加藤啓子
かとう けいこ
Kato Keiko

1978年6月12日生れ

茨城県出身
1999年4月1日入段。2000年三段。2001年11月四段。2006年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。2008年4月1日六段(賞金ランクで昇段)。
2006年11月19日、溝上知親八段と結婚。
棋風:
揮毫:
タイトル獲得数:2個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2008年(10期)女流最強30歳
2007年3月(19期)女流名人戦優勝28歳
2003年(第6期)女流棋聖戦挑戦者25歳
2001年(第4期)女流棋聖戦挑戦者23歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=2勝4敗(対韓国:0勝2敗、対中国:1勝2敗、対他:1勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2008.11.13第7回正官庄杯戦宋容慧初段(中国)
2008.04.02第6回正官庄杯戦李文真五段(韓国)
2007.10.31第1回遠洋地産杯八強戦張旋八段(中国)
2007.10.30第1回遠洋地産杯2回戦青木喜久代八段(日本)
2007.01.18第5回正官庄杯戦李文真五段(韓国)
2007.01.17第5回正官庄杯戦鄭岩二段(中国)
日本棋院の情報 写真(28歳)
【2013年1月12日 産経新聞(伊藤洋一)】
7人の女流トップ囲碁棋士が半年かけて総当たりする「第26期女流名人戦」(産経新聞社主催)リーグで1位になり、謝依旻(しぇい・いみん)女流名人(24)への挑戦権を獲得した。1月9日の最終局は、盤の前に8時間座り、双方で300手を要した末、最も差の小さい「半目勝ち」。打つ場所(交点)が361ある盤面で、相手の陣地が碁石1つ分多ければ負けで、挑戦権は他の棋士に渡っていた。「自分の力だけではない、運も味方してくれた」と話す。
多く勝つ、強い棋士には次がある一方、そうでない棋士は対局が少ない勝負の世界。井山裕太六冠(24)らトップ級は週に1度、コンスタントに対局があるのとは対照的に3カ月近く間隔があいた。昨年11月に第2子を出産したからだ。長男を出産した際の産休期間に比べれば短いが、「研究時間もほとんど取れず、生活の9割が育児の時間になっている。形勢判断ができず、終局したときも自分が勝ったとは思わなかった」。“職場復帰”初戦は、感覚を取り戻すのに苦労したようだ。出産前に考えていた女児の名があった。秋に生まれる子供にはふさわしくないとの懸念もあったが、夫の囲碁棋士、溝上知親八段(36)も同じ名前を挙げた「さくら」に決めた。
入段15年目の中堅。平成19年に女流名人位を奪取するなどタイトル獲得は2期で、21年の女流棋聖戦以来のタイトル戦登場。7連覇を目指す謝との三番勝負は3月5日から始まる。「久しぶりの大舞台。楽しい碁をお見せできれば」。桜満開を期している。

【2007年2月6日 朝日新聞「棋士快声」】
慶事は続くもののようである。昨秋の「いい夫婦の日」11月22日に溝上知親八段と結婚し、2007年1月は女流名人戦の挑戦者決定戦で小西和子八段に白番2目半勝ち。青木喜久代女流名人への挑戦権を手にした。「私、“緊張しい”なんです。タイトルとか周りの期待とか意識しがちで。普段の力が出せればチャンスはあるかな」。挑戦手合は過去2回の女流棋聖戦についで3回目である。初のタイトル奪取で「慶事三拍子」となるか。
師匠はないが、元アマ名人・菊池康郎さん主宰の緑星学園にプロ入り前の16歳から3年間通った。青木女流名人は「緑星の長女」だから同門対決である。先輩の棋風を問うと「厚みの碁かな。相手が誰であろうと縮こまらず緩みもしない人です」。対して自己評は「取れるものは頂いて速く逃げたい碁」。両者の対戦成績は2勝2敗、「いつもグチャグチャの乱戦になっちゃうの」。
夫の溝上八段も緑星学園出身だ。2人とも静かな性格で「まったりした家庭です」。親しくなったのは2年ほど前からという。小学生時代は新潟育ち。スキーの授業もあったから腕に自信はある。片や溝上八段は長崎県佐世保市育ちで海の子。1年前、スキーに誘ってグンと接近したらしい。交際も趣味も布石でリードしたのだろう。囲碁は夫に教えてもらう立場だ。「私の碁はよく見てもらうけれど、対局は1度だけ。私の指導碁よりネットで打つ方が、彼のタメになると思うから」