菊池康郎
きくち やすろう
Kikuchi Yasuro

1929年8月20日生れ

東京都出身
3歳で碁を覚える。小学生の頃は日曜日に碁会所に通う。昭和26年第1回大学リーグ戦10連勝で個人優勝。専修大学4年生の時、月刊「囲碁」のプロアマ2子局でトッププロ相手に10連勝。昭和32年アマ本因坊戦初優勝。第14回世界アマ選手権戦優勝。昭和36年初めて訪中。昭和50年アマ研究団体「緑星会」設立。昭和54年「緑星学園」設立。国内外を問わず後進を育成。
棋風:
揮毫:

読売新聞「岡目八目」 写真
【2006年2月20日 読売新聞「岡目八目」(菊池康郎)】
私は昭和4年生まれで今年の8月に喜寿(77歳)を迎え、碁暦は74年になります。つまり碁を覚えたのはが3歳のときのようです。当然、私には記憶がありませんが、父(武順)がそう言ったのを覚えています。父は東京・蒲田に住んでいましたが、下手の横好きでアマ初段くらいでしたか。碁敵を自宅に呼んでは碁会をやっており、見よう見まねで自然に覚えたようです。
物心ついた5〜6歳の頃、昭和10年頃といえばまだ子供が碁を打つという時代ではなく、よく一人碁を打っていました。黒、白を一人で打ち、Aさん、Bさん…と想像しながら、トーナメント表などを作って一人で遊んでいたのです。私は体が弱かったので、母親が心配して「表で遊びなさい」と追い出すのです。友だちと鬼ごっこや隠れん坊をするのですが、ちっとも面白くない。こっそり帰ってきては押入れに入って一人碁です。ところがパチリパチリと音がしてばれてしまいます。そんな私を見て、父も母も「この子はよほど碁が好きなんだ」と一人碁を好きなようにやらせてくれました。
小学校に入ると、神田の古本屋巡りです。一軒一軒覗いては「語の本、ありますか?」。そんな中で和綴じの打ち碁集を手にしたときの喜びは忘れません。何回も何回も並べているうちに本がボロボロになってしまうほどでした。碁会所通いを許されたときの嬉しさも忘れられません。日曜日だけでしたが、午前中からお弁当を持って夜9時、10時まで打ち続けです。碁会所があると聞くと無性に行きたくなり、近隣の碁会所はほとんど行きました。あるとき、こんな私を見て、席亭さんが「君はプロになりたくないか?」というのです。プロがどんなものか知らない私はチンプンカンプン。配管工事の会社を経営していた父は囲碁のような非生産的なことを職業にすることは絶対反対でした。「生涯アマチュア」はこの頃から定められていたのかもしれません。

【2002年11月23日 朝日新聞「B on Saturday」(学芸部・荒谷一成)】  
囲碁のとりこになった小学生が、棋士に成長する漫画『ヒカルの碁』(少年ジャンプ連載)が人気だ。ヒカルみたいな少年たちが、実際に研鑚(けんさん)を積む道場が東京にある。菊池康郎(きくちやすろう)(73)が主宰する緑星(りょくせい)囲碁学園だ。
「一流棋士の証明」といわれる囲碁の名人戦リーグ(朝日新聞社主催、9人)に、2人の学園生が名前を連ねている。前碁聖の山下敬吾(けいご)七段(24)と、前NEC俊英戦優勝者の溝上知親(みぞかみともちか)七段(25)だ。
菊池は世界アマ囲碁選手権戦での優勝をはじめ、国内のアマ囲碁名人に最多の9回就いた有数の現役アマ強豪である。アマがプロを育てるのも異例なら、52歳まで新日鉄のサラリーマンだった経歴も異色だ。
緑星囲碁学園は、東京の中野区と世田谷区に教室がある。山下は北海道旭川市の小学2年のとき、囲碁の小学生名人になり、3年生で学園に入った。高校数学教師の父親を旭川に残し、母親らと上京した。史上最年少の名人だったから、「都会の腕自慢たちと切磋琢磨(せっさたくま)すれば、ぐんぐん上達するはず」と期待された。ところが山下は1年近く、足踏み状態だった。
学園では対局したり、プロの新旧の打ち碁を並べたり、詰め碁を解いたりで腕を磨く。そんな山下に、菊池は当初、特段の指示はしなかった。旭川では、碁会所で打つほか、自宅トイレにまで張ってあった詰め碁を解くなど、課題を与えられて勉強してきた。菊池は思った。「このままでは一流になるのは無理だ」
1年ほどたって、菊池は初めて諭した。「自分でやる気にならなけりゃ、ダメなんだ。人にいわれた通りに打つのでは『借り物』だからね」。この言葉を山下は覚えていない。だが、負けず嫌いの性格に火がついたのか、これを機に頭角を現し始める。一昨年に初タイトルの碁聖をとり、昨年は名人戦リーグ入り。今月14日には3大棋戦の一つ、棋聖戦に初名乗りをあげた。
溝上は今月、次期名人戦リーグ入りを果たした。溝上も長崎県佐世保市の小学6年で小学生名人になったが、一人っ子でおっとり型。学園では常に控えめだった。中学生で学園のハイキングに出かけたとき、菊池が命じた。「列の先頭を歩いてみろ。トップになるってのは、みんなの前に出ることなんだ」
「囲碁を通じて人間形成を図る」がモットーの菊池流は、技術の伝授よりも前に、自主性を身につけることに心を砕く。学園生160人は、伸び盛りの小学生から20代が中心だ。プロになっているのは山下を筆頭に17人。トッププロ養成だけが目的ではないが、能力ある子供に頂点をめざすよう指導する。
菊池はサラリーマン時代、囲碁だけでなく、賭けマージャンにも凝っていた。東京から九州まで出かけて雀卓(じゃんたく)を囲んだこともある。「泥沼の裏街道を歩いていたんです。その私が中年になって、『はっ』と気づいた。自分を生かす本当の道は囲碁なんだと」
一筋の道に打ち込む素晴らしさを、子供に伝えたい。核にあるのは、「何事も自分で一生懸命に向かわなければ、モノにならない」という確信だった。学園が産声を上げて23年目。囲碁界で際だつ一流棋士輩出機関だった木谷(きたに)道場を、しのげるのか。「ようやくツボミがついたところ」と言いつつ、山下らと「天下取り」を狙う。=文中敬称略
〜キャリアプロのひとこと〜
短い言葉で的確に
大事なことを「子供にはわからない」という人がいる。しかし、それはわかりやすい言葉で伝えていないからではないか。子供の素直な心は受け入れる力も大きい。もちろん頭ごなしに「しっかりやれ」と言うばかりでは、考え方も行動の仕方もわからない。そんなときにキーワードが重要になる。「列の先頭を歩いてみろ」。短い言葉で的確に伝えれば、子供だからこそ素直にわかることがある。(キャリア・コンサルタント 本田勝裕)