矢代久美子 やしろ くみこ Yashiro Kumiko | 1976年7月31日生れ B型 東京都出身 | |||||||||||||||||||||||||
1994年入段。1999年5月三段。2001年4月四段。2002年10月3日五段。2013年7月12日六段(勝ち数=90勝昇段)。 2006年7月11日、金沢秀男七段と結婚。 | ||||||||||||||||||||||||||
棋風: 揮毫:気合 | ||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:2個(うち世界タイトル:0個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝4敗(対韓国:0勝2敗、対中国:1勝2敗、対他:0勝0敗)
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日本棋院の情報 新浪体育 写真(6歳) 写真(29歳) 写真(30歳) | ||||||||||||||||||||||||||
【「囲碁講座」2002年3月号(高見亮子)】 囲碁は6歳の時にアマ6段のお父さんから習った。プロにさせたいというお父さんの希望で、「ずっとプロにならなきゃいけない」と思っていたそうだ。木谷会(現・仁風会)に通い始めたのが小学3年。小林泉美五段や武宮陽光四段らがいた。「泉美ちゃんは当時から熱心でした。私はその隣で遊んでいました」。 中学2年の時に「もっと碁ができる環境に自分を置きたい」と自ら幕張の日本棋院の寮に入った。学校が終わると、まっすぐ寮に帰る毎日。「当時、趙治勲先生が幕張に通って開いてくださった研究会」や藤沢秀行先生の合宿で学びつつ、当時院生で圧倒的に強かった祷陽子、梅沢由香里を抑えて17歳でプロ入りを果した。 16歳の時の入段予選では全然勝てなくて、泣きながら碁を打ったという。棋士の例に漏れず、人一倍の負けず嫌いである。 |