工藤紀夫
くどう のりお
Kudo Norio

1940年8月2日生れ
AB型
青森県弘前市出身
勝本哲州氏の指導を受け、1952年院生。前田陳爾九段門下。1955年入段。1976年九段。
棋風:窮地に追い込まれたときのシノギがうまい。「眠狂四郎」の異名を持つ。
揮毫:
柳時熏:工藤紀夫の対戦成績
タイトル獲得数:2個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
1999年(25期)天元戦挑戦者59歳
1997年(23期)天元57歳
1985年(10期)碁聖戦挑戦者45歳
1977年(25期)王座37歳
日本棋院の情報 写真(57歳)
【2014年6月19日 『NHK囲碁講座』2014年6月号より】
工藤紀夫(くどう・のりお)九段37歳のときに趙治勲(ちょう・ちくん)二十五世本因坊から初タイトルとなる王座を奪取するも、翌年の防衛に失敗。二つのリーグ戦にも落ちてしまう。そこから20年もの月日を経て、工藤九段は57歳で天元位を獲得、世の熟年囲碁ファンからの大喝采を浴びた。73歳の今、自身の囲碁道を振り返り「生活が苦しくなったときに成績が上がっているのかな」と話す。
57歳でタイトルを取ったということで、周囲の皆さんはかなり褒めてくださったそうですけど、私の中では「不思議だな」という思いしかありませんでした。また強くなったんじゃないかと錯覚もしましたし…。でも次の年、小林光一さんにタイトルを取られて、その翌年にまた挑戦しましたが負かされ、以降はまた元どおりの成績に…。37歳のときもそうだったのですが、どうやら私の場合、2年か3年、突如として成績がよくなるんですね。今になって振り返ってみると「生活が苦しくなったときに成績が上がっているのかな」という気はしています。
37歳のときは、結婚して家を買ったことでお金がなかった。そして57歳のときは新しく家を買って借金があった…。で、タイトルを取って金銭的に安心してしまうと、成績もまた元どおりになるという…。女流棋士はおなかに赤ちゃんがいると、みんな成績がよくなるじゃないですか。あれと同じことが、私の場合は起こっているのではないでしょうか。私はね、続かないんですよ。安心してしまって…。
57歳でタイトルを取って、59歳のときまでタイトル戦に出ていたから、その後もあまり急激に弱くなることはないと思っていましたが、やはり60歳を超えたら、碁は弱くなりますね。私の場合は、先ほどお話ししたモチベーションの問題もあるのかもしれませんが、60歳を超えたら手が読めなくなりました。読めても時間がかかるんです。計算もできない。できてもやはり時間がかかる…。さらに、間違えようのないところで間違えるようにもなりました…。私の同期9人のうち、3人が亡くなりまして、3人が引退。残っているのは私をふくめて3人(林海峰名誉天元、高見沢忠夫六段)だけになりました。でも杉内雅男先生(93歳)のように今なお立派な碁を打っておられる先輩もいるわけですから、私も体が丈夫なうちは手合いに精進したいと思っています。

【2011年10月6日 日刊スポーツ(共同)】
工藤紀夫九段は10月6日、東京都千代田区の日本棋院で打たれた第37期棋聖戦予選で高梨聖健八段に勝ち、公式戦通算1000勝(613敗4ジゴ)を達成した。日本棋院棋士では13人目で、71歳2カ月での達成は最高齢。