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羽根直樹
はね なおき
羽根直树
Hane Naoki
yugen zhishu
| 1976年8月14日生れ
A型 三重県磯部町出身
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中部総本部所属。1991年入段(15歳)。2000年5月5日八段。2002年7月26日九段昇段(25歳11ヶ月)。入段から11年3ヶ月で九段到達は日本棋院最短記録。
羽根泰正九段は実父。1999年12月5日に松岡しげ子初段(当時)と結婚。
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2013年12月31日現在通算成績=779勝368敗3ジゴ1無勝負
2013年 | 37歳 | ??勝??敗 | 通算???勝??敗 |
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2012年 | 36歳 | 31勝21敗 | 通算810勝389敗3ジゴ1無勝負 | 2012年8月6日通算800勝379敗3持碁1無勝負達成
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2011年 | 35歳 | 37勝26敗 | 通算779勝368敗3ジゴ1無勝負 |
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2010年 | 34歳 | 25勝20敗 | 通算742勝342敗3ジゴ1無勝負 |
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2009年 | 33歳 | 24勝16敗 | 通算717勝322敗3ジゴ1無勝負 | 2009年3月19日700勝(309敗3持碁1無勝負)達成
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2008年 | 32歳 | 34勝15敗 | 693勝306敗3ジゴ1無勝負 |
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2007年 | 31歳 | 28勝21敗 | 659勝291敗3ジゴ1無勝負 |
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2006年 | 30歳 | 34勝23敗 | 631勝270敗3ジゴ1無勝負 | 2006年1月30日通算600勝達成
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2005年 | 29歳 | 28勝18敗 | 597勝247敗3ジゴ1無勝負 |
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2004年 | 28歳 | 19勝26敗 | 569勝229敗3ジゴ1無勝負 |
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2003年 | 27歳 | 38勝19敗 | 550勝203敗3ジゴ1無勝負 |
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2002年 | 26歳 | 31勝21敗 | 512勝184敗3ジゴ1無勝負 | 2002年7月26日九段昇段(25歳11ヶ月)。
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2001年 | 25歳 | 63勝25敗 | 481勝163敗3ジゴ1無勝負 |
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2000年 | 24歳 | 52勝23敗 | 418勝138敗3ジゴ1無勝負 | 2000年5月5日八段。
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1999年 | 23歳 | 55勝18敗 | 366勝115敗3ジゴ1無勝負 |
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1998年 | 22歳 | 44勝16敗1ジゴ | 311勝97敗3ジゴ1無勝負 |
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1997年 | 21歳 | 50勝16敗 | 267勝81敗2ジゴ1無勝負 |
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1996年 | 20歳 | 48勝16敗 | 217勝65敗2ジゴ1無勝負 |
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1995年 | 19歳 | 41勝13敗 | 169勝49敗2ジゴ1無勝負 |
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1994年 | 18歳 | 37勝13敗1無勝負 | 128勝36敗2ジゴ1無勝負 |
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1993年 | 17歳 | 36勝12敗 | 91勝23敗2ジゴ |
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1992年 | 16歳 | 32勝8敗1ジゴ | 55勝11敗2ジゴ |
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1991年 | 15歳 | 23勝3敗1ジゴ |
| 1991年入段(15歳)。
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棋風:粘り強く堅実な棋風。
揮毫:思無邪(おもい、よこしまなし)
羽根直樹著作集
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張栩:羽根直樹の対戦成績
山下敬吾:羽根直樹の対戦成績
高尾紳路:羽根直樹の対戦成績
羽根直樹:結城聡の対戦成績
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獲得タイトル数:25個(うち世界タイトル:0個)
対局日 | 棋戦名 | 年齢 | コメント |
2015年12月(56期) | 王冠戦優勝 | 39歳 | 5連覇
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2014年11月(55期) | 王冠戦優勝 | 38歳 | 4連覇
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2013年11月(54期) | 王冠戦優勝 | 37歳 | 3連覇
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2012年11月(53期) | 王冠戦優勝 | 36歳 |
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2011年11月(52期) | 王冠戦優勝 | 35歳 |
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2011年8月(第36期) | 碁聖 | 34歳 |
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2009年11月(50期) | 王冠戦優勝 | 33歳 |
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2009年10月(16期) | 阿含杯優勝 | 33歳 |
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2009年7月(第64期) | 本因坊 | 32歳 | 初防衛 |
2009年3月(28期) | NEC杯優勝 | 32歳 |
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2008年11月(49期) | 王冠戦優勝 | 32歳 |
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2008年7月(第63期) | 本因坊 | 31歳 | 初獲得 |
2007年11月(48期) | 王冠戦優勝 | 31歳 |
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2006年3月(53期) | NHK杯優勝 | 29歳 |
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2005年3月(29期) | 棋聖 | 28歳 |
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2004年11月(45期) | 王冠戦優勝 | 28歳 |
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2004年10月(11期) | 阿含杯優勝 | 28歳 |
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2004年3月(28期) | 棋聖 | 27歳 |
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2003年12月(29期) | 天元 | 27歳 |
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2003年(4回) | 春蘭杯準優勝 | 27歳 |
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2003年11月(44期) | 王冠戦優勝 | 27歳 |
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2002年11月(28期) | 天元 | 26歳 |
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2002年11月(43期) | 王冠戦優勝 | 26歳 |
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2001年12月(27期) | 天元 | 25歳 |
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1999年(40期) | 王冠戦優勝 | 23歳 |
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1996年(26期) | 新鋭トーナメント戦優勝 | 20歳 |
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=25勝39敗(対韓国:9勝26敗、対中国:10勝11敗、対他:6勝2敗)
対局日 | 棋戦名 | 勝敗 | 対戦相手 | コメント |
2009.09.11 | 第14回三星火災杯32強戦第2回戦 | ● | 金志錫六段(韓国)(20) |
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2009.09.10 | 第14回三星火災杯32強戦第1回戦 | ● | 宋泰坤九段(韓国)(22) |
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2009.05.20 | 第14回LG杯第2回戦 | ● | 古力九段(中国)(26) |
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2009.05.18 | 第14回LG杯第1回戦 | ○ | 朴正祥九段(韓国) |
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2009.04.13 | 第22回富士通杯第2回戦 | ● | 常昊九段(中国) |
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2009.04.11 | 第22回富士通杯第1回戦 | ○ | 李捷アマ7段(米国) |
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2008.11.27 | 第10回農心杯8局 | ● | 姜東潤九段(韓国) |
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2008.08.23 | 第4回トヨタ杯第1回戦 | ● | 睦鎮碩九段(韓国) |
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2007.10.17 | 第9回農心杯 | ● | 洪旻杓六段(韓国) |
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2007.10.16 | 第9回農心杯 | ○ | 彭筌七段(中国) |
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2006.09.14 | 第8回農心杯 | ● | 彭筌七段(中国) |
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2006.09.13 | 第8回農心杯 | ○ | ゙薫鉉九段(韓国) |
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2006.09.12 | 第8回農心杯 | ○ | 王磊八段(中国) |
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2006.08.30 | 第3回トヨタ杯第八強戦 | ● | 李世石九段(韓国) |
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2006.08.28 | 第3回トヨタ杯第2回戦 | ○ | 高根台五段(韓国) |
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2006.08.26 | 第3回トヨタ杯第1回戦 | ○ | 豊雲九段(米国) |
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2006.08.10 | 第18回テレビアジア杯 | ● | 李昌鎬九段(韓国) |
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2006.08.09 | 第18回テレビアジア杯 | ○ | 羅洗河九段(中国) |
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2006.04.10 | 第19回富士通杯第2回戦 | ● | 朴正祥五段(韓国) |
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2006.03.13 | 第6回春蘭杯戦第2回戦 | ● | 謝赫六段(中国) |
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2005.10.13 | 第7回農心杯 | ● | 柳才馨七段(韓国) |
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2005.10.12 | 第7回農心杯 | ○ | 王尭六段(中国) |
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2005.10.11 | 第7回農心杯 | ○ | 姜東潤四段(韓国) |
農心杯初出場 |
2005.09.30 | 第10回三星火災杯第2回戦 | ● | 崔哲瀚九段(韓国) |
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2005.09.28 | 第10回三星火災杯第1回戦 | ○ | 尹o相四段(韓国) |
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2005.08.18 | 第2回中環杯準決勝戦 | ● | 李世石九段(韓国) |
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2005.08.16 | 第2回中環杯八強戦 | ○ | 王立誠九段(台湾) |
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2005.08.14 | 第2回中環杯第1回戦 | ○ | 張栩九段(台湾) |
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2005.05.16 | 第10回LG杯第1回戦 | ● | 李世石九段(韓国) |
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2005.05.03 | 第4回CSK杯台湾戦 | ○ | 王立誠九段(台湾) |
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2005.05.02 | 第4回CSK杯韓国戦 | ● | 李世石九段(韓国) |
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2005.05.01 | 第4回CSK杯中国戦 | ○ | 孔傑七段(中国) |
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2005.04.11 | 第18回富士通杯第2回戦 | ● | 王檄五段(中国) |
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2004.12.26 | インターネット世界戦 | ● | 周俊勲九段(台湾) | 非公式棋戦 |
2004.12.13 | 第6回阿含桐山杯日中対抗戦 | ● | 周鶴洋九段(中国) |
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2004.09.16 | 第1回中環杯第1回戦 | ● | 王銘宛九段(台湾) |
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2004.09.01 | 第9回三星火災杯第1回戦 | ● | 崔哲瀚八段(韓国) |
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2004.05.18 | 第9回LG杯第1回戦 | ● | 金萬樹五段(韓国) |
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2004.04.22 | 第5回応氏杯第1回戦 | ● | 崔哲瀚八段(韓国) |
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2004.04.12 | 第17回富士通杯第1回戦 | ● | 崔哲瀚七段(韓国) |
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2004.03.23 | 第3回CSK杯台湾戦 | ● | 林海峰九段(台湾) |
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2004.03.22 | 第3回CSK杯韓国戦 | ● | 李世石九段(韓国) |
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2004.03.21 | 第3回CSK杯中国戦 | ● | 王檄五段(中国) |
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2003.12.31 | 第5回春蘭杯第2回戦 | ● | 周鶴洋九段(中国) |
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2003.08.27 | 第8回三星火災杯第1回戦 | ● | 劉昌赫九段(韓国) |
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2003.06.17 | 第8回LG杯第1回戦 | ● | 睦鎮碩六段(韓国) |
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2003.04.29 | 第2回CSK杯中国戦 | ● | 兪斌九段(中国) |
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2003.04.28 | 第2回CSK杯韓国戦 | ○ | 李昌鎬九段(韓国) |
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2003.04.27 | 第2回CSK杯台湾戦 | ○ | 張栩八段(台湾) |
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2003.04.14 | 第16回富士通杯第2回戦 | ● | 李世石六段(韓国) |
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2003.04.12 | 第16回富士通杯第1回戦 | ○ | 崔明勲八段(韓国) |
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2003.03.18 | 第4回春蘭杯決勝戦 | ● | 李昌鎬九段(韓国) |
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2003.03.16 | 第4回春蘭杯決勝戦 | ● | 李昌鎬九段(韓国) |
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2002.12.28 | 第4回春蘭杯四強戦 | ○ | 羅洗河九段(中国) |
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2002.12.26 | 第4回春蘭杯八強戦 | ○ | ゙薫鉉九段(韓国) |
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2002.08.30 | 第7回三星火災杯第2回戦 | ● | 王U輝七段(中国) |
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2002.08.28 | 第7回三星火災杯第1回戦 | ○ | 徐奉洙九段(韓国) |
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2002.05.31 | 第15回日中天元戦 | ○ | 黄奕中五段(中国) |
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2002.05.29 | 第15回日中天元戦 | ○ | 黄奕中五段(中国) |
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2002.05.20 | 第4回春蘭杯第2回戦 | ○ | 孔傑六段(中国) |
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2002.05.18 | 第4回春蘭杯第1回戦 | ○ | 胡耀宇六段(中国) |
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2002.05.07 | 第14回テレビアジア杯 | ● | 李昌鎬九段(韓国) |
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2002.04.30 | 第7回LG杯第1回戦 | ● | 趙漢乗五段(韓国) |
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2002.03.23 | 第1回CSK杯中国戦 | ● | 兪斌九段(中国) |
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2002.03.22 | 第1回CSK杯韓国戦 | ● | 李世石六段(韓国) |
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日本棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 Wikipedia 新浪体育 日本経済新聞e-碁サロン LGSの情報 「きまぐれリレー日記」(幽玄の間)
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【2015年6月15日(月) 『NHK囲碁講座』2015年6月号より】
「中京のダイヤモンド」と呼ばれた羽根泰正(はね・やすまさ)九段(元王座)を父に持ち、14歳でのデビュー時から中部碁界の期待を一身に背負ってきた羽根直樹(はね・なおき)九段。棋聖、本因坊、天元、碁聖など数々のタイトルを獲得し、日本棋院中部総本部の顔として現在も活躍を続けているそのルーツとは?
私の家族は母や兄も含めて皆、碁を打ちますので、碁があるのが当たり前という環境でした。ですから小さいころから碁石で遊んでいて、2歳か3歳のころには、一応碁らしきものが打てるようになっていました。3歳のときには、地元の大会に出ていたそうですから。
幼少時に父から指導を受けたことはありません。自分で子供に教えると、どうしても厳しくなってしまうからだそうです。その代わりに父は、環境を整えてくれました。ここへ習いに行きなさいとか、この教材をやりなさいとか。どういう勉強をすればいいかという道筋をつけてくれまして、直接教えてもらうようになったのはもう入段が近くなってからです。それまではポツポツと打ってくれる程度でした。
近所に強いアマチュアの方がおられて、子供を教えることもされていたので、小学校が終わったらそこへ行って教えてもらう。そして夕方になったら家へ帰る──これが毎日の日課となっていて、日曜日には碁会所へ通うという生活を送っていました。さかのぼって幼少期には、父が定石カードなるものを作ってくれまして、徐々に定石を学んでいける工夫を凝らしてくれたものです。その他にもいろいろな教材を用意してくれましたが、兄がまずその教材で勉強して、そのあとを私が追いかけていく流れでした。
小学校1年生の夏に院生になり、入段が決まったのが中学校2年生の秋でしたから、7年かかったことになります。私の場合、父が棋士だということもあるのかもしれないですけど、碁が完全に生活の一部というか、生活そのものになっていたので「プロになるため土日の院生手合を頑張る」という感覚はありませんでした。いつもどおりの日常を送って碁を打っていたら、自然とプロになったという感覚でしょうか。入段が決まったとき、父が特に何かを言ってくれた記憶はありません。「しっかりやれよ」くらいは言ってくれたのかもしれませんが、恐らく父としても、ようやく出発点くらいの気持ちだったのだと思います。
【2003年12月19日 徳島新聞】
「山下君に勝って防衛できたのはすごくうれしい」。昨年の初防衛でタイトル保持者の風格も備えて臨んだ第29期天元戦五番勝負。それまで2勝8敗と大きく負け越していた山下敬吾棋聖を下しての勝利だけに、素直に喜びを表現した。
開幕前、「防衛というより向かっていきたい」とチャレンジャー精神を強調した。その言葉通り、堅実な棋風の中に、激しい攻めをのぞかせた。二冠を狙う山下棋聖も剛腕で食い下がり、5年ぶりにもつれ込んだ第五局は、序盤、優勢を築いた山下棋聖を中終盤に逆転、三連覇を成し遂げた。
実は、防衛にあと1勝と迫った第四局で、終盤に勝ちが見えた瞬間にミスを犯した。しかし、「最初から山下棋聖とは五局打てればいいと思っていたので、ショックはありませんでした」と冷静に振り返る。
今年、囲碁界は山下が棋聖を、張栩が本因坊、王座と、相次いでタイトルを獲得。20代が七大タイトルのうち四冠を占め、大きく躍進した。ファンの目には、世代交代とも映るが、「同世代意識はあまりない。山下君、張君がタイトルを獲得したのは実力からして当たり前。自分の力はまだまだ」と謙虚に語る。
今秋から、中国のリーグ戦に参加。すでに4回訪中して、日本とは環境が異なる海外での対戦で経験を積んだ。年末にもう一度、訪中し、世界の強豪と戦うのを楽しみにしている。来年早々には、攻守を変え、山下棋聖に挑戦する。初の二日制タイトル戦となるが、「時間があるので慎重になりすぎないように思い切っていきたい」。妻、3人の女の子と愛知県長久手町に在住。27歳。
羽根泰正九段の二男。碁を覚えたのは3歳。手ほどきをしたのは当時アマ5級程度の母、正美さん(52)。「強くなるのに最も大事なのは環境。次に才能」という父の信念で、のびのびと碁石を握った。3、4歳で子供の囲碁大会に出場。6歳でプロを目指した。根気があって負けず嫌い。十代から抜きん出た成績を上げた。が、形勢判断とヨセの正確さに頼り、戦いを避ける棋風はトップ棋士に通じなかった。一皮むけたのは、父譲りの力強さを発揮してから。趣味は読書。夫人のしげ子初段との間に1女。2002年夏に双子(女児)が生れ三女の父親になった。
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