宮崎志摩子
みやざき しまこ
Miyazaki Shimako
1968年10月22日生れ

福島県出身
大枝雄介門下。1987年入段、1988年二段、1999年三段。2004年2月12日四段。2011年3月31日引退。
将棋棋士・中川大輔六段の奥様(1996年10月結婚)。宮崎龍太郎六段は実弟。
棋風:
揮毫:
1988年(10期)女流鶴聖(19歳)
1989年(1期)女流名人(20歳)
日本棋院の情報
【1989年5月29日 読売新聞(東京夕刊)「明日の顔」】
みやざき・しまこ 囲碁二段、1968年、福島県生まれ。大枝雄介八段門下。1987年入段、1988年二段。現在、女流鶴聖、女流名人。1989年、棋聖戦2段の部優勝。
デビュー3年目で、女流棋界に敵なしの勢い。女流棋士に負けたのは32局の対局でわずか2つ。この間、3つある女流タイトルのうち2つを手に入れ、日本棋院「棋道賞」の女流賞を2年連続で受賞した。男性棋士とも互角以上の成績。男女の力量差が大きい囲碁界では、久しぶりの女流の大器といわれる。
でも本人は戸惑い気味だ。「根本的に実力が足りない。自分の弱さにあきれているんです。で、ひどい碁を打つと落ち込んで、映画や買い物で気を紛らわせるんです」映画はSFやアクション物。それにパンプキンとチーズには目がない。
碁はアマ高段の力を持つ父親に、8歳から習った。「勉強しなくていいからと、無理やりすわらされて」3年後にアマ四、五段の実力をつけ、プロの卵である日本棋院の院生に。「“プロになりたい”は、自分の意思だったと思う」という。父親の特訓ともくろみは成功した。宮崎家ではこうして、子供3人のうち、二女の志摩子と弟の竜太郎がプロになった。
スケールの大きな棋風。奔放で工夫した打ち回し。ある高段者が「乱暴な碁だなあ」と評したように、まだ粗けずりではある。しかし、持ち前の勝負度胸とパワーで相手をねじ伏せるところに、大器の片りんがうかがえる。周囲のただ一つの心配は、囲碁への情熱を失わせるような、かっこいい男性が現れること。「碁だけの人間になりたくはないし……。そうなったら急にやめちゃうかも」今月は日中囲碁の団員として、中国に行って来た。女流が強い中国で一段と腕を磨いたに違いない。

囲碁の女流対戦 宮崎志摩子二段22連勝ならず
【1988年9月24日 読売新聞東京朝刊[盤側]】】