河野臨 こうの りん 河野临 Kono Rin | 1981年1月7日生れ 東京都出身 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小林光一門下。1996年入段(15歳)。1999年7月五段。2001年5月六段。2003年通算300勝達成(入段から7年2ヶ月で達成(史上2位))。2003年6月5日七段。2005年通算400勝達成(達成時勝率.768は史上2位タイ)。2005年12月20日八段(天元獲得)。2006年12月15日九段(天元2期により昇段)。2009年10月1日500勝(188敗1持碁1無勝負)達成(史上88人目)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012年12月31日現在通算成績=593勝232敗1ジゴ
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棋風:攻守にバランスがとれた本格派で寄せの正確さにも定評がある。小目を中心にした穏やかな碁。 揮毫: | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
張栩:河野臨の対戦成績 山下敬吾:河野臨の対戦成績 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:9個(うち世界タイトル:0個)
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2002年1月1日以降国際棋戦成績=12勝15敗(対韓国:5勝9敗、対中国:4勝6敗、対他:3勝0敗)
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日本棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 新浪体育 写真 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2006年1月16日 朝日新聞「棋士快声」(荒谷一成)】 若手四天王の一角・山下敬吾天元(27)をフルセットで破って天元位をもぎ取った。初のタイトル奪取からほぼ1ヶ月。「ツキに恵まれたのが大きい。中学3年で入段を決めたときと同じくらい嬉しいです」。次の目標を問うと、「名人、棋聖、本因坊のどのリーグにも入っていないので、まずリーグ入りです。さらに国際戦に出ること、いい棋譜を残し続けること、タイトル戦にいつも出ている棋士になること」 自身の碁については「接近戦でも石が離れた碁でも、どちらも打てるよう心がけています」。ここまですらすら答えたが、質問が性格や好きな本に移ると口が重くなった。「性格はよく分かりません。マイペースとは言われますが…。本は好きでいろいろなのを、中国古典の名言集とか。好きな名言ですか、好きな言葉はいっぱいありすぎて、特にこれというのは…」。沈着で茫洋とした雰囲気である。若いのに老成した感じを与えるあたり、7年前にインタビューした韓国の李昌鎬九段(30)に似通っている。 言葉不足のところを身近な熟年に補ってもらおう。師匠の小林光一九段は「10歳の頃から知っていますが、実にしっかりしていて誠実。碁も力量があって本格的です」。兄弟子の大矢浩一九段は「とにかく品行方正。就寝も9時半とかで囲碁中心の日々。超がつく真面目さだね。最近碁に柔軟性が加わった感じがする」。 【2005年12月25日 沖縄タイムス「人物地帯」】 「実感がまだわかない。時間がたってみないと」。いつもの冷静な表情は崩さなかったが、眼鏡の奥の目尻を少しだけ下げた。第31期天元戦5番勝負で、強豪で知られる山下敬吾天元を3勝2敗で破り、初のビッグタイトルを獲得。これからの日本の囲碁界を担う24歳のホープが初の天元位に就いた。 碁との出合いは、父親から手ほどきを受けた小学2年の時から。「(実力は)2年で父を抜いたんですけど、遅いぐらいでしたね」 ここからプロへの道を歩き出し、1991年に日本棋院の院生となった。勝てない日々が続いたが、小林光一・九段の門下生になってセンスを発揮。めきめきと腕を上げ、1996年にプロ入り。 2001年の世界選手権・富士通杯では日本代表の座を獲得し、本戦でも中国トップクラスの2人を破ってベスト8に入った。その実力を見込まれ、中国で人気の高い「中国甲級リーグ」のメンバーにスカウトされた。1年契約で5回対局。「いい刺激になった。日本と中国を往復して遠征にも慣れた」 178センチ、70キロと一見、きゃしゃな印象を受けるが、体調管理は怠らない。自宅近くのトレーニングジムに週3、4回通い、体力増強に励んでいる。「体力は大丈夫ですよ」と笑う。中学を卒業して高校には進学せず、碁一筋の道を歩む。「日本はまだまだ世界のレベルから離されている。世界戦に勝つことでトップに立てると思う」。東京都出身。 【2005年9月17日 西日本新聞】 第31期天元戦の挑戦者になった河野臨(こうの・りん)さん 「終盤に錯覚もあり、足りないかと思いましたが、運よく勝てました」。大阪・北浜の関西棋院で、9月15日にあった第31期天元戦挑戦者決定戦。わずか半目の接戦で、関西棋院の強豪、今村俊也九段(39)を下した。11月からの天元戦五番勝負では、山下敬吾天元(27)と戦う。対戦成績は3勝4敗とほぼ五分。初めての七大タイトル挑戦だが、勝機は十分にある。「山下天元には、2年前の挑戦者決定戦で負けているので、借りを返したい。自分の力を精いっぱい出し切るよう心がけたい」とタイトル獲得に意欲を見せる。 8歳で父親から囲碁の手ほどきを受け、小学校6年生で小林光一・九段に弟子入り。だが当初は「棋士になる」との強い決意はなく「何となく」。プロ入りを決心させたのは「焦り」だったという。「中学3年のとき、周りの同級生は進学希望校を決めているのに、僕だけ具体的な進路が決められなかった。もう、囲碁しかないと」 中学卒業と同時に入段し、プロ棋士に。形勢がよくても、悪くても表情が変わらないポーカーフェースは勝負師の証し。手堅い棋風で、毎年好成績を挙げ、昨年は若手実力者が集まる「JAL新鋭早碁戦」で優勝、大器の片りんを見せた。 尊敬する棋士は師の小林九段と、世界最強とされる韓国の李昌鎬九段。「先の見通しが正確で、無理なく勝っているところがすごい。自分にはないところです」。東京都西東京市内で、両親とともに暮らす。日本棋院所属。七段。24歳。 【「囲碁講座」2001年9月号(内藤由起子)】 8歳のとき初段くらいの棋力のお父さんから碁を教わった。池袋の碁会所や「仁風会(旧:木谷会)」に通いながら上達し、小学5年生で院生になった。アマ5、6段だったという。小学6年の終わり頃、小林礼子七段(小林光一夫人、故人)に「うちの研究会に来てみない」と誘われ、そのまま小林光一門下になった。 プロになるための修業はしていたが、今一つ真剣になれなかった。中学3年になると高校進学を目指す友達を尻目に、「高校が決まらなくて」不安になり、途端に囲碁に気合いが入った。入段試験も「李昌鎬先生になって世界選手権で打っているつもりで」打ったという。 師匠の小林光一九段や李昌鎬九段の棋譜をよく並べるという。「両先生とも勝つべくして勝っている。自分にあっている碁だと思います」。棋譜並べについて「ただ漫然と勉強しても何にもならない。負けた時には何で負けたかを意識しながら並べています」という。 張栩七段、山田拓自六段、張豊猷五段らがほぼ同世代で仲がいい。手合が終わった後食事に行ったり、卓球をやったりするそうだ。河野六段は大食漢で有名だが、本人は「人よりちょっと多いかなという程度」という。 【1996年12月9日 読売新聞東京夕刊】 羽生善治六冠王から竜王位を奪回した谷川浩司九段は史上最年少で名人になったが、囲碁でも若くして快進撃を続けている人がいる。今年、現役最年少でプロ棋士としてデビューした河野臨二段(15)。同世代よりも一足早く自分の進路を決めた。河野君は小学校2年の時に、父親から教わって囲碁を始めた。5年生の時、プロ棋士の養成機関である「院」に入り、本格的に取り組みはじめた。「好きなことをやっているのだから、迷いはありません。好きなことで食べていけるのが一番です」 高校進学をやめ、1日8時間は囲碁の勉強にあてている。ほかのことには興味がない。どうして囲碁だけに集中していられるのだろう。無口な河野君の「好きなことだから」という言葉から、彼の情熱が静かに伝わってきた。子供の熱意を信じて、高校に進学せずにプロ入りすることに何も言わず賛同してくれた両親が心の支えとなっているのだろう。 囲碁は、年齢・国籍にかかわらずにできる。「一局打つと、相手のことが分かります。碁盤をはさめばみんなが対等です」と、河野君は囲碁の魅力を語った。目標は、師匠(小林光一九段)のような日本一の棋士になることだ。早過ぎる選択ではないか、若いうちには多くの世界に触れてみたいと考える十代も多いだろう。だが、河野君のように夢の基盤を築いている人もいる。 |