1万局に1回?本能寺の変前夜に出現の「三コウ」、出雲のプロ棋士が手順を発見 |
【2022年2月4日(金) 読売新聞オンライン(中村申平)】 1582年にあった本能寺の変の前夜、織田信長の御前であった囲碁の名人対局で、「不吉の前兆」とされる「三コウ」と呼ばれる珍形が出現した――。直後に信長が命を落としたことと結びつけられ、今に伝わる逸話だ。ただ、途中まで記された2人の対局とされる棋譜の手順では三コウは確認できない。「逸話は創作だった」ともされる中、島根県出雲市のプロ棋士が、三コウが発生するまでの手順を見つけた。囲碁の日本棋院によると、三コウは、盤上の同じ場所で互いに際限なく石を取り合うことができる状態で、ルールでは対局者同士の話し合いで無勝負になる。1万局に1回程度しか出現しない珍しい現象とされる。三コウまでの手順を見つけたのは、出雲市の桑本晋平七段(49)。囲碁の事典編集にも携わり、古い棋譜の研究を続ける。2015年頃から129手目以降について研究を始め、19年、就寝中に突然、盤面が動き出したという。「利玄の無念が乗り移った」。その後も次々に手が浮かび、159手目でついに三コウが出現。複数の棋士からも「合理的で説得力がある」とお墨付きを得たこともあり、20年5月に日本棋院が発行する囲碁の専門紙で手順が紹介された。桑本七段は「実際にこの手順だったのかどうかは分からない」としながらも、それまで想像の域を出なかった逸話の根拠の一つを示せたことに「真実であれば夢が膨らむ」と話す。「『火のない所に煙は立たぬ』という気持ちで研究を続けた。三コウという神秘的な体験ができたことに、2人が喜んだのでは」。古碁に詳しい福井正明九段は「棋譜自体の真偽が不明で、逸話は後付けされたという可能性は変わらない」と前置きした上で、「桑本七段の論理的な考え方と努力には敬意を表したい」とコメントしている。本能寺であった信長の御前対局に挑んだとされる名人は、信長、豊臣秀吉、徳川家康に囲碁を教えたとも伝わる本因坊 算砂さんさ と、本能寺の僧・ 利玄りげん 。ファンの間で三コウの逸話とともにライバル関係が知られる2人だ。勝敗がついていない128手までを記した2人の対局とされる棋譜が残る一方で、三コウの逸話を裏付ける史料はなく、算砂が優勢のまま勝ったとする説や、2人の対局自体が本能寺ではなかったとする説まである。
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