中野寛也 なかの ひろなり Nakano Hironari | 1969年6月3日生れ 広島県出身 | |||||||||||||||||||||||||||||
中部総本部所属。島村俊廣門下。1985年入段。1997年九段(入段から九段到達まで12年1ヶ月は大手合では日本棋院最短記録(その後、羽根直樹九段に破られる))。2002年通算500勝達成。2006年通算600勝達成。2010年通算700勝達成。2015年通算800勝達成。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
棋風:力戦派。戦いが大好き、全面戦争が好きなタイプ。 揮毫: | ||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:3個(うち世界タイトル:0個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝1敗(対韓国:0勝1敗、対中国:1勝0敗、対他:0勝0敗)
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日本棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 オール慶應囲碁会(気賀康夫さんの文章) | ||||||||||||||||||||||||||||||
【2013年8月3日 『NHK 囲碁講座』2013年7月号より】 日本棋院・中部総本部の中堅、中野寛也九段といえば、知る人ぞ知る読書家で、その量は「いつも3冊並行して読む」ほど。だが今回は、知られていない趣味をご紹介しよう。始めて1年になるエアロビクスだ。 スポーツジムのスタジオレッスンで、インストラクターの先生がお手本を見せてくれて、それに合わせて踊るというか、体を動かすんです。いろいろ種類があって、最初の頃はファイドゥという格闘技系のものをやってましたが、今は、ズンバとバイラバイラ。どちらもラテンを中心にさまざまなダンスをミックスさせたものみたいです。ズンバは、自由な感じで、振りはあるんですけどハチャメチャなんですよ。こんな感じやこんな感じ(と真顔で実演)。最近はバイラバイラにけっこう熱が入ってます。どの先生もよい方ばかりで、これも続けられる秘訣です。1回のレッスンは1時間ぐらい。1年以上、週に3コマは必ず受けていて、多いときは4コマ。土、日、月の三連発がけっこうきつい。でも行くんです(笑)。踊りの種類は本当は何でもよく、健康に気を付けるのが目的です。体重はなかなか落ちないのですが、体脂肪は少し下がってきました。汗をかけば気持ちもよく、ご飯もおいしくなります。難しい振りがだんだんできるようになると楽しさも湧いてきます。でも、一緒に行っている奥さんに言わせると、僕の動きは本当にセンスがなく、見ると笑えてしまい集中できなくなるそうです。自分ではまともだと思ってるんですけどね。先生にもけっこう褒められますし(笑)。もちろんこれからも続けたいと思います。 【2000年2月16日 産経新聞「人」(保坂勝吾)】 十段戦の挑戦者に決まった中野寛也さん 「番碁(五番勝負か七番勝負の総称)を打ちたいと思っていたのでうれしい」。熱戦直後の顔は紅潮し、声も絞りだすようだった。2月10日、十段戦挑戦者決定戦で山下敬吾六段を破り、小林光一十段への挑戦権を獲得した。 色白の童顔。数年前、テレビの棋戦で女流棋士に苦戦して、困ったような表情をしていたのが印象的だったが、今期の十段戦では、趙治勲棋聖・名人と両者秒読みになって、すさまじいねじり合いをものにした。 中部の"兄貴分"彦坂直人前十段から「顔に似合わず(相手をねじ伏せるような)力碁なんです。たくましくなった」とおほめの言葉。「バランスの取れたオールラウンドの碁を目指しているが…。そう言われるとうれしい」。少年のような笑顔がほころぶ。いよいよ夢だった晴れの五番勝負の舞台に立つ。 広島県の実家は酒屋さん。囲碁好きの父親は夜になると、自宅に囲碁仲間を呼んで対局を楽しんでいたという。小学校三年のときに碁会所に通い始め、すぐに天才性が認められて“後援会”ができ、四年生のときには名古屋の名門・島村俊廣九段(故人)に入門、内弟子となった。「とても優しい師匠でした。院生(プロを目指す養成機関の生徒)が二十人もいて競争が激しかったので、親元を離れても寂しがっている暇はありませんでした」 プロになって十五年。碁一筋の努力がようやく花開こうとしている。「彦坂さんから、引退された坂田(二十三世本因坊栄寿)先生の棋譜を並べてみたらとアドバイスされた。勝敗にはこだわらず、納得のいく碁を打ちたいですね」。自分流の勝負哲学を持ち、3月9日から始まる五番勝負にのぞむ。 広島県出身。平成7年、第10期NEC杯俊英戦優勝。同年、第51期本因坊リーグ入り。妻と子供2人。趣味はゴルフと読書。おすすめは英国の作家、R・ゴダード。30歳 【1997年5月15日 日刊囲碁】 日本棋院中部総本部所属の中野寛也八段(27)が大手合で規定の昇段点に達し、九段に昇段した。到達までの対局数は111局で新記録。過去最短記録は推薦による特例を除いて、趙治勲棋聖の116局。これで日本棋院で66人目、関西棋院(34人)と合わせて100人目の九段になった。日本のプロ棋士約400人のうち四分の一が九段になり、ますます逆ピラミッド型の構成になった。 |