宮下秀洋
みやした ひでひろ
Miyashita Hidehiro
1913年12月20日生れ

福島県出身
1976年8月8日没。享年62歳。1921年、8歳のとき方円社塾生。半年後帰郷。1922年、9歳のとき本因坊秀哉に入門。日本棋院創設時の第1期院生として高川格、苅部栄三郎等と腕を磨く。1930年、17歳で入段、1932年二段、1933年三段、1934年四段、1944年五段、1948年六段、1949年七段、1952年八段、1960年九段。七段から九段にかけて毎年昇段し「宮下のごぼう抜き昇段」と言われた。1976年62歳で死亡。
宮下鈴枝は長女、門下に菅野清規、石橋千涛、時本壱。
棋風:目を見張る力戦派。「福島の猛牛」(宇崎玄々子の命名)と呼ばれる。
揮毫:
タイトル獲得数:4個(うち世界タイトル:0個)
対局日棋戦名年齢コメント
1971年(第3期)早碁選手権戦優勝(58歳)
1962年(第10期)王座戦優勝(49歳)
1958年(第3期)早碁名人戦優勝(45歳)
1957年(第2期)早碁名人戦優勝(44歳)
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