趙治勲
チョウ チクン
赵治勋
Cho Chikun
Cho Chihun
1956年6月20日生れ
B型
韓国・釜山出身
木谷實九段門下。1968年入段(11歳9ヶ月)。1968年二段。1969年三段。1970年四段。1971年五段。1973年六段。1975年七段。1978年八段。1981年4月九段。
1977年11月和曾川京子さんと結婚。門下に金秀俊松本武久鶴山淳志
棋風:地を稼いでシノギ勝負。攻防巧み、ヨミは精緻。巧緻は抜きん出ている。
揮毫:彩雲、慈、素心、雲
趙治勲著作集
趙治勲:依田の対戦成績
趙治勲:山下敬吾の対戦成績
2011年12月31日現在通算成績=1386勝752敗
2012年56歳??勝??敗通算???勝??敗
2011年55歳21勝18敗通算1386勝752敗
2010年54歳31勝19敗通算1365勝734敗
2009年53歳21勝21敗通算1334勝715敗
2008年52歳30勝27敗通算1313勝694敗
2007年51歳34勝17敗通算1283勝667敗
2006年50歳25勝17敗通算1249勝650敗
2005年49歳26勝16敗通算1224勝633敗
2004年48歳30勝23敗通算1198勝617敗
2003年47歳38勝28敗通算1168勝594敗
2002年46歳38勝26敗通算1130勝566敗
2001年45歳47勝19敗通算1092勝540敗
2000年44歳29勝29敗通算1045勝521敗
1999年43歳??勝??敗通算????勝???敗
1998年42歳??勝??敗通算????勝???敗
1997年41歳??勝??敗通算????勝???敗
1996年40歳??勝??敗通算????勝???敗
1995年39歳??勝??敗通算????勝???敗
1994年38歳??勝??敗通算????勝???敗
1993年37歳??勝??敗通算????勝???敗
1992年36歳??勝??敗通算????勝???敗
1991年35歳??勝??敗通算????勝???敗
1990年34歳??勝??敗通算????勝???敗
1989年33歳??勝??敗通算????勝???敗
1988年32歳??勝??敗通算????勝???敗
1987年31歳??勝??敗通算????勝???敗
1986年30歳??勝??敗通算????勝???敗
1985年29歳??勝??敗通算????勝???敗
1984年28歳??勝??敗通算????勝???敗
1983年27歳??勝??敗通算????勝???敗
1982年26歳??勝??敗通算????勝???敗
1981年25歳??勝??敗通算????勝???敗4月九段。
1980年24歳38勝19敗1無勝負通算????勝???敗
1979年23歳39勝13敗通算????勝???敗
1978年22歳??勝??敗通算????勝???敗5月八段。
1977年21歳??勝??敗通算????勝???敗
1976年20歳??勝??敗通算????勝???敗
1975年19歳??勝??敗通算????勝???敗10月七段。
1974年18歳??勝??敗通算????勝???敗
1973年17歳??勝??敗通算????勝???敗6月新鋭戦優勝(初タイトル)。17歳0ヶ月でのタイトル獲得は最年少記録。9月六段。
1972年16歳30勝6敗通算????勝???敗7月新鋭戦準優勝。
1971年15歳??勝??敗通算????勝???敗10月五段。
1970年14歳??勝??敗通算????勝???敗10月四段。
1969年13歳??勝??敗通算????勝???敗11月三段。
1968年12歳??勝??敗通算????勝???敗4月入段(11歳9ヶ月)、10月二段。
タイトル獲得数:75個(うち世界タイトル:2個)
対局日棋戦名年齢コメント
2018年(第5期)プロシニア最強者戦優勝61歳75個目のタイトル獲得
2016年3月(第3期)棋戦優勝者選手権戦優勝59歳非公式戦
2015年7月(5期)マスターズ戦59歳タイトル獲得数74個に更新
2014年7月(4期)マスターズ戦58歳タイトル獲得数73個に更新
2011年7月(1期)マスターズ戦54歳タイトル獲得数72個に更新
2007年4月(45期)十段50歳タイトル獲得数71個に更新
2007年3月(54期)NHK杯優勝50歳タイトル獲得数70個に更新
2006年4月(44期)十段49歳
2005年4月(43期)十段48歳
2004年(2期)JAL杯優勝48歳
2003年(8回)三星火災杯優勝47歳
2002年(9期)全日本早碁選手権戦優勝46歳
2002年(30期)早碁選手権戦優勝46歳
2001年(29期)早碁選手権戦優勝45歳
2001年(20期)NEC杯優勝45歳
2001年(49期)王座45歳
2000年(19期)NEC杯優勝44歳
1999年(24期)名人43歳
1999年(23期)棋聖43歳
1998年(23期)名人42歳大三冠(4度目)
1998年(53期)本因坊42歳10連覇
1998年(22期)棋聖42歳
1997年(22期)名人41歳大三冠(3度目)
1997年(52期)本因坊41歳
1997年(21期)棋聖41歳
1996年(2期)JT杯優勝40歳
1996年(21期)名人40歳大三冠(2度目)
1996年(51期)本因坊40歳
1996年(29期)早碁選手権戦優勝39歳
1996年(43期)NHK杯優勝39歳
1996年(20期)棋聖39歳
1995年(50期)本因坊39歳
1994年(42期)王座38歳
1994年(49期)本因坊38歳
1994年(18期)棋聖37歳
1993年(3期)竜星戦優勝37歳
1993年(48期)本因坊37歳
1992年(47期)本因坊36歳
1992年(25期)早碁選手権戦優勝36歳
1992年(39期)NHK杯優勝35歳
1991年(24期)早碁選手権戦優勝35歳
1991年(1期)竜星戦優勝35歳
1991年(第4回)富士通杯優勝35歳
1991年(46期)本因坊35歳
1990年(23期)早碁選手権戦優勝34歳
1990年(45期)本因坊34歳
1989年(27期)十段33歳
1989年(44期)本因坊33歳
1988年(14期)天元32歳
1988年(26期)十段32歳
1987年(13期)天元31歳グランドスラム
1986年(18期)早碁選手権戦優勝30歳
1986年(11期)碁聖30歳
1985年(7期)鶴聖戦優勝29歳
1985年(4期)NEC杯優勝29歳
1985年(9期)棋聖28歳
1984年(3期)NEC杯優勝28歳
1984年(9期)名人28歳
1984年(8期)棋聖27歳
1983年(8期)名人27歳
1983年(30期)NHK杯優勝26歳
1983年(7期)棋聖26歳大三冠(史上初)
1982年(4期)鶴聖戦優勝26歳
1982年(20期)十段26歳
1982年(7期)名人26歳
1982年(37期)本因坊25歳
1981年(6期)名人25歳
1981年(36期)本因坊24歳
1980年(5期)名人24歳
1979年(4期)碁聖23歳
1976年(1回)八強争覇戦優勝20歳臨時棋戦
1976年(8期)新鋭戦優勝20歳
1976年(24期)王座20歳20歳4カ月は7大タイトル挑戦の最年少記録
1975年(12期)プロ十傑戦優勝19歳
1974年(6期)新鋭戦優勝18歳
1973年(5期)新鋭戦優勝17歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=26勝30敗(対韓国:14勝19敗、対中国:10勝10敗、対他:2勝1敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手コメント
2009.05.18第14回LG杯第1回戦白洪淅六段(22)(韓国)
2009.03.01第1回BCカード杯64強戦姜儒沢二段(17)(韓国)
2008.06.01第20回テレビアジア杯第1回戦李昌鎬九段(韓国)
2008.05.28第13回LG杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2008.05.26第13回LG杯第1回戦姜東潤七段(韓国)
2008.05.04第6回応氏杯八強戦李昌鎬九段(韓国)
2008.05.02第6回応氏杯第2回戦常昊九段(中国)
2008.04.30第6回応氏杯第1回戦張栩九段(台湾)
2007.09.04第12回三星火災杯第1回戦金起用三段(韓国)
2007.08.12第3回中環杯1回戦朴正祥九段(韓国)
2007.06.12テレビ囲碁戦第1回戦陳耀Y五段(中国)
2007.06.06LG杯第2回戦劉菁八段(中国)
2007.06.04LG杯第1回戦朴永訓九段(韓国)
2006.09.06三星火災杯第1回戦高根台五段(韓国)
2006.05.15LG杯第1回戦趙漢乗八段(韓国)

2006.04.10富士通杯第2回戦李世石九段(韓国)
2006.04.08富士通杯第1回戦A・ディナースタイン初段(欧州)
2006.03.13春蘭杯戦第2回戦周鶴洋九段(中国)
2006.03.11春蘭杯戦第1回戦兪斌九段(中国)
2005.09.28三星火災杯第1回戦劉裁豪初段(韓国)
2005.08.14中環杯第1回戦崔哲瀚九段(韓国)
2004.11.28農心杯羅洗河九段(中国)
2004.11.27農心杯崔哲瀚九段(韓国)
2004.09.16中環杯第1回戦王立誠九段(台湾)
2004.09.03三星火災杯第2回戦王檄五段(中国)
2004.09.01三星火災杯第1回戦劉昌赫九段(韓国)
2004.05.13テレビ囲碁戦準決勝戦兪斌九段(中国)
2004.05.11テレビ囲碁戦第1回戦古力七段(中国)
2003.12.31春蘭杯第2回戦胡耀宇七段(中国)
2003.12.29春蘭杯第1回戦孔傑七段(中国)
2003.12.11三星火災杯決勝戦朴永訓四段(韓国)
2003.12.09三星火災杯決勝戦朴永訓四段(韓国)
2003.12.08三星火災杯決勝戦朴永訓四段(韓国)
2003.11.05三星火災杯準決勝戦胡耀宇七段(中国)
2003.11.04三星火災杯準決勝戦胡耀宇七段(中国)
2003.10.16三星火災杯八強戦゙薫鉉九段(韓国)
2003.08.29三星火災杯第2回戦元晟湊五段(韓国)
2003.08.27三星火災杯第1回戦金主鎬四段(韓国)
2003.06.19LG杯第2回戦李昌鎬九段(韓国)
2003.06.17LG杯第1回戦安祚永七段(韓国)
2003.04.12富士通杯第1回戦古力七段(中国)
2002.12.05阿含桐山杯・日中対抗戦兪斌九段(中国)
2002.05.20春蘭杯第2回戦周鶴洋九段(中国)
2002.05.18春蘭杯第1回戦朴永訓三段(韓国)
2002.05.02LG杯第2回戦゙薫鉉九段(韓国)
2002.04.30LG杯第1回戦安達勲四段(韓国)
2002.03.19トヨタ杯第1回戦邵偉剛九段(中国)
2001.08.29三星火災杯第1回戦内廼偉九段(韓国)
2001.06.28NEC杯・スーパー戦羅洗河八段(中国)
2001.06.27NEC杯・スーパー戦羅洗河八段(中国)
2001.06.14LG杯第2回戦゙薫鉉九段(韓国)
2001.06.12LG杯第1回戦常昊九段(中国)
2001.06.02富士通杯八強戦崔明勲七段(韓国)
2001.05.09テレビ囲碁戦準決勝戦睦鎮碩五段(韓国)
2001.05.07テレビ囲碁戦第1回戦李昌鎬九段(韓国)
2001.04.16富士通杯第2回戦内廼偉九段(韓国)
2000.08.30三星火災杯第1回戦崔明勲七段(韓国)
2000.05.17NEC杯・スーパー戦邵偉剛九段(中国)
2000.05.16NEC杯・スーパー戦邵偉剛九段(中国)
2000.05.02応氏杯第2回戦兪斌九段(中国)
2000.04.10富士通杯第2回戦゙薫鉉九段(韓国)
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【2005年11月10日 読売新聞(西部)】
1962年(昭和37年)8月2日。東京・大手町のサンケイホールには、晴れ晴れとした木谷一門の姿があった。1924年(大正13年)、師の木谷實がプロ初段となって以来、自分や弟子たちの段位の合計が百段を超え、それを記念した催しが開かれたのである。
注目を集めたのは、開会のセレモニーに引き続いて行われたアトラクションだった。木谷道場に入門するため韓国から来た趙治勲少年と、台湾から囲碁留学して日本棋院棋士となった林海峰の対局が行われたのである。
趙は、前々月に6歳になったばかりだった。4歳で碁を覚え、わずか1年余りでアマチュア高段者並みになったという天才少年だった。胸を貸す林は20歳。木谷の弟子大竹英雄と「竹林(ちくりん)」の名で呼ばれた新進気鋭の棋士で、このとき六段、碁界の将来を担うホープだった。
大柄な林に対し、趙は腰を上げないと、碁盤の奥の方に石が置けないほど小さい。好対照の対局風景だった。しかも、趙は打つ前に腕を組んで盤面をにらんだ。これは、兄の祥衍が「一度、腕を組み、一呼吸置いてから打て」と指示したからだが、観客席からは林に対し立派に対峙(たいじ)しているように見えた。趙がもらったハンデの置き石は五つ。林に対してどんな戦いを挑むか。会場の人々は固唾(かたず)をのんだ。趙はしかし、大舞台で、林に勝ってしまった。しかも、中押し勝ちであった。
勝てたことについて、趙は「野球に例えて言えば、林先生がストレートだけ投げてくれたから、打てたようなものなんです。フォークボールやスライダーが来たら、こうはいかなかった」と述懐するが、後に彼自身が「プロの評価に堪える5子局」と振り返るほど、素晴らしい内容だった。
趙は、小中高一貫教育の東京韓国学院に通いながら、木谷道場での生活が始まる。学校について、木谷の妻美春は「これから日本で生活していくのだから、近くの小学校に通わせてはどうか」とアドバイスしたが、兄の祥衍は韓国学院を選択した。祥衍は、その理由を「韓国人であることを意識させたかったんです。それは愛国心を養うためではありません。はるばる海を越えて日本に来たんだから、強くならなければ、どうしようもないんだ、と治勲に思ってもらいたかったからなんです」と語る。
彼は11歳で入段、来日から18年後の1980年、24歳のとき、悲願だった名人のタイトルを取り、祖国の土を踏む。彼の凱旋によって、韓国では囲碁ブームが起きた。

【『人生一手の違い「運」と「努力」と「才能」の関係』米長邦雄、クレスト社、P208より】
趙治勲さんは、交通事故の時、大変な手術が必要になった。その際、医師に「麻酔をかけると弱くなりませんか?」と聞いた。「多少は影響があるかもしれません。全身麻酔というのは、脳にもかけるわけだから」と医師が言うと、「碁が弱くなっちゃいけない。麻酔だけは打たないでくれ。このまま手術をしてくれ!」と反応したそうです。結局、最後まで麻酔は打たなかった。常識では考えられない、凄まじい執念です。

【】
趙治勲が生まれる前、趙一家はソウルに住んでいたが、1950年、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が突然38度線を越えて韓国に攻め込み、朝鮮戦争が勃発。趙一家は戦火を避けて釜山にたどりつく。趙治勲は疎開中に釜山で生まれた。1962年8月来日。木谷實九段に入門。1983年に名人位を獲得して初の大三冠になり、1987年に天元位を獲得して初のグランドスラムを達成。2002年10月に全日本早碁選手権戦で優勝し、タイトル獲得最多記録(65個)を達成した。