吉原由香里 よしはら ゆかり 梅泽由香里 Yoshihara Yukari | 1973年10月4日生れ O型 東京都出身 | |||||||||||||||||||||||||||||
1996年4月入段(22歳)。1999年8月三段。2000年6月四段。2002年9月6日五段。2011年4月1日改名(梅沢→吉原)。2013年2月26日六段。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
棋風: 揮毫:至楽、和心、大楽 梅沢由香里著作集 | ||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:3個(うち世界タイトル:0個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝5敗(対韓国:1勝1敗、対中国:0勝4敗、対他:0勝0敗)
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【2005年8月22日 産経新聞】 「自分でも驚いています」と一言。2005年5月に日本の女性棋士として初めて国際囲碁連盟の理事に就任した。同連盟は、囲碁の技術、精神を発展させ、世界の囲碁界を組織化する事業目的で1982年に発足。チェス、ブリッジなどと共同し、最終的には国際オリンピック委員会の支持を得て、頭脳スポーツのみの公認大会開催を目指している。 昭和48年、東京生まれ。加藤正夫名誉王座門下。慶応大学環境情報学部卒。平成8年に入段し、4月から2年間、NHK杯戦の司会を担当。平成14年に五段昇段。同年、女流プロ最強戦準優勝。15年、女流鶴聖戦準優勝。監修した漫画『ヒカルの碁』は囲碁普及の追い風となり、子供たちの間に囲碁ブームが広がった。 「ボードゲームの大会が、パラリンピックのように北京(五輪)の後にできればいいですね。そのお役に立てれば、と思っています。(監修した漫画の)『ヒカルの碁』が世界に広まって、そのぶん知名度も多少はあるみたいで、それがプラスになってくれればうれしいな、と。具体的な活動についてはまだ、これからです」 囲碁普及への関心は、「入段したときに、『技術の向上はもちろん、文化の普及に努めること』と聞かされたので、プロである以上、普及発展は使命、やれることはやっていきたい」と思ったことから始まった。「囲碁は、こうやったらすぐ覚えられるという入門方法が確立されていないんです。大人は理屈で、子供は体で覚えるというか…。最初のころは入門者の気持ちが分からなかった」。試行錯誤の連続だったが、最近では「自分と同じ中間世代が少ないので、まず友達に教えたりして地道に普及しています。3時間くらいで打てるようになるんですよ」 プロテストに落ちること十数回、自分の道への迷いが吹っ切れ、生来の負けず嫌いが実を結んだのは大学4年のときだった。卒業後にプロ棋士としてデビュー、同時に囲碁番組の司会に抜擢(ばってき)された。“アイドル棋士”として各方面から引く手あまたで多忙を極める。だが、プロとして実績を残していないことで精神的に追い込まれ、当時はファンからの「がんばってください」の言葉もプレッシャーだった。 3年前に女流棋戦で決勝まで進んだ。着実に実績を重ね、手を伸ばせばタイトルをつかめるところまできた。激励の言葉にも「本当にありがとうございます、と思います。自分が頑張ったときに喜んでくれる人がいると思うとこんなにうれしいことはありません」と素直に受け取れるようになった。 結婚して4年目。今は家庭に、手合いや研究会が中心の生活。「イベントなどで地方へ行くのは月に一、二度くらい」と、ゆとりもできた。読書好きで「寝る前に読むのが好きで、至福の時間です。料理の本だと、おいしそう、と幸せな気分で眠れるんですよ」。今年の成績は「全然ダメです。聞かないでください」と頭を抱えながらも、「必ず復活しますからみていてください」と力強く宣言した。(文 榎本弘幸) 【「週刊碁」(2004年12月6日号)】 この度、初の国際試合に出させて頂きましたが、日本を出る前からすごく緊張をしていました。北京に着いたら、記者会見などもあり注目度が全然違い、もうカチカチでした。韓国、中国の棋士は物凄く強いというイメージがあり、本当に戦えるのか不安でした。終わってみたら1勝1敗でしたが、戦う前のイメージほど差がなかったというのを実感したのが大きな成果でした。あとの4選手にもぜひ頑張って頂きたいと思います。私にとって、今回の世界戦はとてもいい刺激になりました。 小学1年で囲碁を始め、1987年、加藤正夫九段に入門。1995年12月、女流棋士特別仮採用試験(プロ試験)合格。1996年3年に慶大を卒業。1996年4月入段(22歳)。1996年4月から2年間NHK杯戦の司会を担当。2002年1月サッカー選手と結婚。 |