名人戦
Ming Ren (Meijin)

應昌期圍棋教育基金会主催。1974年創設。第1期−12期までは台湾新生報が主催。第13期−第32期までは中国時報が主催。第33期から應昌期圍棋教育基金会主催が主催。第1-3期は10名のリーグ戦。第4期以降は4名が同一の相手と3局ずつ打つリーグ戦で、優勝者が前年の名人と挑戦手合7番勝負を行なう。7-15期はリーグ戦は5人で2局ずつ対局。17-27期は勝ち抜き戦方式で、前期シード棋士と予選勝ち抜き者の6人が出場し、計50局を打って対局毎の点数の最高得点者が名人となる。28〜32期以降は、9人の挑戦者決定リーグ戦の優勝者が、前年の名人と挑戦手合7番勝負を行なう。30期以降はリーグ戦は7人。33期よりトーナメント方式で挑戦者を決める。ルールは応昌期ルール。コミ黒8点。持ち時間3時間。優勝賞金は30万台湾元、準優勝は8万台湾元。

優勝者 コメント
36 2009 周俊勲一品 (2009年6月26日)挑戦手合5番勝負第3局が行われ、周俊勲一品(29)が3勝0敗で防衛した。16連覇となる。
名人・周俊勲一品(29)○−●彭景華五品(49):黒番1点勝ち
(2009年6月23日)挑戦手合5番勝負第2局が行われた。
名人・周俊勲一品(29)○−●彭景華五品(49):白番5点勝ち
(2009年6月19日)挑戦手合5番勝負第1局が行われた。
名人・周俊勲一品(29)○−●彭景華五品(49):黒番中押勝ち
35 2008 周俊勲一品 (2008年11月19日)挑戦手合5番勝負第3局が行われ、名人・周俊勲一品(28)が彭景華五品(48)を下し、3勝0敗で防衛した。15連覇となる。
34 2007 周俊勲一品 (2007年12月1日)挑戦手合5番勝負第3局が行われ、名人・周俊勲一品が3勝0敗で防衛した。14連覇となる。
名人・周俊勲一品○−●余承叡九品(24):白番中押勝ち
(2007年11月24日)挑戦手合5番勝負第2局が行われた。
名人・周俊勲一品○−●余承叡九品(24):黒番中押勝ち
(2006年11月17日)挑戦手合5番勝負第1局が行われた。
名人・周俊勲一品(27)○−●余承叡九品(24):白番中押勝ち
33 2006 周俊勲一品 (2006年12月14日)挑戦手合5番勝負第3局は名人・周俊勲一品が周可平九品(39)を黒番中押勝ちで下し、3勝0敗で優勝した。周俊勲一品は13連覇。
(2006年12月7日)挑戦手合5番勝負第2局は名人・周俊勲一品が周可平九品(39)を白番中押勝ちで下した。
(2006年11月30日)挑戦手合5番勝負第1局は名人・周俊勲一品が周可平九品(39)を黒番中押勝ちで下した。
32 2006 周俊勲一品 (2006年2月24日)挑戦手合7番勝負第5局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を黒番中押勝ちで下し、4勝1敗で優勝した。12連覇となる。
(2006年2月17日)挑戦手合7番勝負第4局は林聖賢四品が名人・周俊勲一品を黒番7点勝ちで下した。
(2006年1月20日)挑戦手合7番勝負第3局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を黒番中押勝ちで下した。
(2006年1月13日)挑戦手合7番勝負第2局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を白番1点勝ちで下した。
(2005年12月30日)挑戦手合7番勝負第1局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を黒番3点勝ちで下した。
31 2004 周俊勲一品 (2004年12月26日)挑戦手合7番勝負第4局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を白番中押勝ちで下し、4勝0敗で防衛した。11連覇となる。
(2004年12月22日)挑戦手合7番勝負第3局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を黒番中押勝ちで下した。
(2004年12月12日)挑戦手合7番勝負第2局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を白番中押勝ちで下した。
(2004年12月5日)挑戦手合7番勝負第1局は名人・周俊勲一品が林聖賢四品を黒番5目半勝ちで下した。
30 2003 周俊勲一品 (2003年12月26日)挑戦手合7番勝負第4局は名人・周俊勲一品が陳永安五品を白番中押勝ちで下し、4勝0敗で優勝した。10連覇となる。
(2003年12月22日)挑戦手合7番勝負第3局は名人・周俊勲一品が陳永安五品を黒番中押勝ちで下した。
(2003年12月12日)挑戦手合7番勝負第2局は名人・周俊勲一品が陳永安五品を白番中押勝ちで下した。
(2003年12月5日)挑戦手合7番勝負第1局は名人・周俊勲一品が陳永安五品を黒番5目半勝ちで下した。
29 2002 周俊勲一品 周俊勲一品が陳永安を4勝0敗で下した。
28 2001 周俊勲一品 周俊勲一品が彭景華を4勝1敗で下した。
27 2001 周俊勲三品
26 2000 周俊勲四品
25 1999 周俊勲四品 周俊勲が優勝した。載嘉伸が第二位。
24 1998 周俊勲四品 周俊勲(14)が12勝して優勝した。載嘉伸が第二位。
23 1997 周俊勲
22 1996 周俊勲
21 1995 周俊勲
20 1994 陳國興
19 1993 林聖賢
18 1992 彭景華
17 1991 陳長清 陳長清彭景華を4勝0敗で下した。
16 1990 彭景華
15 1989 陳長清 陳長清が林聖賢を4勝2敗で下した。2連覇。
14 1988 陳長清 陳長清周咸亨を4勝3敗で下した。
13 1987 周咸亨
12 1986 周咸亨
11 1985 陳士
10 1984 陳士
9 1983 陳士 陳士陳長清を4勝0敗で下した。
8 1982 陳長清 陳長清周咸亨を4勝1敗で下した。
7 1981 周咸亨 周咸亨が挑戦者・陳長清を4勝3敗で下した。
6 1980 周咸亨 周咸亨陳士を4勝3敗で下した。
5 1979 周咸亨 周咸亨陳士を4勝2敗で下した。
4 1978 周咸亨 (1978年1月8日〜1978年2月13日)挑戦七番勝負は名人・周咸亨が挑戦者・林文伯を4勝1敗で下し、タイトルを防衛した。
(1977年3月6日リーグ戦開始)ルールは4段階分かれた。第1段階は予選。6人が本戦に昇級する。第2段階は9人単リーグ戦。予選勝ち抜きの6人と前期残留の甲グループ下位3人の計9人が参加者する。第3段階は4人による3ラウンドリーグ戦。参加者は9人単リーグ戦の上位3人(陳士、林文伯、胡実)と前期の甲組の第2位者・陳国興。リーグ戦は林文伯と陳士が6勝4敗で並び、決定戦で林文伯勝が勝ち残った。第4段階:挑戦七番勝負。リーグ戦優勝と前期首位者・周咸亨による対戦。 (注:今期のルールは重大な変更があった。おおかた日本の名人、本因坊のルールをまねたのだ)。 結局:
3 1977 周咸亨 周咸亨が15勝3敗で優勝した。
(1976年3月7日開戦)2組の5人5ラウンドリーグ戦。(甲組:周咸亨、林文伯、陳国興、陳永安、葉重基。乙組:曹沢霖、陳延沢、蔡登閣、蔡信雄、張子建)。(注:なぜ王忠義が葉重基に交代したかは不明。) 甲グループの優勝者が名人となる。
2 1976 周咸亨 周咸亨が17勝3敗で優勝した。
(1975年3月9日開戦、1976年2月22日終了)2組の5人5ラウンドリーグ戦。(甲組:林文伯、蔡登閣、陳延沢、曹沢霖、周咸亨。乙組:陳国興、王忠義、陳長清、蔡信雄、陳永安)。甲グループの優勝者が名人となり、下位3人がリーグ落ちする。乙組の上位3人位が昇級して、下位2人がリーグ落ちする。
結果は、甲組:林文伯11勝9敗、曹沢霖9勝11敗、陳延沢7勝13敗、蔡登閣6勝14敗。乙組:陳国興16勝4負、陳永安15勝5負、王忠義13勝7負、蔡信雄5勝15負、陳長清1勝19負。
1 1975 林文伯 (1974年3月10日開戦、1975年1月12日終了)10人単リーグ戦。林文伯が9勝して優勝。賞金10万元。
蔡登閣7勝2敗、陳延沢6勝3敗、曹沢霖5勝4敗、周咸亨4勝5敗。以上5名は次回シード。陳国興4勝5負、王忠義3勝6負、蘇治瀕3勝6負、張子建2勝7負、彭旭東2勝7負。

最終更新日: 2009年6月29日