万波佳奈 まんなみ かな Mannami Kana | 1983年6月16日生れ A型 兵庫県出身 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大枝雄介門下。1995年(第16回)小学生名人戦優勝。2000年入段。2001年5月二段。2004年4月1日三段(賞金ランクで昇段)。2007年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。 2002年4月-2004年3月NHK杯戦聞き手となり、人気上昇。万波奈穂初段は実妹。2011年5月1日、結婚(相手は小学校の同級生の会社員)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
棋風: 揮毫:向日葵(ひまわり) 万波佳奈著作集 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:2個(うち世界タイトル:0個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=3勝7敗(対韓国:2勝2敗、対中国:1勝5敗、対他:0勝0敗)
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【2006年2月27日 朝日新聞「棋士快声」(荒谷一成)】 女流棋聖は2年前に初めて奪取して翌年失い、今年再び取り戻した。相手は3回とも知念かおり四段。1勝1敗で迎えた今年の第3局は中盤形勢を損ねたが、粘り勝った。「林海峰名誉天元の言葉を頼りに、勝負を諦めなかったお陰です」 起死回生をもたらした言葉は「大事な碁は死に物狂いで打ちなさい」である。内弟子時代の張栩名人に与えたもので、3年前「月刊碁ワールド」を読んで知ったという。当面の目標は四段への昇段、中期的な目標は男女一緒の棋戦で成績を上げること。人間的な成長にも関心が強い。 「失敗しても騒いで忘れるのでなく原因を突き止めて納得し、タイトルを取っても自惚れず謙虚に。心がけているつもりですが、2年前にはやはり自惚れがあったのだと反省しています」。妹の奈穂さん(20)が4月からプロになる。「妹はバランスの碁で、私は攻めの碁、性格も妹が繊細で社交的なのに、私は鈍」。対照的な姉妹らしい。 10代の頃は松本清張の短編が好きだった。近年は「日経ビジネス」なんて経済誌をよく読むそうだ。棋士には無縁に思えても結構つながっているという。「ビジネスリーダの普段の心掛けや仕事の取り組み方を知ることは、すごく参考になります」。しっかりしたことを、にこやかに話す。プロ入り以来、色紙に「向日葵(ひまわり)」と揮毫してきたが、次は「澄心(ちょうしん)」を考えている。 【「囲碁講座」2002年5月号(内藤由起子)】 5歳の時に岩田一八段からルールを教わった。「習い事の一環だったんですよね。水泳、お絵かき、新体操もやっていました」。囲碁以外は1年以内にみんなやめてしまっている。「碁だけですね、続いたのは。歩ちゃん(鈴木歩二段)とかお友達がいましたし、おやつが楽しみでした」。 小学6年で小学生名人(女子では初めて)になり、2000年に16歳でプロとしてスタートを切った。 勉強は専ら家で打ち碁を並べる。「坂田先生、林先生の碁をよく並べています。まだ弱くて全部は分かりませんが流れがスゴイなと思います」。研究会では兄弟子の柳時熏七段らにも教えてもらうという。 |