村川大介 むらかわだいすけ Murakawa Daisuke | 1990年12月14日生れ 兵庫県出身 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関西棋院所属。森山直棋九段門下。2002年11月1日入段(11歳10ヶ月)。2004年6月21日二段。2005年6月30日三段。2007年4月1日四段(賞金ランキングによる昇段)。2008年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。2010年11月6日七段(関西棋院第一位獲得)。
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2012年12月31日現在通算成績=266勝130敗
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棋風: 揮毫: | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
村川大介著作集 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:9個(うち世界タイトル:0個)
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関西棋院の情報 日本経済新聞e-碁サロン 「きまぐれリレー日記」(幽玄の間) 写真(11歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2005年12月14日 読売新聞大阪夕刊「人物さろん」(山田博之)】 12月14日で15歳になった国内最年少棋士。最近、プロ魂を刺激される出来事が相次ぎ、勝負へのどん欲さが出てきた。10月には1歳上の井山裕太七段(16)(日本棋院)が、全日本早碁オープン戦で国内棋戦の最年少優勝を達成。関西期待の大器として常に比較されてきた相手だけに、「あれは驚いた。本当はライバルと言いたいところだが、力に差があり、目標にさせてもらう」と謙虚に語る。 11月には中国・北京で行われた日中青年対抗戦で、日本チーム(7人)が中国チームに13勝29敗と大敗した。主将の井山七段は1勝5敗で、村川三段も2勝4敗と振るわなかった。しかも負かされた相手の1人は12歳。「年下に敗れたのは初めて。ショックだった」と打ち明ける。これまで国内に目が向いていたが、中国の若手の強さを肌で感じ、「世界戦での活躍」が新たな目標になった。「韓国や中国で武者修行して強くなり、結果を出したい」 小学1年で会社員の父に囲碁を習い、小学6年の秋に関西棋院の棋士になった。3年間で51勝37敗、勝率5割8分の好成績。今年7月に非公式戦の本因坊秀策杯で石田篤司九段(36)らを下して優勝するほど地力がついた。兵庫県西宮市で両親、妹と暮らし、現在中学3年。対局や研究会で忙しく、週2、3日しか登校できない。それでも囲碁の勉強時間が足りないといい、進学はしないつもりだ。 厚みを築いて攻め立てる棋風だが、相手を粉砕するパワーに欠け、「失敗を恐れず踏み込む気持ちを持ちたい」と課題を語った。全国の愛好者から注目される大舞台に、10代で登場するのではないか。そんな期待感を抱かせる若武者だ。 【2003年1月16日 神戸新聞】 史上2番目の若さで、囲碁のプロ棋士になった西宮市立鳴尾北小学校六年生、村川大介君(12)=西宮市花園町=が1月15日、大阪市中央区、関西棋院であった第30期天元戦(神戸新聞社主催)で公式戦に初出場した。緊張した面持ちで臨んだ村川君は、序盤の苦戦をばん回できず、惜しくも敗れた。 村川君は昨年11月1日、プロ初段になった。二十五世本因坊治勲(46)の11歳9カ月の最年少記録よりわずか1カ月遅いプロ入りで、今後の活躍が期待されている。 午前10時の対局前に現れた村川君は紺のブレザー、えんじ色のネクタイ姿。こわばった表情をみせた。対戦相手は星川愛生初段(22)。対局は序盤から攻められ苦戦を強いられる展開に。終盤に激しく追い上げたが、わずかに及ばなかった。 デビュー戦を白星で飾れなかった村川君は「緊張のあまり、肩に力が入り過ぎました。悔しい思いでいっぱい。次は必ず勝ちたい」と残念そうだった。 【2002年11月30日 神戸新聞】 平安時代の天才棋士の霊を宿した少年が、次々に強敵を倒していく。そんな設定の人気漫画「ヒカルの碁」が子どもたちをとりこにしている。平成11年から「少年ジャンプ」で連載開始。単行本も18巻を数え、テレビでも放映中だ。主人公ヒカル少年の成長とともに、盤面の戦いは回を追って高度になる。梅沢由香里五段が監修を担当しているから、かなり覚えのある大人がうなるような局面が登場する。 最近、子どもの囲碁人口が急増しているのは、この「ヒカルの碁」の影響ではと耳にした。例えば、本紙主催の小中学生囲碁大会の参加者は、昨年に比べて今年は倍以上。神戸新聞文化センター(KCC)の神戸・六甲道支部には、先月から「子ども囲碁教室」が開講した。 今月、関西棋院からプロデビューした西宮市の村川大介君は鳴尾北小6年。やはり小6で初めて碁と出合った漫画のヒカルよりも上をいく。村川君は11歳10カ月のプロ入りで、趙治勲王座が持つ史上最年少記録より1カ月遅いだけの超スピード出世だった。「集中力」「先を読む力」などを碁の教育的効用とする声がある。どちらかといえば、理数系の教科で成果があるとする期待感だ。しかし、すぐに答えにつながらない奥深さこそ碁の本当の魅力だろう。盤面を宇宙になぞらえる碁の世界は無限大だ。小6のプロ棋士、村川君は「正解がないのが碁の面白さ」と語っている。子どもたちに盤面で学んでほしいのは豊かな想像力だ。ブームに最も期待したい収穫はそこだと思う。 【2002年10月18日 神戸新聞】 西宮市内の小学6年生の男子が、わずか11歳10カ月で囲碁のプロ棋士になることが決まった。囲碁の最多タイトル保持者、趙治勲王座(46)の11歳9カ月に次ぐ史上2番目の若さ。碁一色の生活を送ってきた末の快挙に周りは拍手を送り、「将来はタイトル獲得を」と期待を寄せている。西宮市花園町、同市立鳴尾北小学校六年生、村川大介君(11)。 囲碁との出会いは小学校入学直後。アマ4段の父の三男さん(52)から手ほどきを受けた。その後、力を付け、三年の時に兵庫県の小・中学生名人に。この年、才能に注目した知人のプロ棋士の勧めでプロ組織・関西棋院のプロ養成機関である院生に加わった。 プロ志望者が集う院生は中学生前後でなることが多い。それだけに、異例の早さはプロ入りに向け順調なスタートにみえたが、現実は厳しかった。最初の1年間は負けが続き、スタートの九級から上がれず悩んだ。 このため、学校が終わると大阪市内の関西棋院囲碁学園でプロから指導を受け、家でも詰め碁を解き、プロの碁を並べて研究した。次第に実力はアップし、乱戦も辞さない力強い棋風と慎重な読みに磨きがかかった。今月、院生手合でプロ入りに必要な12勝4敗の成績を収めた。村川君は「将来は趙治勲王座のようにたくさんのビッグタイトルを取る棋士になりたい」と目を輝かせる。 師匠の森山直棋九段(37)は「アマとプロの違いにとまどって伸び悩んだ時期もあったが、この1年で自信が付き、棋力も上がってきた。将来は世界で通用するような棋士になってほしい」とエール。村川君のデビュー戦は2003年1月の予定。 |