王立誠
オウ リッセイ
Wang Li cheng
ワン リー チェン
1958年11月7日生れ

台湾南投市出身
加納嘉徳九段門下。1971年来日。1972年入段(13歳)。1973年二段。1975年三段。1976年四段。1978年五段。1981年六段。1982年七段。1985年八段。1988年九段。門下に張豊猷。
棋風:変幻自在で柔軟な打ち回しを得意とし、地に辛く、勝負強いシノギの力戦派。相手に急所を与えない、掴み所のない碁。早碁に強く、ニックネームは「早碁の王様」。
揮毫:雄心、王道
王立誠著作集
タイトル獲得数:22個(うち世界タイトル:2個)
対局日棋戦名年齢コメント
2005年1月(1回)中環杯準優勝48歳
2004年(42期)十段47歳4連覇
2003年(41期)十段46歳
2002年(40期)十段45歳
2002年(26期)棋聖44歳
2001年(39期)十段43歳
2001年(25期)棋聖43歳
2000年(48期)王座42歳
2000年(22期)鶴聖42歳
2000年(2回)春蘭杯優勝42歳
2000年(24期)棋聖42歳
1999年(47期)王座41歳
1999年(21期)鶴聖41歳
1998年(46期)王座40歳
1998年(2回)LG杯優勝39歳
1997年(44期)NHK杯優勝38歳
1995年(43期)王座36歳
1995年(1期)JT杯優勝36歳
1994年(1期)アコム杯優勝35歳
1993年(15期)鶴聖34歳
1989年(11期)鶴聖30歳
1983年(14期)新鋭トーナメント戦優勝24歳
1981年(6期)新人王戦優勝22歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=17勝29敗(対韓国:8勝17敗、対中国:4勝7敗、対他:5勝5敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2008.04.14第21回富士通杯第2回戦劉星七段(中国)
2008.04.12第21回富士通杯第1回戦エドゥアルド・ロペス(南米)
2007.08.12第3回中環杯1回戦朴永訓九段(韓国)
2006.05.03CSK杯日本戦山下敬吾九段(日本)
2006.05.02CSK杯韓国戦朴永訓九段(韓国)
2006.05.01CSK杯中国戦丁偉八段(中国)
2005.08.16中環杯八強戦羽根直樹九段(日本)
2005.08.14中環杯第1回戦朴永訓九段(韓国)
2005.05.16LG杯第1回戦朴文尭三段(中国)
2005.05.03CSK杯日本戦羽根直樹九段(日本)
2005.05.02CSK杯中国戦周鶴洋九段(中国)
2005.05.01CSK杯韓国戦李世石九段(韓国)
2005.01.15中環杯準決勝戦朴永訓九段(韓国)
2005.01.13中環杯準決勝戦李昌鎬九段(韓国)
2004.09.18中環杯八強戦加藤正夫九段(日本)
2004.09.16中環杯第1回戦趙治勲九段(日本)
2004.05.20LG杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2004.05.18LG杯第1回戦゙薫鉉九段(韓国)
2004.04.20応氏杯第1回戦彭筌五段(中国)
2004.03.23CSK杯日本戦山下敬吾九段(日本)
2004.03.22CSK杯中国戦兪斌九段(中国)
2004.03.21CSK杯韓国戦劉昌赫九段(韓国)
2003.12.29春蘭杯第1回戦宋泰坤六段(韓国)
2003.10.23農心杯朴永訓三段(韓国)
2003.09.06テレビアジア杯周鶴洋九段(中国)
2003.09.05テレビアジア杯李相勲七段(韓国)
2003.06.17LG杯第1回戦Aディナースタイン初段(欧州)
2003.06.07富士通杯八強戦李昌鎬九段(韓国)
2003.04.29CSK杯韓国戦李世石六段(韓国)
2003.04.28CSK杯中国戦王檄五段(中国)
2003.04.27CSK杯日本戦依田紀基九段(日本)
2003.04.14富士通杯第2回戦゙薫鉉九段(韓国)
2002.09.04トヨタ杯八強戦王磊八段(中国)
2002.09.02トヨタ杯第2回戦陳祖徳九段(中国)
2002.05.20春蘭杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2002.05.02LG杯第2回戦趙漢乗五段(韓国)
2002.04.15富士通杯第2回戦劉昌赫九段(韓国)
2002.03.19トヨタ杯第1回戦楊彗人初段(北米)
2001.06.26春蘭杯決勝戦劉昌赫九段(韓国)
2001.06.24春蘭杯決勝戦劉昌赫九段(韓国)
2001.06.22春蘭杯決勝戦劉昌赫九段(韓国)
2001.06.14LG杯第2回戦劉昌赫九段(韓国)
2001.05.25春蘭杯四強戦゙薫鉉九段(韓国)
2001.04.29春蘭杯八強戦兪斌九段(中国)
2001.04.16富士通杯第2回戦崔明勲七段(韓国)
2001.02.08LG杯四強戦李昌鎬九段(韓国)
2000.12.28春蘭杯第2回戦楊士海八段(中国)
2000.11.14LG杯八強戦゙薫鉉九段(韓国)
2000.06.22春蘭杯決勝戦馬暁春九段(中国)
2000.06.20春蘭杯決勝戦馬暁春九段(中国)
2000.06.18春蘭杯決勝戦馬暁春九段(中国)
2000.06.15LG杯第2回戦梁建五段(韓国)
2000.05.19春蘭杯四強戦孔傑五段(中国)
2000.05.02応氏杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2000.04.30応氏杯第1回戦劉小光九段(中国)
2000.04.28春蘭杯八強戦常昊九段(中国)
2008年12月31日現在通算成績=1046勝561敗1ジゴ1無勝負
2008年21勝13敗 通算1046勝561敗1ジゴ1無勝負
2007年21勝16敗 通算1025勝548敗1ジゴ1無勝負
2006年20勝22敗 通算1004勝532敗1ジゴ1無勝負
2005年28勝27敗 通算984勝510敗1ジゴ1無勝負
2004年23勝27敗 通算956勝483敗1ジゴ1無勝負
2003年32勝23敗 通算933勝456敗1ジゴ1無勝負
2002年21勝26敗 通算901勝433敗1ジゴ1無勝負
2001年34勝25敗 通算880勝407敗1ジゴ1無勝負
2000年31勝18敗 通算846勝382敗1ジゴ1無勝負
1999年22勝17敗 通算815勝364敗1ジゴ1無勝負
1998年45勝24敗1無勝負 通算793勝347敗1ジゴ1無勝負
1997年45勝19敗 通算748勝323敗1ジゴ
1996年27勝23敗 通算703勝304敗1ジゴ
1995年47勝12敗 通算676勝281敗1ジゴ
1994年41勝15敗 通算629勝269敗1ジゴ
1993年35勝17敗 通算588勝254敗1ジゴ
1992年36勝12敗 通算553勝237敗1ジゴ
1991年43勝12敗 通算517勝225敗1ジゴ
1990年29勝11敗 通算474勝213敗1ジゴ
1989年29勝13敗 通算445勝202敗1ジゴ
1988年24勝17敗 通算416勝189敗1ジゴ
1987年32勝17敗 通算392勝172敗1ジゴ
1986年37勝13敗 通算360勝155敗1ジゴ
1985年29勝13敗 通算323勝142敗1ジゴ
1984年32勝10敗 通算294勝129敗1ジゴ
1983年31勝14敗 通算262勝119敗1ジゴ
1982年28勝11敗 通算231勝105敗1ジゴ
1981年35勝9敗1ジゴ 通算203勝94敗1ジゴ
1980年19勝11敗 通算168勝85敗
1979年16勝10敗 通算149勝74敗
1978年30勝11敗 通算133勝64敗
1977年22勝7敗 通算103勝53敗
1976年33勝13敗 通算81勝46敗
1975年17勝5敗 通算48勝33敗
1974年10勝11敗 通算31勝28敗
1973年13勝9敗 通算21勝17敗
1972年8勝8敗
日本棋院の情報 新浪体育 LGSの情報 棋聖道場・写真集 写真(48歳)
【「NHK囲碁講座」(2006年3月号)】
1958年(昭和33年)、台湾に生まれた。1971年来日。加納嘉徳九段(故人)の内弟子になる。10代から棋才を認められ、片岡聡九段、小林覚九段と切磋琢磨して成長していった。しかし番碁のタイトル獲得は意外と遅く、片岡聡(1982年天元)、小林覚(1995年棋聖)にも先を越された。師匠をヤキモキさせていたが、1995年、初タイトル・王座を手中にすると堰を切ったようにタイトルを獲得していく。

【2004年9月24日 台湾・週刊TVBS(潘裕宗)】
12歳で台湾を離れて日本に囲碁修業に行った風雲の棋士・王立誠は日本に渡った子供のころを「あの寂しさを知っているからこそ、今の成績がある」と語った。
日本滞在棋士の王立誠は、現在日本囲碁界の「十段」で4連覇を達成し5連覇に挑戦している。達成すれば、台湾棋士初の栄誉十段になる。王立誠はかつて日本囲碁界の「棋聖」を3連覇(2000〜2003年)を達成し、「王座」も3連覇(1998〜2000年)の記録を持つ。ここ数年来の我が国の日本滞在棋士の中で最も成績がよい。
王立誠は大器晩成の選手。1995年にやっと王座のタイトルを獲得。王座のタイトルを取るまで、王立誠第2位甘んじることが多かった。1958年生れの王立誠は、38歳でやっと大きいタイトルを取った。十段の就位式で「来年5連覇を達成する」と宣言した王立誠は、今の日本囲碁界の最年長タイトル保持者となる。
12歳で日本に行った王立誠は、日本棋院に入って院生になるとわずか4ヶ月後に「入段」し、日本棋院の最速入段記録を作った。この記録は30数年来まだ破られていない。23歳で「新人王戦」で優勝し、初タイトルを獲得した。
王立誠は「若い時の性質はいらいら型で、自分の損得にばかりこだわっていた。肝要な時に心が沈まらないので、ミスをしやすく、いつも優勝できずにいた。年を取って心理状態は転換して、碁も慎重になって成績は良くなった」と笑いながら語った。
王立誠は囲碁を覚えたのは早く、小さい時常に父と碁を打っていた。父は彼には才能があると感じて、7歳の時に彼を県市の棋戦に連れて行った。12歳の時、日本棋院の加納嘉徳が王立誠を発掘して、王立誠の一生が変わった。彼は先生を失望させず、日本棋院に入って最速入段記録を作った。
しかし故郷を離れ、ホームシックになったこともあったと、王立誠はいう。「日本に行った時は、言葉も通じないし、毎日碁盤の前で過ごした。12歳の子供にとって、生活は本当に味気なく、ただ棋戦にいくだけだった」とその時の寂しさを語った。
棋戦だけが日本での単調な暮らしから、彼の寂しさを忘れさせることができる時だったのだ。しかし寂しさは王立誠の最大の助力になって、孤独から抜け出したいために、彼は更にまじめに学習した。彼は「その時孤独に耐えたことが、現在の成功の主要な原因だ」と認める。
1995年に王座タイトルを取った後、突然王立誠の碁は広くなる。他人がどのようにしても打ち負かせない剛毅な棋風を作り上げ自信を持つ。1年後の1996年に王座のタイトルは失うが、その後1998〜2000年まで王座3連覇、2001、2002年は棋聖と十段の2冠となる。1995年の王座戦で王立誠は、尊敬する趙治勲と対戦した。趙治勲から王座のタイトルを奪うことができたが、その後1998年の名人戦、本因坊戦で王立誠は趙治勲に負けて、タイトルを奪い取ることはできなかった。2000年の王座戦、王立誠は再度趙治勲と対戦しタイトルを奪い取った。

【2003年11月3日 毎日新聞「天元」】
王立誠九段(44)が10月30日、本因坊戦リーグ戦で依田紀基九段を下し、通算900勝(448敗)を達成した。900勝到達は史上9人目(坂田栄男23世本因坊、林海峰九段、大竹英雄九段、羽根泰正九段、加藤正夫九段、武宮正樹九段、小林光一九段、趙治勲九段)。44歳11ヶ月での達成は趙治勲九段、小林光一九段に次いで3番目の早さ。入段から31年6ヶ月の達成は趙治勲九段、小林光一九段、加藤正夫九段に次いで第4位のスピード記録となる。

【2002年9月26日 毎日新聞「囲碁欄」(石井妙子)】
王立誠棋聖は寡黙な棋士だ。普段でも穏やかに微笑むだけ。時折、記者室での会話に参加することはあっても、それは盤上の話題に限られている。挨拶を苦手にし、自身の就位式以外、壇上に立つことがない。
中盤以降に形勢を紛らわす妖(あや)しい一手を放ち、一挙に碁を優勢へと導くことがある。「王マジック」「終盤の魔術師」とよく棋風を表現されるが、奇策を用いて相手をだまし討ちにしているように誤解されそうで、王自身はその言われようをあまり好まないと言うことを聞いたことがある。