高尾紳路
たかお しんじ
高尾绅路
Takao Shinji

1976年10月26日生れ
A型
千葉県出身
田岡敬一門下(森田道博、三村智保、高尾紳路)の一人。藤沢秀行門下。1986年(第7回)小学生名人戦準優勝。1991年入段(14歳)。1998年六段。2000年6月七段。2003年1月10日八段。2005年6月30日九段(本因坊獲得により)。現役110人目の九段。2004年4月、慶応囲碁部女子部の元主将・村上奈津子さんと結婚。
2012年12月31日現在通算成績=826勝342敗2ジゴ1無勝負
2013年36歳??勝??敗通算???勝??敗
2012年35歳33勝19敗通算826勝342敗2ジゴ1無勝負2012年3月1日通算800勝達成
2011年34歳36勝16敗通算793勝323敗2ジゴ1無勝負
2010年33歳33勝22敗通算757勝307敗2ジゴ1無勝負
2009年32歳31勝26敗通算724勝285敗2ジゴ1無勝負2009年3月5日700勝(262敗2持碁1無勝負)達成
2008年31歳35勝23敗693勝259敗2ジゴ1無勝負
2007年30歳29勝18敗658勝236敗2ジゴ1無勝負
2006年29歳30勝22敗1無勝負629勝218敗2ジゴ1無勝負2006年1月19日通算600勝達成
2005年28歳35勝14敗599勝196敗2ジゴ2005年6月30日九段(本因坊獲得により)。
2004年27歳44勝15敗564勝182敗2ジゴ
2003年26歳51勝19敗520勝167敗2ジゴ2003年1月10日八段。
2003年7月24日通算500勝達成
2002年25歳54勝15敗469勝148敗2ジゴ
2001年24歳44勝12敗1ジゴ415勝133敗2ジゴ
2000年23歳47勝18敗371勝121敗1ジゴ2000年6月七段。
1999年22歳61勝14敗324勝103敗1ジゴ
1998年21歳50勝12敗??勝??敗?ジゴ
1997年20歳??勝??敗??勝??敗?ジゴ
1996年19歳??勝??敗??勝??敗?ジゴ
1995年18歳??勝??敗??勝??敗?ジゴ
1994年17歳??勝??敗??勝??敗?ジゴ
1993年16歳31勝11敗??勝??敗?ジゴ
1992年15歳27勝8敗??勝??敗?ジゴ
1991年14歳14勝6敗
1991年入段(14歳)。
棋風:じっくりした手厚い手を打つ。
揮毫:至誠
高尾紳路著作集
張栩:高尾紳路の対戦成績
山下:高尾紳路の対戦成績
高尾紳路:羽根の対戦成績
タイトル獲得数:15個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2016年12月(3期)OVER40戦40歳非公式戦
2016年11月(41期)天元40歳
2014年12月(40期)天元37歳
2014年4月(第52期)十段37歳
2012年3月(第31期)NEC杯優勝35歳
2011年3月(4回)大和証券杯GC戦優勝34歳非公式ネット棋戦
2010年3月(3回)大和証券杯GC戦優勝33歳非公式ネット棋戦
2008年4月(第46期)十段31歳
2007年12月(3回)大和証券杯30歳非公式ネット棋戦
2007年6月(第62期)本因坊30歳3連覇
2006年11月(第31期)名人30歳初リーグ入りで挑戦者に。名人戦史上、初参加即挑戦は初めて。張栩本因坊を4勝2敗で下してタイトル獲得。史上6人目の名人本因坊に
2006年7月(第61期)本因坊29歳
2005年6月(第60期)本因坊28歳初リーグ入りで挑戦者となり、張栩本因坊を4勝1敗で下してタイトル獲得。同時に九段昇段
2004年(第13期)竜星戦優勝27歳
2003年(第33期)新鋭戦優勝26歳
2002年(第17期)俊英戦優勝25歳
2000年(第9期)竜星戦優勝23歳
2000年(第15期)俊英戦優勝23歳
1996年9月(第21期)新人王戦優勝19歳
2002年1月1日以降国際棋戦成績=13勝26敗(対韓国:4勝13敗、対中国:4勝10敗、対他:5勝3敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2009.11.27第11回農心杯第3局金志錫六段(韓国)
2009.04.13第22回富士通杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2009.04.11第22回富士通杯第1回戦周睿羊五段(中国)
2009.02.17第10回農心杯第11局常昊九段(中国)
2008.11.29第10回農心杯姜東潤九段(韓国)
2008.09.05第13回三星火災杯第2回戦孔傑七段(中国)
2008.09.03第13回三星火災杯第1回戦内廼偉九段(韓国)
2008.08.25第4回トヨタ杯第2回戦趙漢乗九段(韓国)
2008.08.23第4回トヨタ杯第1回戦楊士海八段(アジア)
2008.04.30第6回応氏杯第1回戦王磊八段(中国)
2008.04.14第21回富士通杯第2回戦朴永訓九段(韓国)
2008.04.12第21回富士通杯第1回戦睦鎮碩九段(韓国)
2008.03.15第7回春蘭杯第2回戦孔傑七段(中国)
2008.03.15第7回春蘭杯第1回戦張立四段(中国)
2008.02.19第9回農心杯常昊九段(中国)
2007.08.13第3回中環杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2007.08.12第3回中環杯第1回戦蕭正浩五段(台湾)
2007.04.14第20回富士通杯第1回戦王檄九段(中国)
2006.11.26第8回農心杯朴永訓九段(韓国)
2006.08.26第3回トヨタ杯第1回戦朴正祥九段(韓国)
2006.05.17第11回LG杯第2回戦周俊勲九段(台湾)
2006.05.15第11回LG杯第1回戦王雷五段(中国)
2006.05.03第5回CSK杯台湾戦張栩九段(台湾)
2006.05.02第5回CSK杯中国戦常昊九段(中国)
2006.05.01第5回CSK杯韓国戦李世石九段(韓国)
2006.04.08第19回富士通杯第1回戦周俊勲九段(台北)
2005.11.28第7回農心杯戦趙漢乗八段(韓国)
2005.09.28第10回三星火災杯第1回戦李世石九段(韓国)
2005.05.03第4回CSK杯台湾戦周俊勲九段(台湾)
2005.05.02第4回CSK杯韓国戦朴永訓九段(韓国)
2005.05.01第4回CSK杯中国戦王磊八段(中国)
2004.11.25第6回農心杯戦彭筌五段(中国)
2004.11.24第6回農心杯戦劉昌赫九段(韓国)
2004.10.15第6回農心杯戦周鶴洋九段(中国)
2004.08.21第2回トヨタ杯第1回戦宋泰坤七段(韓国)
2004.04.10第17回富士通杯第1回戦孔傑七段(中国)
2003.06.07第16回富士通杯八強戦宋泰坤四段(韓国)
2003.04.14第16回富士通杯第2回戦周俊勲九段(台湾)
2003.04.12第16回富士通杯第1回戦F・アギラールアマ6段(南米)
2001.08.29第6回三星火災杯第1回戦安達勲四段(韓国)
2000.12.06第1回国際新鋭戦楊一四段(中国)
2000.12.05第1回国際新鋭戦尹赫二段(韓国)
2000.12.04第1回国際新鋭戦李延宇四段(韓国)
2000.05.18NEC杯・日中新秀戦許書祥五段(中国)
2000.05.17NEC杯・日中新秀戦許書祥五段(中国)
2000.05.16NEC杯・日中新秀戦許書祥五段(中国)
日本棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 たかお日記 Wikipedia 新浪体育 韓国棋院の情報 日本経済新聞e-碁サロン
写真(10歳) 写真(30歳) 写真(30歳)
【2005年6月30日 沖縄タイムス「人物地帯」】
「大器」と評判の男がようやく、棋聖、名人と並ぶ三大タイトルの本因坊を手にした。「勝てるとは思っていなかった。ほっとしました」。しみじみと喜びを口にした。性格は穏やかそのもの。ややもするとのんびり屋と受け取られることもある。周囲への気遣いは細やかで、棋士や関係者からの受けはいい。酒が入ると一転、陽気になる。闘志を内に秘めるタイプなのだろう。
新人王、NEC俊英などの若手棋戦を総なめにし、頭角を現した。山下敬吾天元、羽根直樹棋聖とともに「若手三羽がらす」と呼ばれた。しかし、三大棋戦のリーグ入りは、あと1歩のところで足踏みを続けた。2年前、十段戦で王立誠十段に挑んだが、2勝3敗で惜敗した。やがて後輩の張栩が本因坊を獲得したことで「三羽がらす」は「四天王」に。若手のリーダー格という位置付けこそ変わらなかったが、実績でほかの3人に水をあけられる時期が続いた。壁は相当に厚かった。
昨年結婚。これが大きな転機となった。私生活が充実したことが、仕事面にも好影響を与えた。初のリーグ入りを果たすと、その勢いは今年に入っても持続し、本因坊挑戦。そして「現時点で最強の人」と本人が認める張栩を倒して、瞬く間に頂点の一角へと駆け上がった。藤沢秀行名誉棋聖に師事し、師匠の手厚い碁を自然に学んだ。その師匠も手が届かなかった本因坊の獲得は、最大の恩返しと言えるだろう。28歳、千葉市出身。

【2005年6月29日 毎日新聞/東京朝刊「ひと」(山村英樹)】
◇2人の師匠の思いが実った――高尾紳路(たかお・しんじ)さん
「3勝した時点でも本因坊になれると思っていませんでした。まだ何も考えられません」。6月28日夜、初タイトル獲得後、こう語った。
史上14人目の実力制本因坊は、若手の間で「高尾先生」と呼ばれる。どんな局面でも最善の着手が分かるから、と対戦者の張栩(ちょうう)氏は由来を語った。「先生」の挑戦を受け、張氏は少し勝手が違ったのだろうか。
小学生の時に碁を覚え、才能を見込まれてアマチュアの田岡敬一さんの指導を受けた。すでに森田道博、三村智保(ともに九段)の先輩両氏がいた。田岡さんはかつて本因坊戦の観戦記を執筆したライターで、1957年に開かれた第3回アマチュア本因坊戦で全国3位に入った強豪だ。
高尾少年はその後、藤沢秀行名誉棋聖に師事し、秀行流の厚い碁をそばで身につけた。名誉棋聖は本因坊戦では2度挑戦したものの敗退。弟子の初タイトルが、名誉棋聖には縁の薄かった本因坊となった。2人の師匠の思いが今、実った。
千葉出身ということもあって、プロ野球はロッテファン。快進撃を続ける今年はたまらなく楽しいようで、第2局が終了した夜にはテレビ中継が試合途中で終わった後、自宅に電話して「奥さんに(ケーブルテレビを見ながら)実況してもらいました」。家庭円満も好調さの秘けつだろうか。
対局中ボヤキ声を発するタイプ。「まいったなあ」など、いろいろな言葉が出る。酒好きだが、対局中の夜は控えめだ。
■人物略歴
千葉市出身。昨年、結婚して妻と2人暮らし。28歳。色紙を頼まれると達筆でいろいろな字を書くが、本人は「習いはしましたが、あまり身についていません」と謙そん。

【2005年6月29日 毎日新聞/東京夕刊(中砂公治)】
第60期本因坊決定戦七番勝負(毎日新聞社主催、大和証券グループ協賛)を制した高尾紳路・新本因坊(28)は、第5局の勝利から一夜明けた6月29日朝、埼玉県秩父市の美やま温泉で「うれしさがわいてきた半面、もっと強くならなければと、責任も感じています」と喜びを語った。
3連覇を目指した張栩・前本因坊(25)を4勝1敗で破り、初めてビッグタイトルを手にした高尾新本因坊。「5局を通して、自分なりに精いっぱい打てたと思います」。だが、「まだまだ勉強が足りないこともよく分かりました」と振り返り、「歴代の本因坊と比べると、自分はあまりにも弱い。先輩方に少しでも近づけるよう、もっと勉強しなければ」と、気を引き締めるように話した。

【2004年1月19日 読売新聞夕刊(林海峰)】
同年代の山下敬吾九段(棋聖)、張栩九段(本因坊)、羽根直樹九段(天元)には、実績面で水をあけられた感がある高尾くんですが、碁の質の高さは決して3人に引けを取りません。かつて加藤正夫さんが初タイトルの懸かった碁に8連敗した後大爆発した例があるように、高尾くんもまた大器晩成なのかもしれません。
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