読売新聞主催。1976年創設。予選通過者がA、B二組(各組6人)に分かれて6月から10月までリーグ戦(毎月1局計5局の総当たり)を行ない、リーグ戦優勝者が11月に挑戦者決定戦を行なって挑戦者を決める。タイトルホルダーと挑戦者との挑戦手合は七番勝負で1月から3月まで行われる。二日制持ち時間各8時間。最後10分から秒読み開始。賞金額4500万円。
1975年まで旧名人戦を主催していた読売新聞が創設。1999年までは棋聖戦の挑戦者を3段階選抜制で決定していたが、2000年に大幅に制度変更され「現在の予選制度(A,Bリーグ戦)」になった。
期 | 年 | 優勝者 | コメント | 46 | 2021 | 一力遼九段(24) |
(2022年3月17.18日)挑戦手合7番勝負第7局(京都府京都市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(32)●−○挑戦者・一力遼九段(24), B+R (199手) (2022年3月10.11日)挑戦手合7番勝負第6局(神奈川県箱根町)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(32)○−●挑戦者・一力遼九段(24), W+R (236手) (2022年3月3.4日)挑戦手合7番勝負第5局(神奈川県箱根町)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(32)○−●挑戦者・一力遼九段(24), B+R (213手) 2022年2月18.19日)挑戦手合7番勝負第4局(山梨県甲府市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(32)●−○挑戦者・一力遼九段(24), B+0.5 (236手) (2022年2月4.5日)挑戦手合7番勝負第3局(長崎県西海市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(32)●−○挑戦者・一力遼九段(24), W+R (252手) (2022年1月21.22日)挑戦手合7番勝負第2局(千葉県勝浦市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(32)○−●挑戦者・一力遼九段(24), W+R (158手) (2022年1月13.14日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区「ホテル椿山荘東京」)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(32)●−○挑戦者・一力遼九段(24), W+R (214手) (2021年10月25日)挑戦者決定戦変則3番勝負第1局が行われた。変則3番勝負第1位には1勝のアドバンテージが与えられている。 [S組第一位]一力遼天元(24)○−●[A組第一位]芝野虎丸王座(21), B+R (121手) |
45 | 2021 | 井山裕太九段(31) |
(2021年3月4.5日)挑戦手合7番勝負第5局(新潟県南沼市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(31)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(40), W+R (152手) (2021年2月16.17日)挑戦手合7番勝負第4局(神奈川県箱根町)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(31)●−○挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(40), W+R (212手) (2021年2月5.6日)挑戦手合7番勝負第3局(長崎県西海市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(31)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(40), W+R (186手) (2021年1月22.23日)挑戦手合7番勝負第2局(富山県高岡市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(31)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(40), B+R (143手) (2021年1月13.14日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区「ホテル椿山荘東京」)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(31)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(40), W+R (244手) (2020年11月12日)挑戦者決定戦変則3番勝負第2局が行われ、挑戦者は河野臨(こうのりん)九段(39)に決定した。変則3番勝負第1位には1勝のアドバンテージが与えられている。 [S組第一位]河野臨(こうのりん)九段(39)○−●[S組第二位]高尾紳路九段(44), B+0.5 (235手) (2020年11月9日)挑戦者決定戦変則3番勝負第1局が行われた。変則3番勝負第1位には1勝のアドバンテージが与えられている。 [S組第一位]河野臨(こうのりん)九段(39)●−○[S組第二位]高尾紳路九段(44), B+R (209手) |
44 | 2020 | 井山裕太九段(30) |
(2020年3月5.6日)挑戦手合7番勝負第6局(山梨県甲府市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(30)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(39), W+3.5 (262手) (2020年2月26.27日)挑戦手合7番勝負第5局(神奈川県箱根町)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(30)●−○挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(39), W+R (232手) (2020年2月14.15日)挑戦手合7番勝負第4局(福岡県大宰府市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(30)●−○挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(39), B+R (231手) (2020年2月1.2日)挑戦手合7番勝負第3局(長崎県西海市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(30)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(39), B+R (153手) (2020年1月20.21日)挑戦手合7番勝負第2局(g玉県川越市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(30)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(39), W+R (198手) (2020年1月9.10日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区「ホテル椿山荘東京」)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(30)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(39), B+5.5 (296手) (2019年11月14日)挑戦者決定戦変則3番勝負第2局が行われた。変則3番勝負第1位には1勝のアドバンテージが与えられているので河野臨(こうのりん)九段(38)が2勝1敗で挑戦者になった。 [S組第一位]河野臨(こうのりん)九段(38)○−●[A組第一位]一力遼八段(22), W+R (238手) |
43 | 2019 | 井山裕太九段(29) |
(2019年3月14.15日)挑戦手合7番勝負第7局(新瀉県南魚沼市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(29)○−●挑戦者・山下敬吾九段(40), W+6.5 (313手) (2019年3月7.8日)挑戦手合7番勝負第6局(神奈川県箱根町)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(29)●−○挑戦者・山下敬吾九段(40), W+R (250手) (2019年2月27.28日)挑戦手合7番勝負第5局(山梨県甲府市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(29)●−○挑戦者・山下敬吾九段(40), B+R (215手) (2019年2月13.14日)挑戦手合7番勝負第4局(g玉県川口市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(29)○−●挑戦者・山下敬吾九段(40), B+R (183手) (2019年2月2.3日)挑戦手合7番勝負第3局(長崎県西海市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(29)○−●挑戦者・山下敬吾九段(40), W+R (252手) (2019年1月21.22日)挑戦手合7番勝負第2局(鳥取県境港市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(29)●−○挑戦者・山下敬吾九段(40), W+R (164手) (2019年1月10.11日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(29)○−●挑戦者・山下敬吾九段(40), W+R (172手) (2018年11月8日)挑戦者決定戦変則3番勝負第1局が行われた。変則3番勝負第1位には1勝のアドバンテージが与えられているので山下敬吾九段(40)が2勝して挑戦者になった。 [S組第1位]山下敬吾九段(40)○−●[S組第二位]河野臨(こうのりん)九段(37), W+R (204手) |
42 | 2018 | 井山裕太九段(28) |
(2018年2月15.16日)挑戦手合7番勝負第4局(岩手県)が行われ、井山裕太九段(28)が4勝0敗で優勝した。 棋聖・井山裕太九段(28)○−●挑戦者・一力遼七段(20), B+R (177手) (2018年1月31.1日)挑戦手合7番勝負第3局(長崎県)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(28)○−●挑戦者・一力遼七段(20), W+R (238手) (2018年1月25.26日)挑戦手合7番勝負第2局(青森県)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(28)○−●挑戦者・一力遼七段(20), B+R (171手) (2018年1月18.19日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(28)○−●挑戦者・一力遼七段(20), W+R (240手) (2017年11月9日)挑戦者決定戦変則3番勝負第1局が行われた。変則3番勝負第1位には1勝のアドバンテージが与えられているので一力遼七段(20)が2勝して挑戦者になった。 [S組第1位]一力遼七段(20)○−●[S組第2位]山下敬吾九段(39), W+R (216手) |
41 | 2017 | 井山裕太九段(27) |
(2017年3月9.10日)挑戦手合7番勝負第6局(新潟県南魚沼市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(27)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(36), W+R (150手) (2017年3月1.2日)挑戦手合7番勝負第5局(山梨県甲府市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(27)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(36), B+R (165手) (2017年2月15.16日)挑戦手合7番勝負第4局(静岡県伊豆市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(27)●−○挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(36), B+R (179手) (2017年2月8.9日)挑戦手合7番勝負第3局(埼玉県川越市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(27)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(36), B+1.5 (279手) (2017年1月22.23日)挑戦手合7番勝負第2局(島根県安来市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(27)○−●挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(36), W+5.5 (301手) (2017年1月14.15日)挑戦手合7番勝負第1局(島根県安来市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(27)●−○挑戦者・河野臨(こうのりん)九段(36), W+R (178手) |
40 | 2016 | 井山裕太九段(26) |
(2016年2月17.18日)挑戦手合7番勝負第4局(北海道帯広市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・山下敬吾九段(37), B+R (189手) (2016年2月1.2日)挑戦手合7番勝負第3局(鳥取県米子市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・山下敬吾九段(37), W+R (200手) (2016年1月28.29日)挑戦手合7番勝負第2局(鳥取県湯梨浜町)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・山下敬吾九段(37), B+2.5 (273手) (2016年1月14.15日)挑戦手合7番勝負第1局(福島県会津若松市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・山下敬吾九段(37), W+R (202手) |
39 | 2015 | 井山裕太九段(25) |
(2015年3月19.20日)挑戦手合7番勝負第7局(新潟県南魚沼市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・山下敬吾九段(36), B+5.5 (216手) (2015年3月11.12日)挑戦手合7番勝負第6局(静岡県伊豆市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(25)●−○挑戦者・山下敬吾九段(36), B+R (189手) (2015年2月25.26日)挑戦手合7番勝負第5局(山梨県甲府市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(25)●−○挑戦者・山下敬吾九段(36), W+R (194手) (2015年2月19.20日)挑戦手合7番勝負第4局(愛知県犬山市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(25)●−○挑戦者・山下敬吾九段(36), B+2.5 (224手) (2015年2月5.6日)挑戦手合7番勝負第3局(広島県尾道市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・山下敬吾九段(36), B+1.5 (278手) (2015年1月29.30日)挑戦手合7番勝負第2局(青森県八戸市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・山下敬吾九段(36), W+R (228手) (2015年1月15.16日)挑戦手合7番勝負第1局(大阪府大阪市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・山下敬吾九段(36), B+0.5 (282手) (2014年11月13日)挑戦者決定戦は山下敬吾九段(36)が村川大介七段(23)を黒番中押勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
38 | 2014 | 井山裕太九段(24) |
(2014年3月12.13日)挑戦手合7番勝負第6局(新潟県魚沼市)が行われ、棋聖・井山裕太九段(24)が4勝2敗で防衛した。 棋聖・井山裕太九段(24)○−●挑戦者・山下敬吾九段(35), B+R (229手) (2014年2月26.27日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県熱海市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(24)●−○挑戦者・山下敬吾九段(35), B+3.5 (315手) (2014年2月20.21日)挑戦手合7番勝負第4局(北海道)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(24)●−○挑戦者・山下敬吾九段(35), W+0.5 (243手) (2014年2月6.7日)挑戦手合7番勝負第3局(熊本県)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(24)○−●挑戦者・山下敬吾九段(35), W+R (140手) (2014年1月29.30日)挑戦手合7番勝負第2局(埼玉県川越市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(24)○−●挑戦者・山下敬吾九段(35), B+R (169手) (2014年1月11.12日)挑戦手合7番勝負第1局(スペイン・アルカラ・デ・エナーレス市)が行われた。 棋聖・井山裕太九段(24)○−●挑戦者・山下敬吾九段(35), W+0.5 (245手) (2013年11月14日)挑戦者決定戦は山下敬吾九段(35)が村川大介七段(22)を144手白番半目勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
37 | 2013 | 井山裕太九段(23) |
(2013年3月13.14日)挑戦手合7番勝負第6局(静岡県伊豆市)が行われ、挑戦者・井山裕太九段(23)が4勝2敗で優勝した。史上初の6冠保持者になった。 棋聖・張栩九段(32)●−○挑戦者・井山裕太九段(23):197手黒番中押勝ち (2013年1月27.28日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県熱海市)が行われた。 棋聖・張栩九段(32)●−○挑戦者・井山裕太九段(23):206手白番中押勝ち (2013年2月21.22日)挑戦手合7番勝負第4局(香川県坂出市)が行われた。 棋聖・張栩九段(32)○−●挑戦者・井山裕太九段(23):212手白番中押勝ち (2013年2月6.7日)挑戦手合7番勝負第3局(富山県富山市)が行われた。 棋聖・張栩九段(32)○−●挑戦者・井山裕太九段(23):167手黒番中押勝ち (2013年1月31.1日)挑戦手合7番勝負第2局(山形県南陽市)が行われた。 棋聖・張栩九段(32)●−○挑戦者・井山裕太九段(23):221手黒番中押勝ち (2013年1月17.18日)挑戦手合7番勝負第1局(沖縄県那覇市)が行われた。 棋聖・張栩九段(32)●−○挑戦者・井山裕太九段(23):265手白番5目半勝ち (2012年11月8日)挑戦者決定戦は井山裕太九段(23)が高尾紳路九段(36)を318手白番半目勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
36 | 2012 | 張栩九段(32) |
(2012年3月14.15日)挑戦手合7番勝負第7局が行われ、棋聖・張栩九段(32)が4勝3敗で防衛した。 棋聖・張栩九段(32)○−●挑戦者・高尾紳路九段(35):281手黒番中押勝ち (2012年3月7.8日)挑戦手合7番勝負第6局が行われた。 挑戦者・高尾紳路九段(35)○−●棋聖・張栩九段(32):174手白番中押勝ち (2012年2月23.24日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。 棋聖・張栩九段(32)○−●挑戦者・高尾紳路九段(35):226手白番中押勝ち (2012年2月15.16日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・張栩九段(32)○−●挑戦者・高尾紳路九段(35):217手黒番中押勝ち (2012年2月1.2日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 挑戦者・高尾紳路九段(35)○−●棋聖・張栩九段(32):299手黒番半目勝ち (2012年1月26.27日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・張栩九段(32)○−●挑戦者・高尾紳路九段(35):171手黒番中押勝ち (2012年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 挑戦者・高尾紳路九段(35)○−●棋聖・張栩九段(32):270手黒番2目半勝ち (2011年11月11日)挑戦者決定戦は高尾紳路九段(35)が井山裕太九段(22)がを白番半目勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
35 | 2011 | 張栩九段(31) |
(2011年3月10.11日)挑戦手合7番勝負第6局が行われ、棋聖・張栩九段(31)が4勝2敗で防衛した。 棋聖・張栩九段(31)○−●挑戦者・井山裕太九段(21):346手黒番1目半勝ち(棋譜) (2011年2月24.25日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。 棋聖・張栩九段(31)○−●挑戦者・井山裕太九段(21):322手白番2目半勝ち(棋譜) (2011年2月17.18日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・張栩九段(31)○−●挑戦者・井山裕太九段(21):272手黒番半目勝ち(棋譜) (2011年2月2.3日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 挑戦者・井山裕太九段(21)○−●棋聖・張栩九段(31):269手黒番1目半勝ち(棋譜) (2011年1月26.27日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・張栩九段(31)○−●挑戦者・井山裕太九段(21):189手黒番中押勝ち(棋譜) (2011年1月13.14日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 挑戦者・井山裕太九段(21)○−●棋聖・張栩九段(31):207手黒番中押勝ち(棋譜) (2010年11月11日)挑戦者決定戦は井山裕太九段(21)が高尾紳路九段(34)を白番中押勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
34 | 2010 | 張栩九段(30) |
(2010年2月25.26日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県伊豆市)が行われ、挑戦者・張栩九段(30)が4勝1敗で優勝した。 挑戦者・張栩九段(30)○−●棋聖・山下敬吾九段(31):247手白番1目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2010年2月18.19日)挑戦手合7番勝負第4局(神戸市)が行われた。 棋聖・山下敬吾九段(31)○−●挑戦者・張栩九段(30):280手白番7目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2010年2月3.4日)挑戦手合7番勝負第3局(大分県別府市)が行われた。 挑戦者・張栩九段(30)○−●棋聖・山下敬吾九段(31):303手白番8目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2010年1月27.28日)挑戦手合7番勝負第2局(名古屋市)が行われた。 挑戦者・張栩九段(29)○−●棋聖・山下敬吾九段(31):342手黒番6目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2010年1月14.15日)挑戦手合7番勝負第1局(台湾・台北市)が行われた。 挑戦者・張栩九段(29)○−●棋聖・山下敬吾九段(31):234手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2009年11月16日)挑戦者決定戦は張栩九段(29)が王立誠九段(51)を白番中押勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
33 | 2009 | 山下敬吾九段(30) |
(2009年3月11.12日)挑戦手合7番勝負第6局(熱海市)が行われ、棋聖・山下敬吾九段(30)が4勝2敗で優勝し、タイトルを防衛した。優勝賞金額4200万円 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・依田紀基九段:251手白番2目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2009年2月25.26日)挑戦手合7番勝負第5局(三重県)が行われた。 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・依田紀基九段:259手黒番5目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2009年2月19.20日)挑戦手合7番勝負第4局(岩手県)が行われた。 挑戦者・依田紀基九段○−●棋聖・山下敬吾九段:213手黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2009年2月4.5日)挑戦手合7番勝負第3局(広島県)が行われた。 挑戦者・依田紀基九段○−●棋聖・山下敬吾九段:254手白番半目勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2009年1月28.29日)挑戦手合7番勝負第2局(平塚市)が行われた。 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・依田紀基九段:266手白番半目勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2009年1月14.15日)挑戦手合7番勝負第1局(札幌市)が行われた。 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・依田紀基九段:254手黒番1目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 読売新聞 (2008年10月23日)挑戦者決定戦は依田紀基九段(42)が井山裕太八段(19)を黒番中押勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
32 | 2008 | 山下敬吾九段(29) |
(2008年3月19.20日)挑戦手合7番勝負第7局が行われ、棋聖・山下敬吾九段(29)が挑戦者・趙治勲九段を4勝3敗で下し、防衛した。 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・趙治勲九段:258手まで白番中押勝ち (2008年3月13.14日)挑戦手合7番勝負第6局が行われた。 挑戦者・趙治勲九段○−●棋聖・山下敬吾九段:248手まで白番4目半勝ち (2008年2月27.28日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。 挑戦者・趙治勲九段○−●棋聖・山下敬吾九段:310手まで黒番3目半勝ち (2008年2月21.22日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・趙治勲九段:207手まで黒番中押勝ち (2008年2月7.8日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・趙治勲九段:134手まで白番中押勝ち (2008年1月30.31日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 挑戦者・趙治勲九段○−●棋聖・山下敬吾九段:248手まで白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2008年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 棋聖・山下敬吾九段○−●挑戦者・趙治勲九段:140手まで白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2007年11月19日)挑戦者決定戦は趙治勲九段(51)が張栩九段(27)を白番4目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (2007年4月5日)井山裕太七段が17歳10カ月の最年少でリーグ入りを決めた。黄翊祖四段(当時)が2005年に記録した18歳6カ月を抜いた。名人、本因坊を含めた3リーグでも最年少記録になる。 |
31 | 2007 | 山下敬吾九段(28) |
(2007年2月22.23日)挑戦手合7番勝負第4局は棋聖・山下敬吾九段(28)が挑戦者・小林覚九段(47)を142手まで白番中押勝ちで下し、4勝0敗で防衛した。
→棋譜(JAVA形式) from 日本棋院 (2007年2月7.8日)挑戦手合7番勝負第3局は棋聖・山下敬吾九段(28)が挑戦者・小林覚九段(47)を157手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 日本棋院 (2007年1月31.1日)挑戦手合7番勝負第2局は棋聖・山下敬吾九段(28)が挑戦者・小林覚九段(47)を178手まで白番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 日本棋院 (2007年1月17.18日)挑戦手合7番勝負第1局は棋聖・山下敬吾九段(28)が挑戦者・小林覚九段(47)を165手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 日本棋院 (2006年11月2日)挑戦者決定戦は小林覚九段(47)が羽根直樹九段(30)を白番中押勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (2006年4月20日)棋聖戦リーグのメンバーが決定した。前期残留の羽根直樹九段、王立誠九段、小林覚九段、小松英樹九段、結城聡九段、依田紀基九段、三村智保九段、加藤充志八段の8人に予選突破の本田邦久九段、今村俊也九段、張栩九段、趙治勲九段の4人を加えた12人がA、B2リーグに別れて、山下敬吾棋聖への挑戦権を争う。 |
30 | 2006 | 山下敬吾九段(27) |
(2006年2月22.23日)挑戦手合7番勝負第4局(熊本県)は挑戦者・山下敬吾九段(27)が棋聖・羽根直樹九段(29)を243手まで白番2目半勝ちで下し、4勝0敗でタイトルを奪取した。
→棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2006年2月8.9日)挑戦手合7番勝負第3局(京都府)は挑戦者・山下敬吾九段(27)が棋聖・羽根直樹九段(29)を242手まで黒番1目半勝ちで下した。 (2006年2月1.2日)挑戦手合7番勝負第2局は挑戦者・山下敬吾九段(27)が棋聖・羽根直樹九段(29)を244手まで白番6目半勝ちで下した。 (2006年1月15.16日)挑戦手合7番勝負第1局(於:ドイツ・ベルリン)は挑戦者・山下敬吾九段(27)が棋聖・羽根直樹九段(29)を黒番中押勝ちで下した。 (2005年11月3日)挑戦者決定戦は山下敬吾九段(27)が結城聡九段(33)を黒番3目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。 |
29 | 2005 | 羽根直樹九段(28) |
(2005年3月16.17日)挑戦手合7番勝負第7局(於:静岡)は棋聖・羽根直樹九段(28)が挑戦者・結城聡九段(32)を262手まで黒番4目半勝ちで下し、4勝3敗で初防衛を果たした。
→ 読売新聞 (2005年3月9.10日)挑戦手合7番勝負第6局(於:神奈川)は棋聖・羽根直樹九段(28)が挑戦者・結城聡九段(32)を201手まで黒番6目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2005年2月24.25日)挑戦手合7番勝負第5局(於:三重)は挑戦者・結城聡九段(32)が棋聖・羽根直樹九段(28)を151手まで黒番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2005年2月16.17日)挑戦手合7番勝負第4局(於:長崎)は挑戦者・結城聡九段(32)が棋聖・羽根直樹九段(28)を124手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2005年2月2.3日)挑戦手合7番勝負第3局(於:北海道)は棋聖・羽根直樹九段(28)が挑戦者・結城聡九段(32)を238手まで白番1目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2005年1月26.27日)挑戦手合7番勝負第2局(於:鳥取)は挑戦者・結城聡九段(32)が棋聖・羽根直樹九段(28)を128手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2005年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局(於:新潟)は棋聖・羽根直樹九段(28)が挑戦者・結城聡九段(32)を132手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2004年11月8日)挑戦者決定戦は結城聡九段(32)が山下敬吾九段(26)を黒番6目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (2004年5月13日)挑戦者リーグ戦のメンバーが決定した。 A組:山下敬吾九段、王立誠九段、三村智保九段、今村善彰八段、柳時熏九段(再メンバー)、宮沢吾朗九段(再メンバー) B組:趙治勲九段、王銘宛九段、張栩九段、依田紀基九段、小林覚九段(再メンバー)、結城聡九段(新メンバー) |
28 | 2004 | 羽根直樹九段(27) |
(2004年3月17.18日)挑戦手合7番勝負第7局(於:未定)は挑戦者・羽根直樹九段(27)が棋聖・山下敬吾九段(25)を155手まで黒番中押勝ちで下し、4勝3敗で優勝した。
→ 読売新聞 (2004年3月10.11日)挑戦手合7番勝負第6局(於:静岡県)は棋聖・山下敬吾九段(25)が挑戦者・羽根直樹九段(27)を177手まで黒番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2004年2月25.26日)挑戦手合7番勝負第5局(於:箱根町)は棋聖・山下敬吾九段(25)が挑戦者・羽根直樹九段(27)を156手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2004年2月18.19日)挑戦手合7番勝負第4局(於:因島市)は棋聖・山下敬吾九段(25)が挑戦者・羽根直樹九段(27)を266手まで黒番半目勝ちで下した。 → 読売新聞 (2004年2月4.5日)挑戦手合7番勝負第3局(於:桑名市)は挑戦者・羽根直樹九段(27)が棋聖・山下敬吾九段(25)を263手まで黒番3目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2004年1月28.29日)挑戦手合7番勝負第2局(於:福岡市)は挑戦者・羽根直樹九段(27)が棋聖・山下敬吾九段(25)を206手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2004年1月15.16日)挑戦手合7番勝負第1局(於:シアトル)は挑戦者・羽根直樹九段(27)が棋聖・山下敬吾九段(25)を179手まで黒番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2003年11月13日)挑戦者決定戦は羽根直樹九段(27)が趙治勲九段を黒番2目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (2003年11月6日)挑戦者リーグの陥落者はA組が小林覚九段、石田芳夫九段、B組が柳時熏九段、淡路修三九段と決まった。 (2003年5月13日)挑戦者リーグ戦のメンバーが決定した。 A組:王立誠九段、羽根直樹九段、小林覚九段、石田芳夫九段、三村智保九段(再メンバー)、今村善彰八段(新メンバー) B組:柳時熏九段、張栩九段、依田紀基九段、趙治勲九段、王銘宛九段(新メンバー)、淡路修三九段(再メンバー) |
27 | 2003 | 山下敬吾七段(24) |
(2003年2月26.27日)挑戦手合7番勝負第5局(於:富山)は挑戦者・山下敬吾七段(24)が棋聖・王立誠九段を364手まで白番1目半勝ちで下し、4勝1敗で優勝した。(コミ5目半)
→ 読売新聞 (2003年2月19.20日)挑戦手合7番勝負第4局(於:宮崎)は挑戦者・山下敬吾七段(24)が棋聖・王立誠九段を119手まで黒番中押勝ちで下した。(コミ5目半) → 読売新聞 (2003年2月5.6日)挑戦手合7番勝負第3局(於:滋賀)は棋聖・王立誠九段が挑戦者・山下敬吾七段(24)を242手まで黒番4目半勝ちで下した。(コミ5目半) → 読売新聞 (2003年1月29.30日)挑戦手合7番勝負第2局(於:福島)は挑戦者・山下敬吾七段(24)が棋聖・王立誠九段を217手まで黒番中押勝ちで下した。(コミ5目半) → 読売新聞 (2003年1月16.17日)挑戦手合7番勝負第1局(於:東京)は挑戦者・山下敬吾七段(24)が棋聖・王立誠九段を283手まで白番6目半勝ちで下した。(コミ5目半) → 読売新聞 (2002年11月14日)挑戦者決定戦は山下敬吾七段(24)が柳時熏七段(30)を254手まで黒番半目勝ちで下し、挑戦者に決定した。山下敬吾七段は24歳で棋聖戦最年少挑戦者記録。 (2002年11月7日)挑戦者リーグの陥落者はA組が三村智保九段、中小野田智己八段、B組が淡路修三九段、趙善津九段と決まった。 (2002年5月13日)挑戦者リーグ戦のメンバーが決定した。 A組:柳時熏七段、羽根直樹九段、三村智保九段、石田芳夫九段、依田紀基九段(新メンバー)、中小野田智己八段(新メンバー) B組:趙治勲九段、張栩七段、淡路修三九段、趙善津九段、小林覚九段(新メンバー)、山下敬吾七段(新メンバー) |
26 | 2002 | 王立誠九段(44) |
(2002年3月6.7日)挑戦手合7番勝負第6局(於:静岡)は棋聖・王立誠九段(44)が挑戦者・柳時熏七段を277手まで黒番2目勝ちで下し、4勝2敗で防衛した。
→ 読売新聞 (2002年2月20.21日)挑戦手合7番勝負第5局(於:北海道)は棋聖・王立誠九段が挑戦者・柳時熏七段を300手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2002年2月13.14日)挑戦手合7番勝負第4局(於:愛知)は棋聖・王立誠九段が挑戦者・柳時熏七段を253手まで黒番4目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2002年1月30.31日)挑戦手合7番勝負第3局(於:北九州)は挑戦者・柳時熏七段が棋聖・王立誠九段を265手まで黒番2目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2002年1月24.25日)挑戦手合7番勝負第2局(於:仙台)は挑戦者・柳時熏七段が棋聖・王立誠九段を246手まで白番半目勝ちで下した。 → 読売新聞 (2002年1月10.11日)挑戦手合7番勝負第1局(於:ロンドン)は棋聖・王立誠九段が挑戦者・柳時熏七段を190手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2001年11月8日)挑戦者決定戦は柳時熏七段が趙治勲九段を194手まで白番中押勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (2001年11月1日)挑戦者リーグの陥落者はA組が宮沢吾朗九段、山田拓自六段、B組が石田篤司八段、溝上知親七段と決まった。 (2001年5月13日)挑戦者リーグ戦のメンバーが決定した。 A組:趙善津九段、柳時熏七段、張栩七段、宮沢吾朗九段、三村智保九段(新メンバー)、山田拓自六段(新メンバー) B組:淡路修三九段、石田芳夫九段、趙治勲九段、石田篤司八段、羽根直樹八段(新メンバー)、溝上知親七段(新メンバー) |
25 | 2001 | 王立誠九段(43) |
(2001年3月7.8日)挑戦手合7番勝負第6局(於:長野)は棋聖・王立誠九段(43)が挑戦者・趙善津九段を281手まで黒番5目半勝ちで下し、4勝2敗で防衛した。
→ 読売新聞 (2001年2月21.22日)挑戦手合7番勝負第5局(於:鳥取)は棋聖・王立誠九段が挑戦者・趙善津九段を188手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2001年2月14.15日)挑戦手合7番勝負第4局(於:大分)は挑戦者・趙善津九段が棋聖・王立誠九段を346手まで白番半目勝ちで下した。 → 読売新聞 (2001年1月31.1日)挑戦手合7番勝負第3局(於:福島)は棋聖・王立誠九段が挑戦者・趙善津九段を196手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2001年1月24.25日)挑戦手合7番勝負第2局(於:富山)は棋聖・王立誠九段が挑戦者・趙善津九段を181手まで黒番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (2001年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局(於:台北)は挑戦者・趙善津九段が棋聖・王立誠九段を291手まで黒番1目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2000年11月2日)挑戦者決定戦は趙善津九段が淡路修三九段を259手まで黒番中押勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (2000年10月12日)挑戦者リーグの陥落者はA組が今村俊也九段、楊嘉源九段、B組が長谷川直九段、彦坂直人九段と決まった。 (2000年10月12日)B組は趙善津九段(3勝1敗)が石田芳夫九段(4勝0敗)を白番中押勝ちで下し、ともに4勝1敗となり前期順位の関係で趙善津九段がリーグ優勝となった。 (2000年9月14日)A組は淡路修三九段(3勝0敗)が趙治勲九段(2勝1敗)を白番半目勝ちで下し、4勝0敗となり1試合を残してリーグ優勝を決めた。 (2000年5月11日)挑戦者決定リーグ戦参加棋士12人が決定した。 予選勝抜き者は彦坂直人九段、楊嘉源九段、趙善津九段、淡路修三九段、石田芳夫九段、宮沢吾朗九段、今村俊也九段、長谷川直九段、石田篤司八段、柳時熏七段、張栩六段の11人で、これに前棋聖・趙治勲九段を加えた12人が6人ずつ二組のリーグに分かれて挑戦権を争う。組み分けはつぎの通り。 A組:趙治勲九段、淡路修三九段、今村俊也九段、楊嘉源九段、石田篤司八段、柳時熏七段 B組:趙善津九段、石田芳夫九段、宮沢吾朗九段、長谷川直九段、彦坂直人九段、張栩六段 2組はそれぞれでリーグ戦を行い、成績によって順位を決定する。各組の成績第1位が挑戦者決定戦に進出し、下位2名が陥落する。同率の場合は前期の順位(初年度は棋士序列)で決める。挑戦者決定戦は1番勝負で勝者が挑戦者となる。 なお、今回の挑戦手合七番勝負から対局料制は廃止され、賞金制なる。従来、七番勝負優勝者はタイトル料3300万円+七番勝負対局料900万円を手にしていたが、第25期以降はタイトル賞金4200万円となる。 |
24 | 2000 | 王立誠九段(42) |
(3月8.9日)挑戦手合7番勝負第6局(於:愛媛)は挑戦者・王立誠九段(42)が棋聖・趙治勲九段を132手まで白番中押勝ちで下し、4勝2敗で優勝した。
→ 読売新聞 (2月23.24日)挑戦手合7番勝負第5局(於:山口)は挑戦者・王立誠九段が棋聖・趙治勲九段を257手まで黒番5目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2月16.17日)挑戦手合7番勝負第4局(於:岐阜)は挑戦者・王立誠九段が棋聖・趙治勲九段を245手まで白番12目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (2月2.3日)挑戦手合7番勝負第3局(於:神奈川)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・王立誠九段を194手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (1月26.27日)挑戦手合7番勝負第2局(於:岩手)は挑戦者・王立誠九段が棋聖・趙治勲九段を180手まで白番中押勝ちで下した。 → 読売新聞 (1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局(於:沖縄)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・王立誠九段を273手まで白番4目半勝ちで下した。 → 読売新聞 (1999年10月21日)最高棋士決定戦決勝3番勝負第2局は王立誠九段が彦坂直人九段を145手まで黒番中押勝ちで下し、2勝0敗で挑戦権を獲得した。 (1999年10月14日)最高棋士決定戦決勝3番勝負第1局は王立誠九段が彦坂直人九段を白番中押勝ちで下した。 (1999年9月23日)最高棋士決定戦準決勝戦第2回戦は彦坂直人九段が小林光一九段を白番6目半勝ちで下した。 (1999年9月16日)最高棋士決定戦準決勝戦第1回戦は王立誠九段が小林覚九段を白番中押勝ちで下した。 (1999年9月16日)最高棋士決定戦準決勝戦第1回戦は小林覚九段と王立誠九段との間で行われる。 (1999年8月26日)最高棋士決定戦準々決勝戦第4回戦は王立誠九段が羽根直樹七段を130手まで白番中押勝ちで下した。 準決勝戦は小林覚九段、王立誠九段、彦坂直人九段、小林光一九段の間で行われる。 |
23 | 1999 | 趙治勲九段(43) |
(3月10.11日)挑戦手合7番勝負第6局(於:札幌市)は棋聖・趙治勲九段(43)が挑戦者・小林光一九段を272手で白番5目半勝ちで下し、4勝2敗で優勝した。趙治勲九段は4連覇。通算8期目。 (1999.03.12 読売新聞) (2月24.25日)挑戦手合7番勝負第5局(於:鹿児島市)は挑戦者・小林光一九段が棋聖・趙治勲九段を102手で白番中押勝ちで下した。 (1999.02.26 読売新聞) (2月17.18日)挑戦手合7番勝負第4局(於:広島県因島市)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・小林光一九段を287手で白番1目半勝ちで下した。 (1999.02.19 読売新聞) (2月3.4日)挑戦手合7番勝負第3局(於:静岡県黒石市)は挑戦者・小林光一九段が棋聖・趙治勲九段を186手で白番中押勝ちで下した。 (1999.02.5 読売新聞) (1月27.28日)挑戦手合7番勝負第2局(於:静岡県清水市「日本平ホテル」)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・小林光一九段を208手で白番中押勝ちで下した。 (1999.01.29 読売新聞) (1月13.14日)挑戦手合7番勝負第1局(於:パリ「日本文化会館」)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・小林光一九段を203手で黒番中押勝ちで下した。 (1999.01.15 読売新聞) |
22 | 1998 | 趙治勲九段(42) |
(3月11.12日) 挑戦手合7番勝負第6局(於:富山県氷見グランドホテルマイアミ)は棋聖・趙治勲九段(42)が挑戦者・依田紀基九段を265手で白番4目半勝ちで下し、4勝2敗で、優勝した。趙治勲九段は3連覇。通算7期目。 (1998.03.13 読売新聞) (2月25.26日) 挑戦手合7番勝負第5局(於:栃木県宇都宮グランドホテル)は挑戦者・依田紀基九段が棋聖・趙治勲九段を114手で白番中押勝ちで下し、2勝3敗とした。 (1998.02.27 読売新聞) (2月18.19日) 挑戦手合7番勝負第4局(於:佐賀県嬉野温泉)は挑戦者・依田紀基九段が棋聖・趙治勲九段を89手で黒番中押勝ちで下した。 (1998.02.20 読売新聞) (2月4.5日) 挑戦手合7番勝負第3局(於:和歌山県白浜温泉)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・依田紀基九段を93手で黒番中押勝ちで下した。 (1998.02.06 読売新聞) (1月28.29日) 挑戦手合7番勝負第2局(於:仙台市「仙台ホテル」)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・依田紀基九段を222手で白番3目半勝ちで下した。 (1998.01.30 読売新聞) (1月14.15日) 挑戦手合7番勝負第1局(於:香港「グランドハイアットホンコン」)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・依田紀基九段を189手で黒番中押勝ちで下した。 両者の対戦は過去24局行われ、趙九段の13勝11敗である。24局中12局ずつ黒番白番を持ったが、両者とも黒番のときに勝率が格段に高い。趙九段は9勝3敗で勝率75%、依田九段は8勝4敗で67%である。 (1998.01.30 読売新聞) |
21 | 1997 | 趙治勲九段(41) |
(1月15日〜2月27日)棋聖・趙治勲九段(41)が挑戦者・小林覚九段を4勝1敗で下した。趙治勲は棋聖通算6期となる。 (1997.02.28 読売新聞) |
20 | 1996 | 趙治勲九段(40) |
(3月27.28日)挑戦手合7番勝負第7局は挑戦者・趙治勲九段(40)が棋聖・小林覚九段を下し、4勝3敗で優勝した。趙治勲九段は棋聖通算5期となる。 (1月17.18日)挑戦手合7番勝負第1局は棋聖・小林覚九段が挑戦者・趙治勲九段を85手まで黒番中押勝ちで下した。 趙治勲九段(本因坊)が挑戦者に。 |
19 | 1995 | 小林覚九段(35) |
(3月22.23日)挑戦手合7番勝負第2局は挑戦者・小林覚九段(35)が棋聖・趙治勲九段を下し、4勝2敗で初優勝した。 (1月28.29日)挑戦手合7番勝負第2局は挑戦者・小林覚九段が棋聖・趙治勲九段を68手まで黒番中押勝ちで下した。68手終局は棋聖戦史上最短手数記録。 (1月18.19日)挑戦手合7番勝負第1局(於:米国アトランタ市)は棋聖・趙治勲九段が挑戦者・小林覚九段を下した。 今期からパラマス戦(初段優勝者が2段優勝者と対戦し、勝った者が3段優勝者と対戦という具合に九段まであがっていく勝抜き戦)ではなくトーナメント方式になった。 |
18 | 1994 | 趙治勲九段(39) | (1月18.19日〜3月9日) 挑戦者・趙治勲九段(39)が棋聖・小林光一九段を4勝2敗(●○○○●○)で下した。 |
17 | 1993 | 小林光一九段(40) |
(3月17.18日)七番勝負第7局は棋聖・小林光一九段(40)が挑戦者・加藤正夫九段を4勝3敗で下した。8連覇。 (1月13.14日)七番勝負第1局は香港で行われた。 |
16 | 1992 | 小林光一九段(39) |
(3月18.19日)小林光一九段(39)が山城宏九段を4勝3敗で下した。7連覇。 (1月16.17日)七番勝負第1局はオーストラリア・シドニー市で行われた。 |
15 | 1991 | 小林光一九段(38) |
(3月19.20日)挑戦手合7番勝負第7局は棋聖・小林光一九段(38)が挑戦者・加藤正夫九段を206手まで白番4目半勝ちで下し、4勝3敗で優勝した。6連覇。 (1月18.19日)七番勝負第1局はブラジル・サンパウロで行われた。 |
14 | 1990 | 小林光一九段(37) |
小林光一九段(37)が大竹英雄九段を4勝1敗で下した。5連覇。 (1月17.18日)七番勝負第1局は西ドイツ・デュッセルドルフ市で行われた。 |
13 | 1989 | 小林光一九段(36) |
本因坊・小林光一九段(36)が挑戦者・武宮正樹九段を4勝1敗で下した。4連覇。 (1989年1月18.19日)第1局はニューヨーク対局、挑戦者・武宮正樹九段が本因坊・小林光一九段を228手まで白番中押勝ちで下した。 |
12 | 1988 | 小林光一九段(35) | 小林光一九段(35)が加藤正夫九段を4勝1敗で下した。3連覇。 |
11 | 1987 | 小林光一九段(34) |
小林光一九段(34)が武宮正樹九段を4勝1敗で下した。2連覇。 第1局はロサンゼルス対局だった。 |
10 | 1986 | 小林光一九段(33) |
(3月12.13日)第6局(岐阜・下呂町)が行われ、小林光一九段(33)が趙治勲九段を4勝2敗(○●●○○○)で下した。小林光一九段(33)は4冠王(棋聖、名人、十段、天元)となった。 趙治勲棋聖●−○小林光一名人:黒番中押勝ち (2月26.27日)第5局(鹿児島)が行われた。 趙治勲棋聖●−○小林光一名人:白番中押勝ち (2月19.20日)第4局(北海道・網走)が行われた。 趙治勲棋聖●−○小林光一名人:黒番2目半勝ち (2月5.6日)第3局(岩手・平泉町)が行われた。 趙治勲棋聖○−●小林光一名人:黒番1目半勝ち (1月29.30日)第2局(松江)が行われた。 趙治勲棋聖○−●小林光一名人:白番3目半勝ち (1月16.17日)第1局(富山・高岡)が行われた。年明け早々に趙治勲九段は交通事故に遭い全治3ヶ月の重傷を負った。趙治勲九段は夫人同伴で車椅子で対局した。 趙治勲棋聖●−○小林光一九段(名人):白番2目半勝ち |
9 | 1985 | 趙治勲九段(28) |
(3月19.20日)第7局(東京・紀尾井町)が行われ、趙治勲九段(28)が武宮正樹九段を4勝3敗で下した。3連覇。 趙 治勲棋聖○−●武宮 正樹九段:白番1目半勝ち (3月13.14日)第6局(熱海)が行われた。 趙 治勲棋聖○−●武宮 正樹九段:白番4目半勝ち (2月27.28日)第5局(富山市)が行われた。 趙 治勲棋聖●−○武宮 正樹九段:白番中押勝ち (2月20.21日)第4局(札幌市)が行われた。 趙 治勲棋聖○−●武宮 正樹九段:白番半目勝ち (2月6.7日)第3局(福岡市)が行われた。 趙 治勲棋聖●−○武宮 正樹九段:白番中押勝ち (1月30.31日)第2局(名古屋)が行われた。 趙 治勲棋聖●−○武宮 正樹九段:黒番中押勝ち (1月16.17日)第1局(韓国・ソウル)が行われた。第1局はソウルで打たれた。史上初の海外対局だった。 趙 治勲棋聖○−●武宮 正樹九段:黒番7目半勝ち |
8 | 1984 | 趙治勲九段(27) |
(1982年3月7.8日)挑戦手合7番勝負第6局が行われ、趙治勲九段(27)が林海峰九段を4勝2敗で下した。2連覇。
棋聖・趙治勲九段(27)○−●挑戦者・林海峰九段:白番半目勝ち (1982年2月22.23日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。 棋聖・趙治勲九段(27)○−●挑戦者・林海峰九段:白番中押勝ち (1982年2月15.16日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・趙治勲九段(27)○−●挑戦者・林海峰九段:黒番2目半勝ち (1982年2月1.2日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 棋聖・趙治勲九段(27)○−●挑戦者・林海峰九段:黒番中押勝ち (1982年1月25.26日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・趙治勲九段(27)○−●挑戦者・林海峰九段:白番中押勝ち (1982年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 棋聖・趙治勲九段(27)○−●挑戦者・林海峰九段:黒番中押勝ち |
7 | 1983 | 趙治勲九段(26) |
(1983年3月16.17日)趙治勲九段(26)が藤沢秀行九段(57)を4勝3敗(●●●○○○○)で下した。旧名人戦(1973年)以来の3連敗後の4連勝、棋聖戦史上初の大逆転で話題になった。同時に初の大三冠になった。 棋聖・藤沢秀行九段(57)●−○挑戦者・趙治勲九段(26):白番1目半勝ち (1983年3月9.10日)挑戦手合7番勝負第6局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(57)●−○挑戦者・趙治勲九段(26):黒番5目半勝ち (1983年2月23.24日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(57)●−○挑戦者・趙治勲九段(26):白番中押勝ち (1983年2月16.17日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(57)●−○挑戦者・趙治勲九段(26):黒番中押勝ち (1983年2月2.3日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(57)○−●挑戦者・趙治勲九段(26):黒番3目半勝ち (1983年1月26.27日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(57)○−●挑戦者・趙治勲九段(26):白番中押勝ち (1983年1月13.14日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(57)○−●挑戦者・趙治勲九段(26):黒番4目半勝ち (1982年末)挑戦者決定3番勝負は趙治勲九段が加藤正夫九段を下した。 |
6 | 1982 | 藤沢秀行九段(56) |
(1982年3月17.18日)挑戦手合7番勝負第7局が行われ、藤沢秀行九段(56)が林海峰九段を下し、4勝3敗で優勝した。タイトル料2000万円。6連覇。全互先 先番5目半コミ出し、持時間 各9時間、秒読み 残り10分前より。 棋聖・藤沢秀行九段(56)○−●挑戦者・林海峰九段:白番中押勝ち (1982年3月10.11日)挑戦手合7番勝負第6局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(56)○−●挑戦者・林海峰九段:黒番3目半勝ち (1982年2月24.25日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(56)●−○挑戦者・林海峰九段:黒番中押勝ち (1982年2月17.18日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(56)●−○挑戦者・林海峰九段:白番7目半勝ち (1982年2月3.4日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(56)○−●挑戦者・林海峰九段:白番3目半勝ち (1982年1月27.28日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(56)○−●挑戦者・林海峰九段:黒番中押勝ち (1982年1月13.14日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(56)●−○挑戦者・林海峰九段:黒番中押勝ち |
5 | 1981 | 藤沢秀行九段(55) |
(2月18.19日)挑戦手合7番勝負第4局が行われ、藤沢秀行九段(55)が大竹英雄九段を4勝0敗で下した。5連覇。全互先 先番5目半コミ出し、持時間 各9時間、秒読み 残り10分前より。 藤沢秀行九段(黒番)○−●大竹英雄九段:白番中押勝ち (2月4.5日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。藤沢秀行は「広い碁盤」に雄大な構想を見せた。 藤沢秀行九段(白番)○−●大竹英雄九段:黒番中押勝ち (1月28.29日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 藤沢秀行九段(黒番)○−●大竹英雄九段:白番中押勝ち (1月13.14日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 藤沢秀行九段(白番)○−●大竹英雄九段:黒番中押勝ち (1980年末)挑戦者決定3番勝負は大竹英雄九段が趙治勲八段を2勝1敗で下し、挑戦権を獲得した。 |
4 | 1980 | 藤沢秀行九段(54) |
(1980年2月27.28日)挑戦手合7番勝負第5局が行われ、藤沢秀行九段(54)が林海峰九段を4勝1敗で下した。4連覇。全互先 先番5目半コミ出し、持時間 各9時間、秒読み 残り10分前より。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・林海峰九段:黒番4目半勝ち (1980年2月20.21日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・林海峰九段:白番中押勝ち (1980年2月5.6日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)●−○挑戦者・林海峰九段:白番中押勝ち (1980年1月30.31日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・林海峰九段:白番半目勝ち (1980年1月16.17日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。藤沢秀行は二手一組の華麗な利かしを見せた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・林海峰九段:黒番中押勝ち |
3 | 1979 | 藤沢秀行九段(53) |
(1979年3月1.2日)挑戦手合7番勝負第5局が行われ、藤沢秀行九段(53)が石田芳夫九段を4勝1敗で下した。3連覇。全互先 先番5目半コミ出し、持時間 各9時間、秒読み 残り10分前より。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・石田芳夫九段:白番1目半勝ち (1979年2月21.22日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。藤沢秀行は緩急自在の打ち回しを見せた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・石田芳夫九段:黒番中押勝ち (1979年2月7.8日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)●−○挑戦者・石田芳夫九段:黒番2目半勝ち (1979年1月24.25日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・石田芳夫九段:黒番中押勝ち (1979年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・石田芳夫九段:白番3目半勝ち |
2 | 1978 | 藤沢秀行九段(52) |
(1978年3月22.23日)挑戦手合7番勝負第7局が行われ、藤沢秀行九段(52)が加藤正夫八段を4勝3敗で下した。2連覇。全互先 先番5目半コミ出し、持時間 各9時間、秒読み 残り10分前より。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・加藤正夫八段:白番半目勝ち (1978年3月8.9日)挑戦手合7番勝負第6局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・加藤正夫八段:白番中押勝ち (1978年3月1.2日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。白石撲殺の譜として余りにも有名。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・加藤正夫八段:131手黒番中押勝ち(棋譜) (1978年2月15.16日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)●−○挑戦者・加藤正夫八段:黒番4目半勝ち (1978年2月8.9日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)○−●挑戦者・加藤正夫八段:黒番中押勝ち (1978年1月24.25日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)●−○挑戦者・加藤正夫八段:黒番3目半勝ち (1978年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 棋聖・藤沢秀行九段(52)●−○挑戦者・加藤正夫八段:白番1目半勝ち 挑戦者決定3番勝負は加藤正夫八段が林海峰九段を2勝1敗で下した。 |
1 | 1977 | 藤沢秀行九段(50) |
(1977年2月7.8日)挑戦手合7番勝負第5局が行われ、藤沢秀行九段(50歳)が橋本宇太郎九段(69歳)を4勝1敗で下した。全互先 先番5目半コミ出し、持時間 各9時間、秒読み 残り10分前より。 藤沢秀行九段(52)○−●橋本宇太郎九段(69):黒番中押勝ち (1977年1月26.27日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。 藤沢秀行九段(52)○−●橋本宇太郎九段(69):白5目半勝ち (1977年1月12.13日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。 藤沢秀行九段(52)●−○橋本宇太郎九段(69):黒1目半勝ち (1976年12月15.16日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。 藤沢秀行九段(52)●−○橋本宇太郎九段(69):黒番中押勝ち (1976年12月2.3日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。 藤沢秀行九段(52)○−●橋本宇太郎九段(69):黒番中押勝ち 最高棋士決定戦参加者は、藤沢秀行、橋本宇太郎、大竹英雄、武宮正樹、加藤正夫、大平修三、坂田栄男、石田芳夫、林海峰、白石譲、小林光一の11名だった。 |