しんぶん赤旗主催。1976年創設。1期毎のトーナメント戦。参加資格は4月1日時点25歳以下(2005年までは30歳以下)、六段以下(2007年まで七段以下)。持ち時間3時間(2004〜2005年は4時間、2003年まで5時間)、コミ6目半(2003年まで5目半)。決勝は3番勝負。賞金額200万円(2007年まで328万円)。
期 | 年 | 優勝者 | コメント | 46 | 2021 | 外柳是聞三段(26) |
(10月15日)決勝3番勝負第3局(日本棋院)が行われた。 上野愛咲美四段(19)●−○外柳是聞三段(26), W+R (272手) (10月9日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)が行われた。 上野愛咲美四段(19)○−●外柳是聞三段(26), B+R (261手) (9月20日)決勝3番勝負第1局(日本棋院)が行われた。 上野愛咲美四段(19)●−○外柳是聞三段(26), B+R (281手) |
45 | 2020 | 関航太郎三段(18) |
(10月16日)決勝3番勝負第3局(関西棋院)が行われた。 佐田篤史四段(24)●−○関航太郎三段(18), W+R (190手) (9月28日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)が行われた。 佐田篤史四段(24)●−○関航太郎三段(18), W+R (196手) (9月18日)決勝3番勝負第1局(日本棋院)が行われた。 佐田篤史四段(24)○−●関航太郎三段(18), W+R (190手) |
44 | 2019 | 孫七段(23) |
(10月7日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)が行われた。 孫七段(23)○−●小池芳弘四段(21), W+R (230手) (9月30日)決勝3番勝負第1局(日本棋院)が行われた。 孫七段(23)○−●小池芳弘四段(21), B+5.5 (259手) |
43 | 2018 | 広瀬優一二段(17) |
(10月1日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)が行われた。 大西研也三段(23)●−○広瀬優一二段(17), B+4.5 (225手) (9月21日)決勝3番勝負第1局(日本棋院)が行われた。 大西研也三段(23)●−○広瀬優一二段(17), W+R (144手) |
42 | 2017 | 芝野虎丸七段(17) |
(10月2日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)が行われた。 孫五段(21)●−○芝野虎丸七段(17), B+R (221手) (9月18日)決勝3番勝負第1局(日本棋院)が行われた。 孫五段(21)●−○芝野虎丸七段(17), W+R (252手) |
41 | 2016 | 大西竜平二段(16) |
(9月30日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)が行われた。 谷口徹二段(20)●−○大西竜平二段(16), B+R (227手) (9月22日)決勝3番勝負第1局(関西棋院)が行われた。 谷口徹二段(20)●−○大西竜平二段(16), W+0.5 (242手) |
40 | 2015 | 許家元三段(17) |
(9月16日)決勝3番勝負第2局(東京本院)が行われ、許家元三段(17)が2勝0敗で優勝した。 平田智也四段(21)●−○許家元三段(17), W+R (194手) (9月11日)決勝3番勝負第1局(東京本院)が行われた。 平田智也四段(21)●−○許家元三段(17), B+R (175手) |
39 | 2014 | 一力遼七段(17) |
(9月25日)決勝3番勝負第3局(中部総本部)が行われ、一力遼七段(17)が2勝1敗で優勝した。17歳3カ月の優勝は史上最年少記録。 志田達哉七段(23)●−〇一力遼七段(17), B+R (145手) (9月17日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)が行われた。 志田達哉七段(23)〇−●一力遼七段(17), B+R (145手) (9月11日)決勝3番勝負第1局(中部総本部)が行われた。 志田達哉七段(23)●−〇一力遼七段(17), B+0.5 (266手) |
38 | 2013 | 富士田明彦三段(21) |
(9月26日)決勝3番勝負第2局(関西棋院)が行われ、富士田明彦三段(21)が2勝0敗で優勝した。 余正麒(よ・せいき)七段(18)●−〇富士田明彦三段(21), B+R (181手) (9月17日)決勝3番勝負第1局が行われた。 余正麒(よ・せいき)七段(18)●−〇富士田明彦三段(21), W+R (214手) |
37 | 2012 | 金沢真三段(20) |
(10月9日)決勝3番勝負第3局が行われ、金沢真三段(20)が2勝1敗で優勝した。 金沢真三段(20)〇−●富士田明彦三段(20), W+11.5 (288手) (9月28日)決勝3番勝負第2局が行われた。 金沢真三段(20)〇−●富士田明彦三段(20), B+R (215手) (9月19日)決勝3番勝負第1局が行われた。 金沢真三段(20)●−〇富士田明彦三段(20), B+6.5 (275手) |
36 | 2011 | 村川大介七段(20) |
(9月26日)決勝3番勝負第2局が行われ、村川大介七段(20)が2勝0敗で優勝した。 村川大介七段(20)〇−●安斎伸彰六段(26):245手白番1目半勝ち (関西棋院) (9月19日)決勝3番勝負第1局が行われた。 村川大介七段(20)〇−●安斎伸彰六段(26):249手黒番6目半勝ち (関西棋院) |
35 | 2010 | 白石勇一三段(26) |
(10月1日)決勝3番勝負第3局が行われ、白石勇一三段(26)が2勝1敗で優勝した。 白石勇一三段(26)〇−●三谷哲也六段(25):199手黒番中押勝ち (9月24日)決勝3番勝負第2局が行われた。 白石勇一三段(26)〇−●三谷哲也六段(25):244手黒番3目半勝ち (9月17日)決勝3番勝負第1局が行われた。 三谷哲也六段(25)〇−●白石勇一三段(26):143手黒番中押勝ち |
34 | 2009 | 李沂修七段(21) |
(9月25日)決勝3番勝負第2局が行われ、李沂修七段(21)が2勝0敗で優勝した。 李沂修七段〇−●三谷哲也五段:225手黒番中押勝ち (9月16日)決勝3番勝負第1局が行われた。 李沂修七段〇−●三谷哲也五段:218手白番1目半勝ち (8月6日)準決勝第2局が行われた。 李沂修七段〇−●寺山怜二段 (7月30日)準決勝第1局が行われた。 三谷哲也五段〇−●瀬戸大樹七段 |
33 | 2008 | 内田修平二段(19) |
(9月22日)決勝3番勝負第2局が行われ、内田修平二段(19)が2勝0敗で優勝した。 内田修平二段〇−●河英一四段:191手まで黒番中押勝ち→(棋譜) (9月11日)決勝3番勝負第1局が行われた。 内田修平二段〇−●河英一四段:白番8目半勝ち→(棋譜) |
32 | 2007 | 井山裕太七段(18) |
(9月17日)決勝3番勝負第2局が行われ、井山裕太七段(18)が2勝0敗で優勝した。 井山裕太七段○−●望月研一六段:131手まで黒番中押勝ち→(棋譜) (9月10日)決勝3番勝負第1局が行われた。 井山裕太七段○−●望月研一六段:292手まで白番5目半勝ち→(棋譜) |
31 | 2006 | 松本武久六段(26) |
(10月4日)決勝3番勝負第3局は松本武久六段(26)が黄翊祖七段(19)を267手まで白番5目半勝ちで下し、2勝1敗で初優勝した。
→棋譜(JAVA形式)、しんぶん赤旗 (9月20日)決勝3番勝負第2局は松本武久六段(26)が黄翊祖七段(19)を269手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) (9月13日)決勝3番勝負第1局は黄翊祖七段(19)が松本武久六段(26)を229手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) |
30 | 2005 | 金秀俊七段(26) |
(9月23日)決勝3番勝負第2局(日本棋院)は金秀俊七段(26)が井山裕太四段(16)を212手まで白番中押勝ちで下し、2勝0敗で初優勝した。 (9月15日)決勝3番勝負第1局(関西総本部)は金秀俊七段(26)が井山裕太四段(16)を219手まで黒番中押勝ちで下した。 →しんぶん赤旗 (8月4日)準決勝戦第2局は金秀俊七段が蘇耀国七段を白番中押勝ちで下した。 (7月18日)準決勝戦第1局は井山裕太四段(16)が黄翊祖四段(18)を白番3目半勝ちで下した。 |
29 | 2004 | 溝上知親七段(27) |
(10月6日)決勝3番勝負第3局は溝上知親七段(27)が坂井秀至六段(31)を白番半目勝ちで下し、2勝1敗で優勝した。 (9月30日)決勝3番勝負第2局は溝上知親七段(27)が坂井秀至六段(31)を272手で白番半目勝ちで下した。 (9月15日)決勝3番勝負第1局は坂井秀至六段(31)が溝上知親七段(27)を315手で白番7目半勝ちで下した。 →関西棋院 (8月13日)準決勝戦第2局は溝上知親七段(27)が潘善h六段を下した。 (8月12日)準決勝戦第1局は坂井秀至六段(31)が鈴木嘉倫六段を黒番中押勝ちで下した。 |
28 | 2003 | 蘇耀国七段(24) |
(10月9日)決勝3番勝負第2局(於:関西棋院)は蘇耀国七段(24)が藤井秀哉五段(23)を188手まで白番中押勝ちで下し、2勝0敗で優勝した。
→関西棋院 (9月29日)決勝3番勝負第1局(於:日本棋院)は蘇耀国七段(24)が藤井秀哉五段(23)を268手まで黒番3目半勝ちで下した。この年からコミは6目半となった。 →しんぶん赤旗 (8月14日)準決勝戦第2局は蘇耀国七段(23)が溝上知親七段を下した。 (8月13日)準決勝戦第1局は藤井秀哉五段(22)が松原大成五段を下した。 |
27 | 2002 | 張栩七段(22) |
(9月30日)決勝3番勝負第2局は張栩七段(22)が高尾紳路七段(25)を177手まで黒番中押勝ちで下し、2勝0敗で優勝した。
→しんぶん赤旗 (9月16日)決勝3番勝負第1局は張栩七段が高尾紳路七段(25)を349手まで白番3目半勝ちで下した。 →しんぶん赤旗 (8月19日)準決勝戦第2局は張栩七段が黄奕ホ四段を黒番中押勝ちで下した。 (8月12日)準決勝戦第1局は高尾紳路七段が鶴山淳志四段を188手まで白番中押勝ちで下した。 |
26 | 2001 | 山下敬吾七段(23) |
(9月26日)決勝3番勝負第2局は山下敬吾七段(23)が久保秀夫五段(26)を135手まで黒番中押勝ちで下し、2勝0敗で優勝した。4連覇。 (9月19日)決勝3番勝負第1局は山下敬吾七段(23)が久保秀夫五段(26)を144手まで白番中押勝ちで下した。 (8月2日)準決勝戦第2局は山下敬吾七段が有村比呂司七段を285手まで黒番5目半勝ちで下した。 (7月16日)準決勝戦第1局は久保秀夫五段が金秀俊六段を黒番11目半勝ちで下した。 |
25 | 2000 | 山下敬吾七段(22) |
(9月27日)決勝戦3番勝負第2局は山下敬吾七段(22)が羽根直樹八段(24)を197手まで黒番中押勝ちで下し、2勝0敗で優勝した。3連覇。 (9月18日)決勝戦3番勝負第1局は山下敬吾七段(22)が羽根直樹八段(24)を228手まで白番中押勝ちで下した。 (8月17日)準決勝戦第2局は羽根直樹八段が仲邑信也七段を黒番中押勝ちで下した。 (8月14日)準決勝戦第1局は山下敬吾六段が山田拓自五段を白番中押勝ちで下した。 |
24 | 1999 | 山下敬吾六段(21) |
(10月4日)決勝戦3番勝負第2局は山下敬吾六段(21)が羽根直樹七段(23)を190手まで白番中押勝ちで下し、2勝0敗で優勝した。 (9月20日)決勝戦3番勝負第1局は山下敬吾六段(21)が羽根直樹七段(23)を89手まで黒番中押勝ちで下した。 (8月12日)準決勝戦第2局は羽根直樹七段が高尾紳路六段を黒番半目勝ちで下した。 (7月26日)準決勝戦第1局は山下敬吾六段が金秀俊五段を白番中押勝ちで下した。 |
23 | 1998 | 山下敬吾六段(20) |
(10月5日)決勝戦3番勝負第3局は山下敬吾六段(20)が高尾紳路六段(21)を218手までで白番中押勝ちで下した。 (9月21日)決勝戦3番勝負第2局は高尾紳路六段(21)が山下敬吾六段(20)を黒番5目半勝ちで下した。 (9月14日)決勝戦3番勝負第1局は山下敬吾六段(20)が高尾紳路六段(21)を291手までで黒番1目半勝ちで下した。 |
22 | 1997 | 山田規三生七段(25) |
(9月24日)決勝戦3番勝負第2局(日本棋院・関西総本部)は山田規三生七段(25)が青木喜久代七段(29)を白番中押勝ちで下し、2勝0敗で優勝した。 (9月17日)決勝戦3番勝負第1局は山田規三生七段(25)が青木喜久代七段(29)を黒番中押勝ちで下した。 |
21 | 1996 | 高尾紳路五段(19) |
(9月11日〜9月23日)決勝戦3番勝負は高尾紳路五段(19)が仲邑信也五段(23)を2勝0敗で下し、優勝した。 |
20 | 1995 | 三村智保七段(26) | (9月11.18日)決勝戦3番勝負第一局(日本棋院会館「幽玄の間」)は三村智保七段(26)が趙善津八段(25)を2勝0敗で下し、優勝した。2度目の新人王。 |
19 | 1994 | 三村智保七段(25) | (10月3日)決勝戦3番勝負は三村智保七段(25)が楊嘉源七段(24)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
18 | 1993 | 結城聡八段(21) |
(9月13日)決勝戦3番勝負第2局は結城聡八段(21)が三村智保七段(24)を下し、2勝0敗で優勝した。 (9月6日)決勝戦3番勝負第1局は結城聡八段(21)が三村智保七段(24)を下した。 |
17 | 1992 | 小松英樹八段(25) | (9月21.29日)決勝戦3番勝負は小松英樹八段(25)がM・レドモンド七段(29)を2勝0敗で下し、優勝した。 |
16 | 1991 | 趙善津六段(21) | 趙善津六段(21)が柳時薫四段(19)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
15 | 1990 | 依田紀基八段(24) | 依田紀基八段(24)が結城聡六段(18)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
14 | 1989 | 依田紀基七段(23) |
(9月2日)決勝3番勝負第2局は依田紀基七段(23)が泉谷英雄四段(23)を下し、2勝0敗で優勝した。 (8月28日)決勝3番勝負第1局は依田紀基七段(23)が泉谷英雄四段(23)を下した。 |
13 | 1988 | 小松英樹六段(21) |
(8月29日)決勝3番勝負第2局は小松英樹六段(21)が鳴沢泰一六段(32)を黒番中押勝ちで下し、2勝0敗で優勝した。優勝賞金180万円。 (8月22日)決勝3番勝負第1局は小松英樹六段(21)が鳴沢泰一六段(32)を下した。 |
12 | 1987 | 依田紀基六段(21) | 依田紀基六段(21)が王銘宛七段(26)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
11 | 1986 | 依田紀基六段(20) | 依田紀基六段(20)が王立誠八段(27)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
10 | 1985 | 宮沢吾朗七段(35) | 宮沢吾朗七段(35)が今村俊也六段(19)を2勝0敗で下し、優勝した。 |
9 | 1984 | 今村俊也六段(18) | (9月6日)決勝3番勝負第3局は今村俊也六段(18)が橋本雄二郎五段(29)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
8 | 1983 | 依田紀基五段(17) | (8月10日)決勝3番勝負第2局は依田紀基五段(17歳5ヶ月)が宮沢吾朗七段(33)を2勝0敗で下し、優勝した。17歳5ヶ月でのタイトル獲得は最年少記録。 |
7 | 1982 | 片岡聡六段(24) | 片岡聡六段(24)が依田紀基四段(16)を2勝0敗で下し、優勝した。 |
6 | 1981 | 王立誠六段(22) | 王立誠六段(22)が長谷川直六段(21)を2勝0敗で下し、優勝した。 |
5 | 1980 | 宮沢吾朗六段(30) | 宮沢吾朗六段(30)が清成哲也五段(18)を2勝0敗で下し、優勝した。 |
4 | 1979 | 石田章七段(30) | 石田章七段(30)が山城宏六段(21)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
3 | 1978 | 石田章七段(29) | 石田章七段(29)が倉橋正蔵七段(35)を2勝1敗で下し、優勝した。 |
2 | 1977 | 小林光一七段(25) | 決勝戦3番勝負は小林光一七段(25)が趙治勲七段(21)を2勝0敗で下し、優勝した。 |
1 | 1976 | 小林光一七段(24) | 決勝戦3番勝負は小林光一七段(24)が中村秀仁六段(31)を2勝0敗で下し、優勝した。 |