佐田篤史
さだ あつし
Sada Atsushi
1995年12月24日生れ

岡山県出身
関西棋院所属。2012年1月1日入段。2014年1月1日二段(賞金ランクで昇段)。2016年8月??日三段(勝ち数=40勝昇段)。2019年6月??日四段(勝ち数=50勝昇段)。2020年七段(本因坊リーグ入りで)。
棋風:
渾名:
2013年12月31日現在通算成績=29勝15敗
2014年18歳??勝??敗通算???勝??敗2014年1月1日二段(賞金ランクで昇段)。
2013年17歳20勝10敗通算29勝15敗
2012年16歳9勝5敗通算9勝5敗2012年1月1日入段。

関西棋院の情報
【2012年1月1日 毎日新聞地方版岡山(小園長治)】
所作が美しい。右手の人差し指と中指で碁石を挟む。中指を押し出して盤上に碁石を打つ。静寂に包まれた対局室に乾いた音が響く。表情に幼さを残しながらも、凜(りん)とした品格が漂う。岡山市出身の囲碁棋士、佐田篤史(さだあつし)さん(16)。関西棋院の入段規定を15歳11カ月で満たし、棋士候補の院生から1月1日、晴れて初段となり、プロの道を踏み出した。
4歳で囲碁を始めた。父紀真さん(50)と祖父昌弘さん(78)に手ほどきを受けた。佐田さんは「ルールはシンプル。囲碁に夢中になりました」と振り返る。紀真さんが「おかしな癖をつけてはいけない」と電話帳で囲碁教室を探し、岡山市内で教室を開く関西棋院の角慎介六段に指導を仰いだ。実力を伸ばし、小学3年生になると囲碁自慢の大人たちを寄せ付けず、父と祖父をあっさり追い越した。「プロになりたい」と岡山市立石井中学校入学と同時に関西棋院の門をたたいた。卒業まで毎週末に大阪市内の関西棋院へ出向き、修練を重ねた。
佐田さんは「レベルの高い相手と対局するのが楽しく、ものすごく勉強になりました」と話す。中学校卒業後、家族と離れて関西棋院の寮に入り、自炊生活を送りながら囲碁に没頭する生活だ。卒業時に62キロあった体重は55キロまで落ちた。2011年11月の入段リーグ戦。プロ入りを決める対局は院生6人と黒番(先攻)、白番(後攻)の計10戦。全勝した。「プロになりたい。プロになる。プロにならんとあかんのや」。対局のたびに自らを奮い立たせた。「囲碁は相手を圧倒するような勝ち方はしません。負けてもわずかな差ですから、負けると悔しさがとても深い。努力を惜しまず懸命に勉強するだけです。悔いを残さないように頑張ります」
次の目標は二段昇格に必要な公式戦30勝到達。その先に目指すのは囲碁界の最高峰「本因坊」だ−−。