柳時熏
リュウ シクン
柳时熏
Yoo Shihun
ユ シフン
1971年12月8日生れ
O型
韓国ソウル市出身
韓国棋院院生のときに日本での修行を決意、尹奇鉉(ユン・キヒョン)九段の紹介で大枝雄介九段の内弟子になった。1986年来日。1988年初段。2003年4月1日九段(天元4期獲得で)。2006年1月26日通算600勝(299敗)達成(史上42人目)。2010年通算700勝達成。
2007年2月末結婚。
棋風:厚みを背景にした強烈な攻め。戦いに強い正統派。どんな相手にも柔軟に対応する。
揮毫:覇
柳時熏著作集
柳時熏:工藤紀夫の対戦成績
タイトル獲得数:8個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2003年(22期)NEC杯優勝31歳
2000年(26期)天元28歳3局連続半目勝ちで4年ぶりに天元復位
1996年(22期)天元24歳
1996年(44期)王座24歳
1995年(21期)天元23歳
1994年(20期)天元22歳入段から6年8ヶ月での七大タイトル獲得は史上最短記録
1994年( 9期)俊英戦優勝22歳
1993年(23期)新鋭トーナメント戦優勝21歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=0勝9敗(対韓国:0勝6敗、対中国:0勝3敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2007.06.04LG杯第1回戦韓尚勲初段(韓国)
2006.08.26トヨタ杯第1回戦古力九段(中国)
2003.11.17農心杯元晟湊五段(韓国)
2003.06.17LG杯第1回戦金主鎬三段(韓国)
2002.03.19トヨタ杯第1回戦李昌鎬九段(韓国)
2001.08.29三星火災杯第1回戦゙薫鉉九段(韓国)
2001.06.12LG杯第1回戦劉昌赫九段(韓国)
2001.05.24日中天元戦常昊九段(中国)
2001.05.22日中天元戦常昊九段(中国)
2000.12.28春蘭杯第2回戦周鶴洋八段(中国)
2000.12.26春蘭杯第1回戦羅洗河八段(中国)
2000.08.30三星火災杯第1回戦劉昌赫九段(韓国)
2000.05.29テレビアジア杯゙薫鉉九段(韓国)
日本棋院の情報 新浪体育 Wikipedia 読売新聞「岡目八目」
写真(30歳) 写真(34歳)
【2013年6月8日 NHK囲碁講座】
1994年に史上最年少で天元、1996年に王座を奪取し25歳で二冠の快挙を成し遂げた柳時熏九段。22歳で挑戦者になったとき、当時の林海峰天元は52歳だった。「それを考えたら、今の僕の41歳という年齢はまだまだ若いと言わざるをえません」と前置きした上で、「当時とは時代が変わってきているとはいえ、林先生が50歳を過ぎても頂点にいたというのは、変わらない事実です。だから僕もそこを目指し、これからもまだまだ頑張りたいと思っています。そして『僕と同年代の棋士にも頑張ってほしい』というのが、本音かな?」と意気軒昂に語る。ところで、現在、国際棋戦における日本勢が、はっきりと中国および韓国勢の後塵を拝してしまっているのは、皆さんもご周知のとおり。韓国出身の柳は、この状況をどのように見ているのだろうか。「日本碁界に巻き返しの秘策があるのか」を聞いてみた。
僕は「日本の囲碁界に育ててもらった」という恩を感じていますから、現在の状況は非常に残念だし、悔しいですよ。僕も何度か国際棋戦に日本代表として出場させてもらったけど、結果を出せなかったので、責任も感じています。今は残念ながら、韓国・中国の層の厚さの前に、日本はまったく太刀打ちできなくなってきているのが実情で、日本としてはまず、この「層の厚さ=底辺の拡大」の問題を何とかしなくてはいけません。でもそう簡単に克服できるものではないので、しばらくは苦戦が続くと言わざるをえません。
でも囲碁というのは、一人のスーパースターが現れれば、大逆転できるんです。例えば井山くんがこれから世界戦で勝ちまくったら、それだけで「日本がナンバーワン」ということになるんです。ですから、そういう存在がこれから現れるかどうか――そこにかかっているでしょう。もちろん僕も、その一翼を担えるよう、今後も努力を続けていくつもりです。

【2007年3月28日 朝日新聞「棋士快声」】
囲碁界一の「非運の棋士」ではなかろうか。王立誠棋聖に挑戦した5年前の棋聖戦第5局。終局寸前に黒6子がアタリとなって取られ、逆転負け。6年前には中国の酒席で同僚にグラスで顔を殴られて重傷を負い、関連の名誉棄損訴訟で勝つまで1年間囲碁に集中できなかった。8年前の名人リーグ、6勝1敗で単独首位だったのに最終局を逆転半目負けして挑戦者になれず、4年前の棋聖挑戦者決定戦でも逆転半目負け……。「うーん、トラブルが多くて囲碁界にいることがつらくなった時期はあったね。人間の醜いウラもたくさん見たし」
棋風は「手厚い感じが好き」な本格派。プロ入り最短の6年8カ月で7大タイトルの一角・天元を獲得したのが23歳。以来、天元3連覇(通算4期)、王座1期、本因坊挑戦と脚光を浴び続けた。だが王座と天元の二冠を失ったうえ、3リーグから遠のいて3年になる。「どのリーグも予選を打ってるのでね、落ちるところまで落ちた感じ。20代は勢いで勝てるが、30代になると頼りになるのは自分の腕だけと痛感するよ」
ただし昨夏から幸運に転じたらしい。知人の紹介で出会った女性ピアニストと恋に落ちて2月末に挙式。新妻にローストビーフや子羊の香草焼きなど料理の腕をふるうそうである。「若い時は囲碁がすべてだったが、色々な試練をくぐって人生を豊かにと思い直し、今は23歳の時みたいな気分に満ちてる。再出発だね」

【「囲碁講座」(2006年2月号) 熊坂直子】
柳時熏九段は梅沢由香里五段らと共に「若手会」を作り、若手棋士たちの親分的存在。「昨日は柳時熏九段主宰の研究会がありました。棋譜の検討がメインの研究会で、溝上知親八段や鈴木歩三段らも参加しています」(金秀俊七段)。
日本棋院のインターネット対局場「幽玄の間」で行われている「ネットリーグ」の提案者でもある。金秀俊七段によると「柳九段はネット対局で韓国棋士とたくさん対局し、碁が変わった。以前より激しくなった」とのこと。

【1992年8月11日 読売新聞(東京夕刊)「気鋭新鋭」】
今期の棋聖戦・各段優勝戦の四段の部で優勝、パラマス戦でも4人抜きして、小林光一棋聖への挑戦者を決める最高棋士決定戦への出場を決めた。四段戦優勝者が最高棋士決定戦にでるのは初めて。もちろん最年少記録でもある。大舞台の一回戦はこの8月13日、相手は「あこがれ」の林海峰天元。「結果にこだわらず力いっぱい戦います」
5年半前、「日本の方が囲碁を勉強する環境がそろっている」と周囲の反対を押し切って韓国から日本に来た。その選択に間違いはなかった。1988年入段。以来順調に昇段し、今年五段になった。1990年42勝6敗、1991年47勝12敗で、いずれも六段以下の勝ち星ナンバーワン。昨年は棋道賞「最多対局賞」に輝いた。今年は「出だしは悪かった」が、7月末まで23勝7敗。今期の棋聖戦では9連勝して最高棋士決定戦に出場を決めたのだが、対局の多いのは、ある意味で強さの証明。各棋戦とも予選から打つわけだから、それだけ勝ち続けていることになる。
「碁は強くなくてはだめです。今は勉強して強くなること。強くなればおのずとタイトルもついてくるはずです。でも強いだけでなく、だれからも好かれる人にもなりたいと思います」日本で修業した韓国の大先輩に趙治勲本因坊がいる。趙治勲の有名なエピソードに、五段になった時にある人から「おめでとう」と言われ、「五段になるために日本に来たわけじゃあない」といったというのがある。それと同じ心境かも知れない。