動会に出られないとはどういうことか」「そんなに早退するなんて」と、親が怒られていたそうだ。小学6年のときに、「ワールドユース選手権」で日本人初の優勝を果たすと、学校からは「自由にしてもらっていいです」と、何も言われなくなった。このときから、大舞台で実力を発揮していたのだ。最近の若手棋士はおとなしく優等生タイプが多い。そんな中、関は「やんちゃ」とよく表現される。子どものころからの活発な性格のうえ、「ふだんは素直な好青年なのですが、練習碁でも負けると面白くない表情をもろに出すのですよね」と、同じ研究室の先輩棋士。昭和時代の棋士ではよくあるタイプだったのだが、令和の若手では珍しく見える。「囲碁にかける気持が熱く、負けず嫌いで練習でも勝ち負けにこだわっているのでしょう。僕から見るとかわいい後輩なのですが」と関の姿を好意的にとらえる棋士も多い。師匠の藤澤も「勝負師ということですよ」。勝ってナンボの世界。個性を出して自分の芸を見せるのが棋士だ。
「思った以上に厳しくて毎日実力不足を感じる」 「タイトルは獲れましたけれど、実力不足は痛感していて、もっとレベルアップしたい」という。タイトル獲得直後から、インターネット対局で中国韓国など世界のトップ棋士から対局依頼が来るようになったという。以前はリクエストしても叶わなかったのだが、一夜で状況が一転した。「思った以上に厳しくて毎日実力不足を感じています」。世界のトップとの距離感がよく見えるようになった。今後の課題として、「予選など下のほうでも集中力を高めて挑めること」を挙げた。自分ではどの碁も重要で全力で打っているつもりなのだが、勝率がはっきり違う。今後直していきたいという。また、関は「もともと世界戦で頑張りたいという気持が強い」。藤澤の「世界で戦える棋士」という目標は、まだ道半ばだ。タイトルホルダーになって、世界戦への出場機会も増える。世界戦で関の活躍は大いに期待できるだろう。大きな舞台ほど力が出せる関にとって、世界戦はまさにもっとも得意な場所になるはずだから。
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