小林光一
こばやし こういち
Kobayashi Koichi

1952年9月10日生れ
A型
北海道旭川市出身
木谷実九段門下。1967年入段(15歳)。1967年二段。1968年三段。1969年四段。1970年五段。1972年六段。1974年七段。1977年八段。1979年10月19日九段。2006年(54歳)、日本棋院副理事長。2007年(55歳)日本棋院副理事長を辞去。
1974年3月21日、木谷礼子六段(木谷実九段の娘)と結婚。東京小金井市に居住。門下に河野臨、大矢浩一、酒井真樹、大木啓司、金澤秀男、穂坂繭。小林泉美は長女。
2011年12月31日現在通算成績=1306勝673敗
2012年60歳??勝??敗通算??勝??敗
2011年59歳12勝14敗通算1306勝673敗
2010年58歳14勝10敗通算1294勝659敗
2009年57歳18勝 8敗通算1280勝649敗
2008年56歳17勝14敗通算1262勝641敗
2007年55歳20勝12敗通算1247勝627敗
2006年54歳17勝14敗通算1227勝615敗
2005年53歳18勝14敗通算1210勝601敗
2004年52歳33勝21敗通算1192勝587敗
2003年51歳32勝15敗通算1159勝566敗
2002年50歳29勝20敗通算1127勝551敗
2001年49歳33勝20敗通算1098勝531敗
2000年48歳20勝23敗通算1065勝511敗
1999年47歳40勝14敗通算1045勝488敗
1998年46歳32勝17敗通算1005勝474敗
1997年45歳44勝20敗通算973勝457敗
1996年44歳34勝14敗通算929勝437敗
1995年43歳29勝20敗通算895勝423敗
1994年42歳27勝22敗通算866勝403敗
1993年41歳??勝??敗通算839勝381敗
1992年40歳??勝??敗通算??勝??敗
1991年39歳??勝??敗通算??勝??敗
1990年38歳35勝18敗通算746勝306敗2ジゴ
1989年37歳21勝14敗通算711勝298敗2ジゴ
1988年36歳36勝13敗通算690勝284敗2ジゴ
1987年35歳24勝23敗通算654勝271敗2ジゴ
1986年34歳28勝17敗通算630勝248敗2ジゴ
1985年33歳39勝15敗通算602勝231敗2ジゴ
1984年32歳38勝17敗通算563勝216敗2ジゴ
1983年31歳28勝21敗通算525勝199敗2ジゴ
1982年30歳42勝17敗通算497勝178敗2ジゴ
1981年29歳35勝17敗通算455勝161敗2ジゴ
1980年28歳32勝15敗通算420勝144敗2ジゴ
1979年27歳35勝16敗通算388勝129敗2ジゴ1979年10月19日九段。
1978年26歳34勝15敗通算353勝113敗2ジゴ
1977年25歳25勝11敗通算319勝98敗2ジゴ1977年5月13日八段。
1976年24歳42勝12敗1ジゴ通算294勝87敗2ジゴ
1975年23歳31勝11敗通算252勝75敗1ジゴ
1974年22歳35勝11敗通算221勝64敗1ジゴ1974年10月25日七段。
1973年21歳28勝12敗通算186勝53敗1ジゴ
1972年20歳43勝9敗通算158勝41敗1ジゴ1972年6月9日六段。
1971年19歳24勝7敗通算115勝32敗1ジゴ
1970年18歳24勝5敗1ジゴ通算91勝25敗1ジゴ1970年10月2日五段。
1969年17歳28勝8敗通算67勝20敗1969年6月13日四段。
1968年16歳28勝5敗通算39勝12敗1968年6月三段。
1967年15歳11勝7敗
1967年4月入段(15歳)。1967年11月3日二段(手合8勝4敗)。
棋風:形を決めて打つタイプ。若いころはすごい力碁だったが、ある時期から足早で地に辛く堅実に稼ぐタイプに変わった。
揮毫:天道(てんどう)、飛翔
小林光一著作集
小林光一:結城聡の対戦成績
タイトル獲得数:60個(うち世界タイトル:1個)
対局日棋戦名年齢コメント
2016年7月(6期)マスターズ戦63歳
2005年3月(第10回)LG杯国際予選突破52歳
2004年3月(51期)NHK杯優勝51歳
2004年3月(23期)NEC杯優勝51歳
2003年9月(12期)竜星杯優勝51歳
2002年9月(11期)竜星杯優勝50歳
2002年8月(27期)碁聖50歳
2001年8月(26期)碁聖49歳
2001年2月(23期)鶴聖戦優勝49歳
2000年(38期)十段48歳
1999年(25期)天元47歳
1999年( 6期)阿含桐山杯優勝47歳
1999年(24期)碁聖47歳
1999年(37期)十段47歳
1999年(18期)NEC杯優勝47歳
1998年(24期)天元46歳
1997年(30期)早碁選手権戦優勝45歳
1997年( 6期)竜星杯優勝45歳
1997年(19期)鶴聖戦優勝45歳
1997年(第10回)富士通杯優勝45歳
1995年(14期)NEC杯優勝43歳
1994年(19期)名人42歳
1994年(16期)鶴聖戦優勝42歳
1993年(18期)名人41歳
1993年(18期)碁聖41歳
1993年(17期)棋聖41歳
1992年(17期)名人40歳
1992年(17期)碁聖40歳
1992年(16期)棋聖40歳
1991年(16期)名人39歳
1991年(16期)碁聖39歳
1991年(15期)棋聖39歳
1990年(15期)名人38歳
1990年(15期)碁聖38歳
1990年(14期)棋聖38歳
1989年(14期)名人37歳
1989年(14期)碁聖37歳
1989年(13期)棋聖37歳
1988年(13期)名人36歳
1988年(13期)碁聖36歳
1988年(12期)棋聖36歳
1987年(19期)早碁選手権戦優勝35歳
1987年(11期)棋聖35歳
1986年(12期)天元34歳
1986年(24期)十段34歳
1986年(33期)NHK杯優勝34歳
1986年(10期)棋聖34歳
1985年(11期)天元33歳
1985年(10期)名人33歳
1985年(23期)十段33歳
1984年(22期)十段32歳
1982年(14期)早碁選手権戦優勝30歳
1977年( 2期)天元25歳
1977年( 2期)新人王戦優勝25歳
1976年( 1期)新人王戦優勝24歳
1976年(20期)首相杯優勝24歳
1975年( 7期)新鋭トーナメント戦優勝23歳
1974年(18期)首相杯優勝22歳
1973年( 5期)早碁選手権戦優勝21歳
1972年(16期)首相杯優勝20歳
1972年( 4期)新鋭トーナメント戦優勝20歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=10勝13敗(対韓国:3勝8敗、対中国:7勝5敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2008.09.03第13回三星火災杯第1回戦張立四段(中国)
2005.05.18LG杯第2回戦古力七段(中国)
2005.05.16LG杯第1回戦朴炳奎五段(韓国)
2004.08.21トヨタ杯第1回戦兪斌九段(中国)
2004.05.11テレビアジア杯宋泰坤七段(韓国)
2003.11.15農心杯元晟湊五段(韓国)
2003.11.14農心杯周鶴洋九段(中国)
2003.11.13農心杯朴ヤ恩四段(韓国)
2003.11.12農心杯王磊八段(中国)
2002.11.26農心杯胡耀宇七段(中国)
2002.11.25農心杯尹Rル七段(韓国)
2002.11.24農心杯孔傑七段(中国)
2002.05.13日中天元戦常昊九段(中国)
2002.05.12日中天元戦常昊九段(中国)
2002.05.10日中天元戦常昊九段(中国)
2002.04.30LG杯第1回戦元晟湊四段(韓国)
2002.04.13富士通杯第1回戦劉昌赫九段(韓国)
2002.03.19トヨタ杯第1回戦゙薫鉉九段(韓国)
2001.10.17農心杯崔哲瀚四段(韓国)
2001.06.12LG杯第1回戦睦鎮碩五段(韓国)
2001.06.02富士通杯八強戦゙薫鉉九段(韓国)
2001.04.16富士通杯第2回戦常昊九段(中国)
2001.04.14富士通杯第1回戦馬暁春九段(中国)
日本棋院の情報 新浪体育 中国・百度百科の情報 中国ブログの情報 日本経済新聞(2004年6月22日) 産経新聞「私の失敗」(1) 産経新聞「私の失敗」(2) 産経新聞「私の失敗」(3) 産経新聞「私の失敗」(4) 小林光一年譜
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【2012年9月7日 朝日新聞】
囲碁名人戦(朝日新聞社主催)史上最多となる7連覇(1988〜94年)、通算で8期獲得した小林光一九段(59)が9月10日の誕生日に「名誉名人」となるのに先立ち、9月7日、東京都内のホテルで祝賀会が開かれた。「名誉名人」を名乗るのは囲碁界初。小林九段は棋聖8連覇、碁聖6連覇など80年代後半から90年代前半の囲碁界を席巻した。棋聖、碁聖をあわせ、七大タイトル戦史上初の「名誉三冠」になる。小林九段は「資格を得たのはかれこれ20年前。このような日がこんなに早く来るとは」と話した。時折、目を潤ませながら、「情熱は若いときと変わっていない。まだまだ頑張らなければ」と語ると、ファンら約220人から大きな拍手が送られた。囲碁界では、タイトルを5連覇か通算10期獲得すると名誉称号の資格を得る。実際に名乗れるのは60歳または引退時から。名誉名人の有資格者には、80〜84年に5連覇した趙治勲二十五世本因坊(56)がいる。

【2004年1月9日 毎日新聞(夕刊)「この一手」(石井妙子)】
昨年10月に開幕した本因坊リーグ。一人3局を打ち終わって、トップに立ったのは小林光一九段。ただ一人土付かずの3連勝。小林九段は前期リーグで陥落を辛うじて免れ残留を決めた。昨年は碁聖を依田紀基名人に奪われるなど、前半あまり芳しい活躍が見れず、故にリーグ開幕前の評判はそう高くなかった。しかし、後半から次第に調子を取り戻し、竜星戦優勝、JAL杯準優勝、国際棋戦農心杯での連勝と成績が上向いていった。本因坊戦リーグでは、王銘宛、趙善津、山下敬吾ら強豪をなぎ倒しての3連勝である。(略)
若手の活躍ばかりが目立つ中で、ベテラン小林の快進撃。感想を求めると「今、確かに若い人たちが碁界を引っ張っています。少しでも気を緩めたら、あっという間に差を広げられてしまう。棋士として一定のレベルを保ち続けることの難しさを感じています」。
自分の周りを見回してみても、同年代で一線に身を置く人はいくらもいない、と小林は言う。「年齢的には自分も含めて、まだまだやれると思うんです。内容の上で劣っているとも思わない。しかし勝ちきることが難しい。終盤に勝ちを逃してしまうケースが多いです」。それをどう克服していくかが今後の課題だと冷静に語る。
小林にとって本因坊戦は特別な棋戦だ。過去に七大タイトルを制覇する勢いの時も、不思議と本因坊は手中に収めることができなかった。本因坊を手にすることは小林の棋士人生における大きな目標の一つでもある。(略) 折りから、長女・小林泉美五段と張栩本因坊の婚約が発表されたばかり。本因坊戦史上初の親子対決が実現することになるかもしれない。

【1990年3月3日 読売新聞「顔」(福屋和憲)】
小林光一 こばやし・こういち 北海道出身。1965年、故木谷実門下に。現在、棋聖、名人、碁聖の三冠王。趣味はテニス。礼子夫人は六段。37歳。

「やった、という感じです。狙ってはいましたが、よく勝てたと思います」。棋聖戦七番勝負は3か月間の長丁場。新年明けとともに、この勝負一本に絞って戦ってきただけに、喜びもひとしおだろう。強さの秘密は、勝負に対する集中力と、実戦的な棋風といわれている。
まず、集中力。「棋聖戦だけのことを考えて、緊張感を持続させるようにします」 対局前には人が変わったように表情が厳しくなり、だれ構わず突っかかっていきたくなるという。闘争心がピークに達するのだ。実戦的な棋風については、「勝つ確率が高い碁を打つことを心がけている」と説明した。
棋界有数の努力家。以前は1日6時間勉強していたが、今は午前中3時間かけて、実戦の打ち碁を並べて研究に没頭する。「1時間に10局ぐらいのゆっくりしたペース」。ちなみにプロの打ち碁を1時間で並べると、アマ初段だといわれているからすごい。
その研究から生まれたのが、小林流の布石。他の一流棋士もたくさん使っているのが、ちょっといい気分らしい。「まだ、僕の頭の中には碁の知識という"貯金"がいっぱい詰まっています」その知識を活用して、"大木谷"といわれた師匠に一歩一歩近づいている。