大場惇也
おおば じゅんや
Oba Junya
1983年10月1日生れ

東京都出身
菊地康郎氏に師事。2003年4月入段。2004年4月1日二段(賞金ランクで昇段)。2005年4月1日三段(賞金ランクで昇段)。2006年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。2007年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。2009年2月1日六段(賞金ランクで昇段)。2013年1月1日七段(賞金ランクで昇段)。
2012年12月31日現在通算成績=149勝109敗
2013年29歳??勝??敗通算???勝??敗
2012年28歳15勝12敗通算149勝109敗
2011年27歳14勝10敗通算134勝97敗
2010年26歳16勝10敗通算120勝87敗
2009年25歳14勝12敗通算104勝77敗2009年2月1日六段(賞金ランクで昇段)。
2008年24歳22勝13敗通算90勝65敗
2007年23歳 9勝12敗通算68勝52敗2007年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。
2006年22歳13勝12敗通算59勝40敗2006年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。
2005年21歳17勝12敗通算46勝28敗2005年4月1日三段(賞金ランクで昇段)。
2004年20歳17勝11敗通算29勝16敗2004年4月1日二段(賞金ランクで昇段)。
2003年19歳12勝 5敗
2003年4月入段。
棋風:
揮毫:志

日本棋院の情報 新浪体育
【「囲碁講座」(2004年11月号)】
父が囲碁をやっているのを見て興味を持ち、教えてもらったのが幼稚園の頃。小学校4年のときに、たまたまなにかの雑誌で住所が近いことを知り菊池康郎氏の主宰する緑星学園に通い始めた。20級ぐらいだったという。「今では強い子が集まるようになりましたが、当時は僕くらいの子もたくさんいました」

週に3日、2時間くらい、早碁を打ったり詰碁を解いたり。その2年後には少年少女全国大会の東京大会で3位になるまで力をあげた。「プロになろうと思ったのは中学生の頃です。強くなりたいと思って。でも絶対にプロになれるとは思えなかったので高校にも行きました」

入段するのは遅かった。「学校の試験もあって大変で…」。ようやく念願がかなったのは19歳の時だ。けれどもプロになった途端に遅れを取り戻すかのような快進撃。あっという間に勝ち星ランキングの上位に名を連ねた。今も週に6日、朝9時から夜8時まで緑星学園に通い帰宅後も碁の勉強をする。たまに推理小説を読んだり、棋士仲間とフットサルに参加する。「ほとんど時間がありません」と文字通り囲碁一筋だ。

【2004年2月20日 毎日新聞「この一手」(石井妙子)】
「新初段が溝上知親七段を破った!」。第60期本因坊戦予選Aで大きなニュースが飛び込んできた。(略) 溝上七段を倒した新人の名は大場惇也初段。昨年、19歳で入段試験にパスし、現在、20歳になったばかり。実は溝上七段と同じ緑星学園の出身である。大場初段が碁を覚えたのは4、5歳の頃で、碁好きのお父さんの影響という。父親からの手ほどきの後、たまたま家の近くにあった緑星学園に通い始める。それが小学4年生の時だった。
碁を打つ同世代の仲間と出会えたことが嬉しくて、学園に通うのは楽しかったと語る。週に3日顔を出して勉強するうちに実力をつけ、小学6年生の時には少年少女大会の東京都代表になった。残念ながら全国大会では2回戦で敗退することになったが、中学2年生の時には、その雪辱を晴らし全国5位に。そしてこの経験が大きなきっかけとなり、大場少年は「プロ入り」を初めて真剣に考えるようになる。同年、院生になった。
それからは学校が終わると緑星学園に直行し夜9時まで碁盤の前に座る毎日。学校がない日には1日10時間以上勉強した。当時の緑星学園には学園出身のプロたちが同じように連日、顔を出していた。山下敬吾九段(棋聖)、秋山次郎八段、加藤充志八段、そして溝上知親七段ら。プロを目指す大場少年から見れば、彼らはすべて「先輩」というより「先生」と呼ぶべき存在だった。その「先生」の一人である溝上七段との対局。もちろん公式戦ではこれが初手合。しかし学園で行っているリーグ戦では何度か打ってもらったことがあった。ただし勝ったことは一度もない。
大場初段に今後の目標を尋ねると「とりあえずは昇段ですが、具体的なことよりもただ強くなりたいと思っています」。また一度打ってみたい相手として名を挙げたのは趙治勲九段。「一番、尊敬しているからです。趙先生のように最善を求め続ける棋士になりたい」。