瀬戸大樹
せと たいき
Seto Taiki

1984年3月27日生れ
A型
三重県出身
関西棋院所属。2000年1月入段(15歳)。2000年二段。2000年関西棋院新人賞。2001年4月9日三段。2002年3月四段。2003年4月14日五段。2004年7月12日六段。2009年6月24日七段(勝ち数=120勝昇段)。2016年2月19日八段(勝ち数=150勝昇段)。
2013年結婚。
2012年12月31日現在通算成績=419勝160敗
2013年29歳??勝??敗通算???勝??敗
2012年28歳32勝20敗通算419勝160敗
2011年27歳30勝18敗通算387勝140敗
2010年26歳32勝12敗通算357勝122敗本因坊戦リーグ入り。
2009年25歳27勝12敗通算325勝110敗2009年6月24日七段(勝ち数=120勝昇段)。
2008年24歳28勝13敗通算298勝98敗
2007年23歳31勝12敗通算270勝85敗
2006年22歳27勝16敗通算239勝73敗
2005年21歳30勝12敗通算212勝57敗
2004年20歳35勝11敗通算182勝45敗2004年7月12日六段。
2003年19歳34勝11敗通算147勝34敗2003年4月14日五段。
2002年18歳45勝12敗通算113勝23敗2002年3月四段。
2001年17歳44勝9敗通算68勝11敗2001年4月9日三段。
2000年16歳24勝2敗
2000年1月入段(15歳)。2000年二段。
棋風:
揮毫:青雲
瀬戸大樹著作集
タイトル獲得数:2個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
2021年11月(第2期)関西囲碁オープン戦37歳非公式。
2015年11月(第11期)産経プロアマ戦優勝31歳非公式戦。関西棋院公式戦。
2008年10月(第4期)産経プロアマ戦優勝24歳非公式戦。関西棋院公式戦。
2004年6月(第1期)中野杯優勝20歳非公式戦
2001年1月1日以降国際棋戦成績=0勝1敗(対韓国:0勝1敗、対中国:0勝0敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2006.08.26トヨタ杯第1回戦朴永訓九段(韓国)
関西棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 ネット棋院の情報 新浪体育 日本経済新聞e-碁サロン Wikipedia
写真(17歳) 写真(19歳) 写真(20歳) 写真(23歳)
【2006年8月28日 日本経済新聞囲碁HP】
初出場の世界戦・トヨタ杯第1回戦はほろ苦い敗戦であった。(8月28日正午過ぎに控室に入り、26日の1回戦の対局を振り返って)1回戦は序盤から苦しい碁でした。中盤でもっとパンチを入れなければいけませんでしたが、相手の手も鋭く、うまくかわされてしまいました。対戦相手の朴永訓九段は「ヨセが世界一」と呼ばれる相手ですが、私にはむしろ中盤の鋭さが印象的でした。もっと実力を付けて再びこのような舞台に立てるよう頑張りたいと思います。

【「囲碁講座」2001年11月号(内藤由起子)】
碁との出会いは父・優知(まさのり)さんの影響によるものだった。大樹「はっきりとは憶えていないのですが、4、5歳の頃、父が碁を打っていたか並べていた時に割り込んで行ってらしんです。父が"やってみるか"と教えてくれたらしい。小学1年の時には明かにやってました」。父・優知「1年生の夏休みに奈良県榛原市の子供囲碁教室に連れて行ったんです。そこの菜嶋富男先生からすぐに"この子はプロになれる"と言われたんです。親としては嬉しくないわけないですわな」
毎日の勉強法は、棋譜並べと「玄玄碁経」などの詰碁。そして碁会所に行っての実戦というパターンであった。大樹「父は厳しかった。大会で負けたら反省させられましたし、日曜とか休日に友達の家にゲームをしに行ったりすると怒られました。一日何局並べろといったノルマのようなものもありました。技術的なことは言われませんでしたが、碁に対する態度とか、生活習慣について厳しく言われました」父・優知「小学4年くらいまでは碁一色という生活ではなかったですよ。"楽しくやってくれればいい"くらいの感覚でした。碁に限らず何事も、"子供は楽しんでやるのが一番"だと思ってますから」
上達スピードは驚くほどのものではなかったという。小学6年の頃にはアマ5、6段にはなっていたが、小学3年の時少年少女大会の三重県代表になって以来、4年連続で全国大会に出場したが勝ち星はわずか2勝。2回戦を勝ったことはなかった。プロ棋士の幼少期に付き物の"神童"的なエピソードとは無縁だった。プロへの憧れは小学3年の頃から漠然と目覚めていたという。 瀬戸大樹四段のご両親は学校の先生。小学1年のときにアマチュア初段の父親から囲碁を教わった。「始めた頃から碁は楽しかったです。すぐプロになりたいと思いました」。腕をめきめき上げ、小学3年から6年まで全国少年少女囲碁大会に三重県代表として出場したが、毎回2回戦で負けた。その頃は勝負強くなかったようだ。
小学6年の時から週2回、1時間ほどかけて学校が終わってから奈良県榛原の子供教室に通った。すでにプロ棋士になろうと決めていたという。中学から名古屋の羽根泰正九段の「泰正会(たいせいかい)」に通って勉強。中学1年のときに大阪の碁会所で森野節男九段に見出され、中学2年から関西棋院の院生になるために大阪で寮暮らしを始めた。「不安は全くありませんでした。碁ができるのが楽しみで」。関西棋院は将来を期待している子供をこの寮に入れる。寮には中野泰宏七段がいた。瀬戸くんには願ったり叶ったりの環境だった。瀬戸大樹四段はすぐに院生になり、あっという間に入段を果たした。中学3年、15歳の入段であった。
入段してからの瀬戸大樹四段は「常勝」の棋士。1年目(2000年)の成績が24勝2敗、2年目(2001年)の成績が44勝9敗、3年目(2002年)の成績が37勝7敗(10月25日現在)。通算105勝18敗、勝率85.37%。入段3年目ですでに100勝を超えている。これは山下敬吾七段、張栩七段(ともに入段4年目で100勝突破)のペースを上回る。勝率85%は脅威的としか言いようがない。入段3年目の18歳はこれから世界に羽ばたこうとしている。