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日本の九段一覧表
日時: 2007/06/30 13:08
名前: 囲碁データベース   <igoigo@jcom.home.ne.jp>

日本の九段を全員知りたい。
質問終了
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Re: 日本の九段一覧表 ( No.1 )
日時: 2007/06/30 13:09
名前: 囲碁データベース  <igoigo@jcom.home.ne.jp>

日本の九段(太字はタイトル獲得による九段資格獲得者、青字は国際棋戦優勝者)。
なお、安易九段製造システムの大手合は、日本棋院は2003年度(2003年4月1日)から廃止、関西棋院は2004年10月をもって廃止された。

昇段年人数棋士名人数引退・死亡棋士名
2011年1人
加藤充志(1900年4月1日入段)


2010年



2009年2人
井山裕太(2002年4月1日入段)
新垣朱武(1985年1月入段関西棋院)
1人東野政治(1959年入段関西棋院、死亡)
2008年



2007年1人黄孟正(1976年入段)

2006年3人今村善彰(1983年入段)
山田規三生(1989年入段)
河野臨(1996年入段)


2005年4人中野泰宏(1992年4月入段関西棋院)
時本壱(1968年入段)
川村和憲(1971年6月入段関西棋院)
高尾紳路(1991年入段)


2004年1人滝口政季(1981年8月入段関西棋院)

2003年7人福井正明(1962年入段)
宋光復(1981年入段)
中小野田智己(1984年入段)
山田規喜(1987年9月入段関西棋院)
柳時熏(1988年入段)
山下敬吾(1993年入段)
張栩(1994年入段)


2002年3人円田秀樹(1983年入段)
関山利道(1988年7月入段関西棋院)
羽根直樹(1991年入段)


2001年3人大矢浩一(1980年入段)
石田篤司(1984年入段)
大垣雄作(1986年入段)


2000年5人石倉昇(1980年入段、4月7日九段)
楊嘉源(1985年入段、4月21日九段)
マイケル・レドモンド(1981年入段、9月29日九段)
三村智保(1986年入段、9月29日九段)
矢田直己(1988年1月入段関西棋院)


1999年3人郡寿男(1974年入段、7月23日九段)
青木紳一(1983年入段、9月3日九段)
倉橋正行(1986年5月入段関西棋院)


1998年6人趙善津(1984年入段、4月17日九段)
広江博之(1983年入段、5月29日九段)
橋本雄二郎(1971年入段、6月26日九段)
森田道博(1984年入段、7月24日九段)
安田泰敏(1980年入段、7月31日九段)
森山直棋(1981年8月入段関西棋院)


1997年4人中野寛也(1985年入段、5月15日九段)
大淵盛人(1983年入段、6月26日九段)
神田英(1977年入段、10月23日九段)
結城聡(1984年3月入段関西棋院)


1996年2人堀田陽三(1973年8月入段関西棋院)
陳嘉鋭(1987年3月飛付五段関西棋院)
1人谷宮悌二(1955年入段、7月11日九段、2005年3月31日引退)
1995年5人後藤俊午(1980年入段、4月7日九段)
園田泰隆(1976年入段、4月14日九段)
小松英樹(1981年入段、5月5日九段)
湯川光久(1980年12月入段関西棋院)
横田茂昭(1983年6月入段関西棋院)


1994年4人新垣武(1971年入段、7月1日九段)
福井進(1965年入段、7月8日九段)
山ア吉廣(1968年8月入段関西棋院)
伊藤庸二(1975年入段)
1人横山国忠(1958年入段、引退)
1993年4人村岡茂行(1972年4月入段関西棋院)
鄭銘皇(1979年入段、8月20日九段)
小県真樹(1980年入段、10月1日九段)
依田紀基(1980年入段、10月29日九段)


1992年5人王銘宛(1977年入段、53+28=81人目)
高原周二(1979年1月入段関西棋院、53+29=82人目)
大枝雄介(1954年入段、54+29=83人目)
宮沢吾朗(1966年入段、5月29日九段、55+29=84人目)
彦坂直人(1976年入段、56+29=85人目)


1991年1人馬場滋(1967年入段、52+29=81人目)2人久島国夫(1965年入段、2006年4月5日死亡、51+29=80人目)
上村邦夫(1962年入段、2004年6月25日死亡、52+29=81人目)
1990年1人今村俊也(1980年3月入段関西棋院、50+29=79人目)1人金島忠(1968年入段、引退、日本棋院で50+28=78人目)
1989年1人川本昇(1961年入段、6月30日九段、49+28=77人目)

1988年3人上村陽生(1971年入段、46+28=74人目)
片岡聡(1972年入段、47+28=75人目)
王立誠(1972年入段、48+28=76人目)


1987年3人長谷川直(1973年11月入段関西棋院、43+27=70人目)
小林覚(1974年入段、45+27=72人目)
久保勝昭(1972年9月入段関西棋院、45+28=73人目)
1人黒沢忠尚(1959年入段、引退、44+27=71人目)
1986年2人佐藤昌晴(1964年入段)
清成哲也(1976年6月入段関西棋院)
1人安倍吉輝(1960年入段、2009年死亡)

1985年3人遠藤隆博(1965年入段関西棋院)
中村秀仁(1966年入段)
山城宏(1972年入段)


1984年5人石槫郁郎(1960年入段)
春山勇(1960年入段)
坂口隆三(1965年入段)
森野節男(1967年9月入段関西棋院)
淡路修三(1968年入段)
2人石井衛(1952年入段、引退)
早瀬弘(1955年入段、引退)
1983年1人茅野直彦(1953年入段)1人岸本一男(1958年入段関西棋院、死亡)
1982年1人石田章(1966年入段)

1981年6人趙治勲(1968年入段)
高木祥一(1962年入段)
戸沢昭宣(1956年入段)
羽根泰正(1958年入段)
酒井猛(1964年入段)
太田清道(1965年9月入段関西棋院)
1人中村勇太郎(1928年入段、死亡)
1980年

2人水田藻(1954年入段関西棋院、1980年死亡)
水野弘士(1959年入段関西棋院、2009年1月7日死亡)
1979年4人南善己(1954年6月入段関西棋院)
山王裕孝(1957年入段)
小島高穂(1959年入段)
小林光一(1967年入段)
1人土田正光(1961年入段、引退)
1978年2人石井邦生(1956年入段)
苑田勇一(1968年4月入段関西棋院)
3人瀬尾寿(年入段、死亡)
久井敬史(1937年入段、死亡)
加藤正夫(1964年入段、推挙九段、死亡)
1977年3人牛窪義高(1963年8月入段関西棋院)
牛ノ浜撮雄(1963年8月入段関西棋院)
武宮正樹(1964年入段)
3人刈谷啓(1929年入段関西棋院、引退)
星野紀(1939年入段、死亡)
吉田陽一(1953年入段、引退)
1976年1人工藤紀夫(1955年入段)

1975年1人大山国夫(1961年3月入段関西棋院)

1974年2人石井新蔵(1957年3月入段関西棋院)
石田芳夫(1963年入段、推挙九段)
2人松浦吉洋(1939年入段関西棋院、死亡)
曲励起(1942年入段、引退)
1973年2人白石裕(1956年9月入段関西棋院)
本田邦久(1961年1月入段関西棋院)


1972年

2人篠原正美(1920年入段、1984年引退、死亡)
榊原章二(1944年入段、死亡)
1971年

1人小山靖男(1951年入段関西棋院、引退)
1970年2人宮本義久(1951年10月入段関西棋院)
大竹英雄(1956年入段)
1人東野弘昭(1951年入段関西棋院、引退)
1969年1人宮本直毅(1950年入段関西棋院)2人橋本誼(1950年入段、引退)
林有太郎(年入段、死亡)
1968年

3人加納嘉徳(1943年入段、死亡)
大窪一玄(1944年入段、引退)
関山利夫(1951年入段関西棋院、死亡)
1967年1人林海峰(1955年入段)2人加田克司(1947年入段、引退)
岩本薫(1917年入段、死亡)
1966年



1965年

2人鯛中新(1929年入段関西棋院、死亡)
梶原武雄(1937年入段、引退後死亡)
1964年1人岩田達明(1943年入段)

1963年

5人大平修三(1947年入段、九段18人目、死亡)
藤沢秀行(1940年入段、九段17人目、死亡)
山部俊郎(1941年入段、九段16人目、死亡)
前田陳爾(1924年入段、九段15人目、死亡)
佐藤直男(1939年5月入段関西棋院、九段14人目、死亡)
1962年



1961年



1960年

4人窪内秀知(1935年入段関西棋院、九段13人目、引退後死亡)
島村俊廣(1929年入段、九段12人目、死亡)
高川格(1928年入段、九段11人目、死亡)
宮下秀洋(1930年入段、九段10人目、死亡)
1959年1人杉内雅男(1937年入段、九段9人目)1人半田道玄(1934年入段関西棋院、九段8人目、死亡)
1958年

2人橋本昌二(1947年5月入段関西棋院、1958年12月九段7人目、2009年死亡)、
関山利一(1926年入段関西棋院、1958年推挙で九段、九段6人目、死亡)
1957年



1956年

1人木谷実(1924年入段、九段5人目、死亡)
1955年

1人坂田栄男(1935年入段、九段4人目、引退)
1954年

1人橋本宇太郎(1921年入段関西棋院、1954年1月16日九段3人目、死亡)
1953年



1952年



1951年



1950年

1人呉清源(1929年飛付三段、推挙で九段、九段2人目、引退)
1949年

1人藤沢朋斎(1933年入段、九段1人目、死亡)
3大タイトル獲得者以外の有資格者:呉清源は最強決定戦(旧名人戦の前身)2期。木谷実は最高位戦(プロ十傑戦の前身)2期。藤沢朋斎は十段1回、王座1回。橋本昌二は十段1回、王座2回。半田道玄は十段1回、王座2回。宮下秀洋は早碁名人戦(十段戦の前身)1回、王座1回。島村俊廣は天元1回、王座1回。大平修三は日本棋院選手権戦(天元戦の前身)6回、早碁名人戦(十段戦の前身)1回。工藤紀夫は天元1回、王座1回。片岡聡は天元2回。柳時熏は天元4回、王座1回。河野臨は天元2回。
参考までに資格未達者:杉内雅男は早碁名人戦(十段戦の前身)1回のみ。羽根泰正は王座1回のみ。彦坂直人は十段1回のみ。山田規三生は王座1回のみ。
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