謝依旻 しゃ いーみん 谢依旻 Sha Ihmin | 1989年11月16日生れ 台湾苗栗市出身 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
黄孟正九段門下。日本棋院所属。2001年世界青少年大会少年の部優勝。2002年1月に来日。2004年4月1日入段(東京枠)。女流最年少入段記録(14歳5ヶ月)。2005年4月1日二段(賞金ランクで昇段)。2006年4月1日三段(賞金ランクで昇段)。2008年4月1日四段(賞金ランクで昇段)。2010年2月1日五段(賞金ランクで昇段)。2012年1月1日六段(賞金ランクで昇段)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012年12月31日現在通算成績=227勝135敗
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棋風: 揮毫: | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:27個(うち世界タイトル:0個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=2勝2敗(対韓国:0勝0敗、対中国:2勝1敗、対日本:0勝1敗、対他:0勝0敗)
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日本棋院の情報 写真(13歳) 写真(14歳) 写真(15歳) 写真(16歳) 写真(17歳) 写真(17歳) 写真(17歳) 写真(18歳) YouTube - 謝依旻成長紀實影片第一集:淬錬 YouTube - 謝依旻成長紀實影片第二集:淬錬 YouTube - 謝依旻成長紀實影片第三集:淬錬 YouTube - 謝依旻成長紀實影片第四集:淬錬 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【「朝日新聞」2006年12月28日 「棋士快声」(荒谷一成)】 30歳未満の若手16人が参加する第1回広島アルミ杯若鯉(わかごい)戦で優勝した。決勝戦では同じ台湾出身の李沂修(り・いしゅう)二段を破り4連勝。「2勝できれば満足と思っていたので、自信がつきました」 プロ入り3年目ながら「名人リーグに入れる女性では最短距離にいる」と期待が高い新星である。中国で先月あった女性国際戦・第1回大理旅遊杯の日本代表6人の1人に抜擢(ばってき)された。初戦で中国ナンバー2の葉桂五段に惜敗したものの、一歩もひかない奮戦ぶりだったという。 棋風を問うと「攻めるタイプといわれるが、自分ではよく分からない」。日々成長している証左だろう。王銘宛九段、小松英樹九段らの研究会に積極的に加わっている。昨年から今年にかけて、淡路修三、依田紀基、王銘宛といった強豪九段と予選で当たり、ことごとく敗れた。なぜか全部白番だった。「すべてボロボロでした。一流の先生とは黒番で打ちたいです」 台湾の父親は数学教師、母親はバレエの先生だった。数学は囲碁に、バレエは週3、4回通うスポーツジム好きにつながっているのだろう。親が買った東京都墨田区のマンションに一人暮らし、ローンは自分で払っている。「お母さんが化粧水やクリームの瓶に、使う順の番号を書いてくれているんですが、化粧は面倒くさいのでまったくしません」。対局と詰碁、歴史の本とBoAの歌が好きで、負けず嫌いな期待の10代だ。 【「囲碁講座」2004年6月号(高見亮子)】 女流最年少記録を打ち立て、14歳でプロ入りした謝依旻さん。女流枠ではなく、本戦リーグでの入段。こちらも史上4人目の快挙だ。 5歳の時、お兄さんから碁を習った。「お兄さんは日本のアマ5段ぐらい。何子置いても負けました。石を全部取られた時には泣いちゃった」。ところが1年後にはお兄さんと互角に渡り合えるほどに。8歳のとき、林海峰九段が後援する海峰杯全国児童囲碁大会で優勝。その後、大人も含めたアマチュア大会でもチャンピオンになった。「10歳の時にはプロになろうと決めていました。台湾にもプロ組織はあるけど、日本の方が囲碁の環境が良いから」。依旻さんに指導碁を打った鄭銘奇七段が、当時院生師範だった黄孟正八段を紹介してくれ、来日の手はずが整った。 「院生は皆強くて驚きました」。一昨年、プロ試験最初の挑戦は敗退し、昨年も2連敗スタート。「もうだめかと思いましたが、逆に一局一局大切に打とうと心掛けた」ことがよい結果につながった。13勝4敗の好成績で、見事難関を突破。「家族はもちろん、今までお世話になった方、応援して下さった大勢の方に感謝しています。特に黄先生と保証人になって下さった重光伯候先生がいなければ、今の自分はありません」。 日本語は「研究会で覚えただけ。でも友達も多いし、もっと上手になります」。今はともかく「強くなりたい」と言う。林海峰九段の研究会など4つの研究会に参加し、研鑚を積む毎日。「一流の棋士の先生と打つことは、とてもためになります」。 【2003年8月7日 台北・聯合報】 7月に23歳の張栩さんが本因坊タイトルを獲得し、若手の台湾出身棋士の活躍が目覚しい日本囲碁界で、苗栗出身の少女が大きな注目を集めている。話題の天才少女、謝依旻さんは、今年13歳。5歳のとき、兄が通っていた囲碁教室でルールを覚え、この世界に入った。7歳のとき韓国で開催された「世界四都市大会」に参加したのを皮切りに、韓国、中国など世界各地に遠征して腕を磨き、台湾のジュニアでは向かうところ敵なしとなった。 謝さんは小学校を卒業すると、林海峯名誉天元の勧めで来日し、昨2002年1月に日本棋院の院生となった。林名誉天元の指導も直接受け、張栩本因坊とは「兄弟弟子」の関係にある。日本棋院の院生となるには熾烈な競争を勝ち抜かなければならないが、謝さんは強豪揃いの56名の院生(女子は16名)のなかでトップクラスの戦績を誇り、来日後2年足らずで、女流アマとしてもトップに上りつめた。 謝さんはこの夏、日本棋院のプロ採用試験に参加した。この試験は、56人の院生から1人だけが合格という厳しいもので、謝さんは予選通過の12人に入ったが、本戦で惜しくも敗退して2位に終り、涙を飲んだ。このときの本選では、同じく台湾出身の李沂修君(14)が第5位と健闘した。 日本棋院は今年から、「満15歳以上」という女流プロ棋士の年齢制限を取り消した。これまでの女流プロ棋士誕生の最年少は15歳だが、謝さんが今年末のプロ採用試験に合格するのはほぼ確実と言われており、62年ぶりの史上最年少記録更新に期待が高まっている。日本のマスコミの注目度も高く、8月7日には、NHK朝のニュースのコーナーで特別に紹介された。 謝さんは現在、東京中華学校に通うかたわら、日本棋院で一日6、7時間も碁の練習に打ち込んでいる。素顔は、音楽や小説が好きな、活発で明るい普通の13歳の少女だが、対局となると大人顔負けの冷静な詰めで強敵を次々と打ち負かす。目標は日本の女流タイトル獲得だが、その先には世界タイトルも視野に入っている。父親の謝瑞彬さんによると、負けず嫌いの謝さんは、学校の成績も優秀で、将来、早稲田大学進学を希望しているという。 2004年4月1日入段。14歳5ヶ月での入段は女流最年少入段記録。本戦リーグからの入段は1989年の加藤啓子四段以来。台湾出身の女流棋士としては潘坤ト初段に続いて2人目。碁は5歳の頃、囲碁教室で覚えた。好物は回転寿司。 |