Re: なぜ本因坊は号を名乗るのか ( No.1 ) |
- 日時: 2006/05/14 18:50
- 名前: 囲碁データベース <igoigo@jcom.home.ne.jp>
- 【林裕著「囲碁百科辞典」(金園社昭和58年12月20日4500円)P200より】
本因坊戦は「本因坊名跡を継承する主旨」で成立し、本因坊名跡継承争奪戦は昭和14年6月、高段者のみによる第1次予選で開始された。名跡を継承するという主旨から、優勝者(本因坊)は称号をつけることになり、第2期までは日本棋院から称号が贈られていた。昭和16年の第1期には関山利一六段が就き、本因坊利仙と称した。昭和18年の第2期には橋本宇太郎七段が就き、本因坊昭宇と号した。いずれも日本棋院から贈られた称号である。
戦中から戦後の混乱期を経て、第3期の岩本薫七段の時代から個人的に号をつくる慣例ができた。岩本薫七段は本因坊薫和と号した。昭和27年の第7期に橋本本因坊を破った高川格七段は本因坊秀格と号し、それ以後35年の第15期まで9連覇という不滅の大記録を遺した。
昭和32年、第12期本因坊戦で高川本因坊が6連覇を達成した際、前年度までの5連覇を表彰する意味で日本棋院は高川本因坊に「引退後名誉本因坊を名乗る資格」を与えた。なお昭和39年、日本棋院創設40周年記念を機に高川九段は本因坊戦9連覇の記録を改めて表彰されることとなり、「現役棋士のまま名誉本因坊を名乗る」ことを許された。名誉○○という称号は本因坊が先例となるが、それ以後に創設された名人戦や棋聖戦、その他の公式戦でも5連覇すると名誉○○と名乗るのが恒例となった。本因坊戦では他に7連覇の坂田栄男九段(本因坊栄寿)、5連覇の石田芳夫九段(本因坊秀芳)の両者が引退後「名誉本因坊」を名乗る資格を得ている。
実名のまま号とするのは林海峰九段(本因坊海峯)が先例を作った。武宮正樹八段(のち九段)は最初「本因坊秀樹(しゅうじゅ)」と号したが、後年復活したときに本名の通り「本因坊正樹(せいじゅ)」と号を変えた。また趙治勲八段(のち九段)は「本因坊治勲」と号した。こんなことから実名のまま号とするのが一般的となったが、加藤正夫八段(のち九段)は「本因坊剣正」と号し3連覇している。
関山利一(利仙) 橋本宇太郎(昭宇) 岩本薫(薫和) 高川格(秀格) 坂田栄男(栄寿) 林海峰(海峯) 石田芳夫(秀芳) 武宮正樹(秀樹) 加藤正夫(剣正) 趙治勲(治勲)
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