黒滝正憲
くろたき まさのり
Kurotaki Masanori
1975年7月23日生れ

青森県弘前市出身
1987年(第8回)小学生名人戦優勝。大枝雄介九段門下。1990年入段、1991年二段、1992年三段、1993年四段、1995年五段、1998年六段、2001年七段。2015年3月27日八段(勝ち数=150勝昇段)。
黒瀧正樹五段は実弟。2002年12月に潘坤ト初段と結婚。
棋風:
揮毫:

日本棋院の情報
【2006年2月17日 毎日新聞(東京夕刊)「この一手」】
黒滝七段は青森県出身。アマチュア4段の父親に影響を受け、5歳で碁石を握ったという。「すぐに夢中になってしまって。もう幼稚園のころには一人で碁会所に通い詰めていたほどです。小学校に入ってからはアマチュア大会に毎週のように出ていました。とにかく試合に出ることが好きで、試合に勝つことが喜びでした。強くなりたい一心で碁会所に毎日通っていたんですよ」
小学6年生の時に小学生名人戦の全国大会で決勝戦に進出。相手は小学3年生で2連覇を狙う山下敬吾少年だった。決勝戦はNHKで放送された。結果は黒滝少年の勝ち。山下君が号泣した。碁盤を挟んで向き合っていた黒滝君はどうしていいかわからない様子。あの時の光景を記憶している囲碁ファンは未だに多いことだろう。涙の決勝戦から既に20年。山下少年も黒滝少年も共にプロとなりキャリアを積んでいる。
「昔から序盤が苦手でした。後半戦で石が込み合ってくると俄然、気持ちが乗ってくるのですが…。序盤での構想力や想像力が弱いのだと思います」と黒滝七段。しかしそれでは通用しないことを最近、実感しているのだとも語る。「予選も上の方になって、強い棋士と当るようになると、特に序盤の重要性を強く感じます。低段の頃は後半戦で乱戦に持ち込んで逆転できました。しかし、やはりそれでは限界がある」
自分の打ち方はアマチュア時代の影響が大きいのだろう、と自己分析する。「小さい頃から碁会所に通ってアマの大会に出て実戦だけで育ちましたから。中央の棋士になった人たちは、地方出身者と違ってそんなにアマの大会には出ていないと思うんです。小さい頃から碁が荒れないようにプロの指導を仰ぐか、早くに院生になるなどしていますから」
碁会所やアマ大会での経験が棋士・黒滝七段の原点にある。そのせいもあるのだろう。アマへの普及活動には誰よりも熱心だ。現在、小、中、高校に出向いて指導碁をほぼ無料で打つ活動の幹事をしている。「交通費だけ頂いて要請があれば、どこにでも出向きます。囲碁を広めるには学校に入り込むことが一番。若手棋士たちに呼びかけて有志で行かせてもらっています。学校では級位者の子と打つことが多いんですよ」
地元、青森に帰ると、懐かしい碁会所が店じまいしていたり、規模が小さくなっていたり…。「なんとか囲碁人口を少しでも増やしたい。そのためにできることは何でもしたいと思って。学校に指導碁を打ちに行って、それが実際、どれほど効果が上がるのかはわからないけれど、力を尽したいと思っています」

【1993年3月13日 読売新聞(東京夕刊)「PROFILE」】
青森県弘前市出身の17歳で囲碁三段。久々の大型新人として脚光を浴びている。
4月から日本で開かれる第6回世界囲碁選手権の国内予選でも依田紀基八段、宮沢吾朗九段ら並いる強豪を倒し代表まであと一歩に迫った。三段が九段に勝つのはまれなことだが、これまで九段相手に5勝3敗と勝ち越している。そこでついたあだ名が"九段殺し"。本人は「たまたま勝てた」というが、実力がなくて勝てるほどプロの世界は甘くない。
6歳で司法書士の父から碁を教わり、14歳で初段になりプロの道に。若手棋士が最近あちこちに集まって研究会を開いているが、そこにはあまり顔を出さない。「同じことを勉強しても面白くない。自分で独自の碁を打ちたいから」
目標の棋士は呉清源九段や小林光一棋聖。二人の棋風は違うが、「信念をもって自分の碁を打っている」のがいいという。「他人と違うことをやりたい」頑固な天才肌の少年だ。