孔令文
こう れいぶん
Ko Reibun
1981年9月24日生れ

中国出身
中国出身、日本帰化。菊池康郎氏に師事。1998年4月1日入段、2000年二段、2001年三段、2002年12月四段。2006年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。2007年4月1日六段(賞金ランクで昇段)。2012年1月1日七段(賞金ランクで昇段)。
父親は中国棋士・聶衛平九段、母親は中国棋士・孔祥明八段。2003年11月30日結婚。妻は小林覚九段の次女・小林清芽(さやか)さん。
棋風:
揮毫:

日本棋院の情報 読売新聞「岡目八目」
写真
【2003年11月7日 毎日新聞(夕刊)「この一手」(石井妙子)】
今から5年前、16歳で入段した頃は自他ともに認める「やんちゃ坊主」だった。人懐っこくて誰からも好かれる。棋院内でも仲間を引き連れて常に賑やかな輪の中心にいた。その孔令文四段も今年22歳、最近では「大人になった」「落ち着いた」「変わった」と専らの評判である。
孔四段の父は「鉄のゴールキーパー」と呼ばれた中国の大棋士・聶衛平九段、母はやはり中国女流棋士界の第一人者として知られる孔祥明八段である。名高い棋士の間に生れ、さぞかし幼い頃から英才教育を施されたのだろうと想像されがちだが、実際は違う。両親は息子にまったく碁を教えようとはしなかった。というのも孔少年は学校の成績が抜群で、とりわけ数学に特異な才能を見せた。小学校低学年で数学オリンピック北京大会2位になってしまうほど。「末は科学者に」。それが少年の夢であり、両親の希望でもあった。
しかし、そんな少年の境遇にやがて大きな転機が訪れる。両親が1991年に離婚し、母と二人、故国を離れて日本に渡ることになったのだ。祖父母や友達と別れる寂しさ、なによりも父と母の離別が少年にはつらかった。やがて父への思慕に反抗心が複雑に入り交じる。来日すると少年はそれまでルール程度しか知らなかった囲碁に本気で取り組もうと思い立つ。「僕がこんなに寂しいのもお父さんのせいだ。こうなったら囲碁を勉強して、お父さんを負かしてやる!と当時は真剣に思ってたんです」と孔四段は笑う。
母は少年が囲碁を始めることに大反対だった。しかし日本語のできない息子の身を案じ、囲碁を通して友達を作れるならば、と緑星学園に通うことを許した。一方、少年はあくまでプロになることにこだわった。「それだけは認められない」と猛烈に反対する母を押し切って入段を果たしてしまうのは、来日して6年目のことだ。もともとは父を負かそうとして始めた囲碁である。しかし、プロを目指す中で囲碁を通じて改めて父の偉大さを知ることになる。父へのわだかまりは自然と消え、尊敬の念だけが強く残った。
最近、「もっと頑張りたい」と心から思う。きっかけはアマチュア囲碁ファンとの出会いだった。年齢が上がるにつれて教室や指導碁などの仕事が増えて行く。それまであまり接する機会のなかった囲碁ファンとの出会い。「先生、今度の対局頑張ってね」。そんな一言が自分に向けられる。うれしかった。「それともう一つ、今年、結婚したことも大きいですね(注)」。自分のために家族のために、周りの人のために頑張りたいという。
「今はまだ目標を具体的に挙げられるような立場ではありません。ただ全力を挙げて強くなりたい」。少年の殻を脱ぎ捨てて孔四段は今、大きく羽根を広げようとしている。