|
山田規三生
やまだ きみお
山田规三生
Yamada Kimio
| 1972年9月9日生れ
O型 大阪府大阪市出身
|
関西総本部所属。山下順源門下。1989年入段(16歳)。1989年二段。1990年三段。1991年四段。1992年五段。1993年六段。1995年七段。2000年4月28日八段。2006年1月13日九段(勝ち数200勝の昇段)。至宝六段、和貴雄七段は実兄。
|
2012年12月31日現在通算成績=837勝368敗
2013年 | 41歳 | ??勝??敗 | 通算???勝??敗 |
|
2012年 | 40歳 | 17勝11敗 | 通算837勝368敗 |
|
2011年 | 39歳 | 27勝13敗 | 通算820勝357敗 | 通算800勝達成。史上27人目。
|
2010年 | 38歳 | 25勝25敗 | 通算793勝344敗 |
|
2009年 | 37歳 | 29勝20敗 | 通算768勝319敗 |
|
2008年 | 36歳 | 31勝18敗 | 通算739勝299敗 |
|
2007年 | 35歳 | 33勝18敗 | 通算708勝281敗 | 2007年6月27日700勝(278敗)達成。史上29人目。
|
2006年 | 34歳 | 35勝23敗 | 通算675勝263敗 | 2006年1月13日九段(勝ち数200勝の昇段)。
|
2005年 | 33歳 | 33勝21敗 | 通算640勝240敗 |
|
2004年 | 32歳 | 33勝21敗 | 通算607勝219敗 | 2004年10月4日通算600勝達成。史上38人目。
|
2003年 | 31歳 | 44勝13敗 | 通算574勝198敗 |
|
2002年 | 30歳 | 45勝15敗 | 通算530勝185敗 |
|
2001年 | 29歳 | 38勝15敗 | 通算485勝170敗 |
|
2000年 | 28歳 | 39勝20敗 | 通算447勝155敗 | 2000年4月28日八段。
|
1999年 | 27歳 | 37勝21敗 | 通算408勝135敗 |
|
1998年 | 26歳 | 21勝18敗 | 通算371勝114敗 |
|
1997年 | 25歳 | 47勝19敗 | 通算350勝96敗 |
|
1996年 | 24歳 | 47勝11敗 | 通算303勝77敗 |
|
1995年 | 23歳 | 40勝12敗 | 通算256勝66敗 | 1995年七段。
|
1994年 | 22歳 | 40勝14敗 | 通算216勝54敗 |
|
1993年 | 21歳 | 40勝10敗 | 通算176勝40敗 | 1993年六段。
|
1992年 | 20歳 | 39勝 9敗 | 通算136勝30敗 | 1992年五段。
|
1991年 | 19歳 | 35勝10敗 | 通算97勝21敗 | 1991年四段。
|
1990年 | 18歳 | 39勝5敗 | 通算62勝11敗 | 1990年三段。
|
1989年 | 17歳 | 23勝6敗 |
| 1989年入段(16歳)。1989年二段。
|
|
棋風:戦いを中心とした野性的な碁。ブンブン丸という渾名がある。
揮毫:無心
山田規三生著作集
|
張栩:山田規三生の対戦成績
依田:山田規三生の対戦成績
|
タイトル獲得数:6個(うち世界タイトル:0個)
対局日 | 棋戦名 | 年齢 | コメント |
2011年3月(58期) | NHK杯優勝 | 38歳 |
|
2004年(29期) | 碁聖戦挑戦者 | 31歳 |
|
2000年(5回) | 三星火災杯準優勝 | 28歳 |
|
1999年(8期) | 竜星戦優勝 | 27歳 |
|
1998年(28期) | 新鋭戦優勝 | 26歳 |
|
1997年(45期) | 王座 | 25歳 |
|
1997年9月(22期) | 新人王戦優勝 | 25歳 |
|
1994年(24期) | 新鋭戦優勝 | 22歳 |
|
|
2001年1月1日以降国際棋戦成績=5勝8敗(対韓国:2勝5敗、対中国:3勝3敗、対他:0勝0敗)
対局日 | 棋戦名 | 勝敗 | 対戦相手 |
2010.01.16 | 第2回BCカード杯杯64強戦 | ○ | 鍾文靖五段(中国)(19) |
2008.11.25 | 第10回農心杯6局 | ● | 姜東潤九段(韓国) |
|
2008.08.23 | 第4回トヨタ&デンソー杯1回戦 | ● | 韓尚勲三段(韓国) |
|
2007.11.28 | 第9回農心杯7局 | ● | 睦鎮碩九段(韓国) |
|
2007.11.27 | 第9回農心杯6局 | ○ | 王檄九段(中国) |
|
2006.11.24 | 第8回農心杯7局 | ● | 彭筌七段(中国) |
2005.11.26 | 第7回農心杯8局 | ● | 謝赫六段(中国) |
2003.10.15 | 三星火災杯八強戦 | ● | 朴永訓四段(韓国) |
2003.08.29 | 三星火災杯第2回戦 | ○ | 江鋳久九段(韓国) |
2003.08.27 | 三星火災杯第1回戦 | ○ | 兪斌九段(中国) |
2002.08.28 | 三星火災杯第1回戦 | ● | 彭筌五段(中国) |
2001.08.31 | 三星火災杯第2回戦 | ● | 内廼偉九段(韓国) |
2001.08.29 | 三星火災杯第1回戦 | ○ | 崔珪丙九段(韓国) |
2000.12.14 | 三星火災杯決勝戦 | ● | 劉昌赫九段(韓国) |
2000.12.12 | 三星火災杯決勝戦 | ○ | 劉昌赫九段(韓国) |
2000.12.11 | 三星火災杯決勝戦 | ● | 劉昌赫九段(韓国) |
2000.11.23 | 三星火災杯決勝戦 | ● | 劉昌赫九段(韓国) |
2000.10.26 | 三星火災杯四強戦 | ○ | 徐奉洙九段(韓国) |
2000.10.05 | 三星火災杯八強戦 | ○ | 内廼偉九段(韓国) |
2000.09.01 | 三星火災杯第2回戦 | ○ | 朴昇哲初段(韓国) |
2000.08.30 | 三星火災杯第1回戦 | ○ | 元盛湊三段(韓国) |
2000.03.23 | 第1回農心杯10局 | ● | 常昊九段(中国) |
|
日本棋院の情報 Wikipedia 韓国棋院の情報
写真(32歳) 写真(33歳) 写真(34歳)
|
【2006年5月15日 朝日新聞「棋士快声」(荒谷一成)】
大阪市生まれで棋士3兄弟の末っ子。囲碁教室に通う兄2人を見習って6歳で碁石を持った。16歳でプロ入りし、ほどなくついた渾名が「ブンブン丸」。腕力自慢の力戦派である。「自分の碁を後で並べ返してみると、大抵ぐしゃぐしゃになってます。どこかで、抑えが利かなくなるんでしょうね」。打ち盛りの30代になっても、本領は変らないようだ。
肝っ玉は据わっている。昨秋、日中韓3ヶ国の団体勝ち抜き戦・農心杯の開幕パーティが北京で開かれ、各国選手団の代表が1曲歌うことになった。尻込みする棋士の中で敢然と長渕剛の「乾杯」を熱唱し、盛んな拍手を受けた逸話がある。
余暇の楽しみは、一人でも賑やかな席でもいける酒と、「アマ5級」というゴルフ。読書は「雑読系ですが、浅田次郎はハズレがないですね」。堺市のマンションで一人暮らす。食事は外食だが、洗濯や掃除、アイロン掛けもこなす。盤上の豪腕は家では細くなるらしい。
【「月刊囲碁」2004年8月号 「クローズアップ」(Hiami)】
第29期碁聖戦。日本棋院関西総本部のエース・山田規三生八段が久々に七大タイトルへの挑戦権を獲得した。王座を獲得し、新星誕生と呼ばれたのはもう7年も前。王座は1期で返上。2000年に三星火災杯で準優勝した後、大舞台には登場していない。
最も不調という訳ではなかった。勝ち星ランキングで見れば2002年は5位、2003年は4位、今年(2004年)は6位につけており、タイトル戦に出てこない方が不思議な成績。山田「毎年、ベスト4ぐらいで意識してしまうんですよね。碁聖戦も無心で打つように心掛けていたのですが、やはり準決勝あたりから挑戦を意識してしまいました。打ち方として、これまでと特に変わったことはないのですが、運がよかったのでしょうか」
かつて「ブンブン丸」と渾名されたほどの力戦派。手厚く打ち進め、眼があれば襲いかかる。山田は「滅茶苦茶な碁ですよ」と謙遜するが、その踏み込みは鋭く、一手で相手を崩壊させることも度々。昨年から18連勝、名人リーグ入りなど、実績が自信につながり、好循環に拍車がかかってきた感がある。山田「王座戦の頃は、まだ自分に自身が持てていませんでした。今回は王座戦の時よりは気負わずに打てると思います」
関西総本部は昨年10月、「院生養成部」を開いた。山田も指導碁や塾内リーグ戦の解説など、開校時から深く関わっている。すでに数名が院生デビューを果し、十数名が院生を目指して頑張っている。山田「子供たちは1週間でも凄く伸びますね。上達が早いです。教えていると元気を分けてもらえます」
「挑戦手合は、勝ち負けよりいい碁を打ちたい」と語る山田。ファンの声援に盤上で応えてくれることを期待しよう。
|