趙善津
チョウ ゼンツ
Cho Son Jin
チョウ ソンジン
1970年4月18日生れ
AB型
韓国光州市出身
安藤武夫六段門下。1982年来日。1984年入段。1998年九段。2004年通算500勝達成。2008年7月17日通算600勝(349敗5持碁)達成(史上52人目)
棋風:形勢判断に明るく、戦いにも強い。
揮毫:無心(むしん)、和而不流
タイトル獲得数:6個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2006年3月(第25期)NEC杯優勝35歳
2001年10月(第8期)阿含桐山杯優勝31歳
2000年10月(第7期)阿含桐山杯優勝30歳
1999年(4回)三星火災杯準優勝29歳
1999年(第54期)本因坊29歳趙治勲の11連覇を阻止。
1992年(第22期)新鋭戦優勝22歳
1991年9月(第16期)新人王戦優勝21歳
1986年(第10期)留園戦優勝16歳非公式戦
2002年1月1日以降国際棋戦成績=2勝2敗(対韓国:0勝2敗、対中国:1勝0敗、対他:1勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2008.04.12第21回富士通杯第1回戦姜東潤五段(韓国)
2006.08.28トヨタ杯第2回戦李世石九段(韓国)
2006.08.26トヨタ杯第1回戦江鳴久七段(米国)
2002.01.11阿含桐山杯・日中対抗戦劉菁八段(中国)
2000.12.07阿含桐山杯・日中対抗戦周鶴洋八段(中国)
2000.08.30三星火災杯第1回戦朴昇哲初段(韓国)
2000.04.10富士通杯第2回戦睦鎮碩四段(韓国)
2000.03.27農心杯李昌鎬九段(韓国)
2000.03.26農心杯常昊九段(中国)
1999.12.07三星火災杯決勝5番勝負李昌鎬九段(韓国)
1999.12.06三星火災杯決勝5番勝負李昌鎬九段(韓国)
1999.11.23三星火災杯決勝5番勝負李昌鎬九段(韓国)
1999.10.28三星火災杯準決勝彦坂直人九段(日本)
1999.10.06三星火災杯八強戦王磊八段(中国)
1999.09.09三星火災杯2回戦金萬樹四段(韓国)
1999.09.07三星火災杯1回戦曹大元九段(中国)
1998.09.06三星火災杯1回戦李昌鎬九段(韓国)
1997.08.13三星火災杯1回戦金承俊四段(韓国)
日本棋院の情報
写真(20歳) 写真 写真
【「碁ワールド」2004年11月号 (石井妙子)】
趙善津九段が長い独身生活についにピリオドを打つことになった。お相手は東京在住の鄭麻美(まみ)さん。共通の知人に紹介されて知り合ったのがきっかけで交際するようになり、趙九段がプロポーズ。その後トントン拍子に話が進み、9月18日、東京目白のフォーシーズンズホテル椿山荘で挙式する運びとなった。
師匠の安藤武夫七段は「私にとって善津くんは初めて迎えた外国からの内弟子でした。言葉は大丈夫だろうか、生活に馴染めるだろうかと、いろいろ心配したのですが、善津くんは兄弟子たちに囲まれてすんなりと育っていってくれた。本当に昔からしっかりした手のかからない弟子でした。ですから、独立してからも誰よりも安心して成長を見守ることができたのです。しかし、ただ一つの気がかりはいつまでたっても結婚しないことで…。ずいぶんヤキモキさせられました。だからこそ今回の報告を聞いた時は本当に嬉しかったです」とこの日ばかりは感際まった様子だった。

【2002年11月5日 東京新聞囲碁欄(高林譲司)】
趙善津は1970年(昭和45年)、韓国光州市で養鶏場を営む一家に生まれた。父親が碁好きで、自宅に客を招き、よく打っていたという。それを見ながら育ち、「5、6歳の頃にはルールを知っていたようです」。
子供の大会で優勝、周囲のすすめでプロを目指すが、12歳で来日したときも自分の意志というより周りが決めたことだったという。何につけてもおとなしい少年だったようで、30代になってもその性格は変わっていないように見受けられる。

【2002年11月2日 読売新聞囲碁欄(佐野真)】
趙善津は碁界で最も不当に過小評価されている棋士の一人であろう。間違いなく超一流の実力者でありながら、各棋戦における開幕前の予想座談会などで挑戦者候補として名前が上がることはまずない。
確かにすごみを感じさせるような碁ではない。しかし滅多なことでは崩れない芯の強さを持っているし、何より1999年(平成11年)の本因防戦挑戦手合で趙治勲本因坊を破り、あの無敵を誇った「趙治勲大三冠時代」に最初の風穴を空けたのが趙善津だということを忘れてはならない。

【「囲碁クラブ」1991年6月号】
ある日、趙善津六段が帰国するというニュースが飛び込んできた。兵役義務に服するためというのだ。韓国には徴兵制度があるのはご存じのとおりだ。兵役期間は2年半という。有望な若手プロとはいえ免除になり、すぐ戻れるとは思えない。
新人王戦本戦2回戦、恐らくこれが今期最後の対局になると予想された一局が2月18日、日本棋院で組まれた。特別の計らいで「幽玄の間」があてられた。決勝にしか使われない部屋だ。趙君は見事に勝った。その数日後、母国へ帰っていった。
3月下旬観戦記者のAさんからデスクに電話があった。「善津君が帰ってきたのを知ってる?」「えっ、本当ですか。早速確かめてみます」。というわけで師匠の安藤武夫六段の家に電話を架けた。「はい、安藤です」「先生はいらっしゃいますか」「外出しております」「有村君(比呂司三段)?」「いいえ、趙善津です」
詳しいことはわからないが、要するに兵役は免除になって日本棋院に復帰できたことは確かである。「新人王戦が打てますね」「はい、嬉しいです」。電話の向こうで声が弾んでいた。
かつて日本へ碁の勉強にきていた韓国の゙薫鉉、金寅、尹奇鉉、河燦錫各氏はいずれも兵役のため帰国。その後国に留まって韓国碁界盛隆の礎となった。男子国民皆兵役の韓国碁界のためには大いにプラスしたのである。趙善津六段の兵役免除は世界的雪解け現象の一端かもしれない。