1968年創設。2003年(第34期)で一時終了したが2007年に復活した。2007年からはハ・イウォンリゾート(江原ランド=Kangwon Land)と韓国日報が共同で後援し、囲碁TVが主催し、韓国棋院の主管する。挑戦手合は5番勝負。30期まではコミ5目半、トーナメント方式であったが、31期(2000年度)からコミ6目半および8人リーグ戦に変更された。リーグ戦方式は王位戦に次いで2番目の採用。その後王位戦がトーナメント戦に変更されたので、唯一のリーグ戦となった。持ち時間は各2時間。その後1分の秒読み。優勝賞金は6000万ウォン、準優勝は2000万ウォン。
期 | 年 | 優勝者 | コメント |
44 | 2021 | 申真婿九段(21) |
(2021年8月7日)決勝3番勝負第3局が行われた。 [勝者組冠軍]卞相壹九段(24)●−○[復活組冠軍]申真婿九段(21), B+R (223手) (2021年8月6日)決勝3番勝負第2局が行われた。 [勝者組冠軍]卞相壹九段(24)●−○[復活組冠軍]申真婿九段(21), W+R (220手) (2021年8月5日)決勝3番勝負第1局が行われた。 [勝者組冠軍]卞相壹九段(24)○−●[復活組冠軍]申真婿九段(21), W+R (208手) |
43 | 2016 | 李世石九段(32) |
(2016年1月21日)決勝5番勝負第4局が行われ、李世石九段(32)が3勝1敗で優勝した。 朴廷桓国手(23)●−○李世石九段(32), B+R(173手) (2016年1月20日)決勝5番勝負第3局が行われた。 朴廷桓国手(23)○−●李世石九段(32), B+R (271手) (2016年1月9日)決勝5番勝負第2局が行われた。 朴廷桓国手(22)●−○李世石九段(32), B+R (2016年1月8日)決勝5番勝負第1局が行われた。 朴廷桓国手(22)●−○李世石九段(32), W+R (140手) |
42 | 2014 | 朴永訓九段(29) |
(2014年11月10日)決勝5番勝負第4局が行われ、朴永訓九段(29)が3勝1敗で優勝した。 朴永訓九段(29)○−●李東勲三段(16), B+R (169手) (2014年11月10日)決勝5番勝負第3局が行われた。 朴永訓九段(29)○−●李東勲三段(16), W+R (258手) (2014年11月2日)決勝5番勝負第2局が行われた。 朴永訓九段(29)●−○李東勲三段(16), W+R (208手) (2014年11月1日)決勝5番勝負第1局が行われた。 朴永訓九段(29)○−●李東勲三段(16), W+R (264手) |
41 | 2013 | 崔哲瀚九段(28) |
(2013年12月15日)決勝5番勝負第5局が行われ、崔哲瀚九段(28)が3勝2敗で優勝した。 李世石九段(30)●−○崔哲瀚九段(28), W+R (366手) (2013年12月14日)決勝5番勝負第4局が行われた。 李世石九段(30)○−●崔哲瀚九段(28), W+1.5 (262手) (2013年11月26日)決勝5番勝負第3局が行われた。 李世石九段(30)●−○崔哲瀚九段(28), W+R (197手) (2013年11月12日)決勝5番勝負第2局が行われた。 李世石九段(30)●−○崔哲瀚九段(28), B+R (197手) (2013年11月11日)決勝5番勝負第1局が行われた。 李世石九段(30)○−●崔哲瀚九段(28), B+4.5 (251手) |
40 | 2012 | 李世石九段(29) |
(2012年12月26日)決勝5番勝負第5局が行われ、李世石九段(29)が3勝2敗で優勝した。 李世石九段(29)○−●白洪淅九段(26), B+R (187手) (2012年12月21日)決勝5番勝負第4局が行われた。 李世石九段(29)○−●白洪淅九段(26), B+R (127手) (2012年12月20日)決勝5番勝負第3局が行われた。 李世石九段(29)○−●白洪淅九段(26), W+R (146手) (2012年12月18日)決勝5番勝負第2局が行われた。 李世石九段(29)●−○白洪淅九段(26), W+3.5 (271手) (2012年12月17日)決勝5番勝負第1局が行われた。 李世石九段(29)●−○白洪淅九段(26), B+R (231手) |
39 | 2011 | 朴永訓九段(26) |
(2011年12月8日)決勝5番勝負第4局が行われ、朴永訓九段(26)が3勝1敗で優勝した。 朴永訓九段(26)○−●白洪淅八段(25), W+R (228手) (2011年11月25日)決勝5番勝負第3局が行われた。 朴永訓九段(26)○−●白洪淅八段(25):161手黒番中押勝ち(棋譜) (2011年11月24日)決勝5番勝負第2局が行われた。 白洪淅八段(25)○−●朴永訓九段(26):185手黒番中押勝ち (2011年11月18日)決勝5番勝負第1局が行われた。 朴永訓九段(26)○−●白洪淅八段(25):173手黒番中押勝ち(棋譜) |
38 | 2010 | 朴永訓九段(25) |
(2010年11月11日)決勝5番勝負第5局は朴永訓九段(25)が3勝2敗で優勝した。 朴永訓九段(25)○−●元晟湊九段(25):260手白番中押勝ち (2010年11月9日)決勝5番勝負第4局が行われた。 朴永訓九段(25)○−●元晟湊九段(25):290手白番1目半勝ち(棋譜) (2010年10月27日)決勝5番勝負第3局が行われた。 元晟湊九段(25)○−●朴永訓九段(25):192手白番中押勝ち(棋譜) (2010年10月25日)決勝5番勝負第2局が行われた。 元晟湊九段(25)○−●朴永訓九段(25):127手黒番中押勝ち(棋譜) (2010年10月23日)決勝5番勝負第1局が行われた。 朴永訓九段(25)○−●元晟湊九段(25):157手黒番中押勝ち(棋譜) |
37 | 2009 | 李昌鎬九段 |
(2009年12月10日)決勝5番勝負第4局は李昌鎬九段が3勝1敗で優勝した。 李昌鎬九段○−●元晟湊九段:264手黒番半目勝ち (2009年12月8日)決勝5番勝負第3局が行われた。 李昌鎬九段○−●元晟湊九段:329手白番3目半勝ち (2009年12月3日)決勝5番勝負第2局が行われた。 元晟湊九段○−●李昌鎬九段:280手白番1目半勝ち (2009年12月1日)決勝5番勝負第1局が行われた。 李昌鎬九段○−●元晟湊九段:196手白番中押勝ち (2009年12月1日)現名人・李世石九段が休業したため、今期はトーナメント戦となった。 |
36 | 2008 | 李世石九段 |
(2008年12月22日)決勝5番勝負第4局が行われ、李世石九段が3勝1敗で優勝した。 李世石九段○−●姜東潤九段(19):124手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2008年12月8日)決勝5番勝負第3局が行われた。 李世石九段○−●姜東潤九段(19):185手黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2008年12月5日)決勝5番勝負第2局が行われた。 李世石九段○−●姜東潤九段(19):200手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2008年12月1日)決勝5番勝負第1局が行われた。 姜東潤九段(19)○−●李世石九段:305手白番5目半勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 |
35 | 2007 | 李世石九段 |
(2007年10月30日)挑戦手合5番勝負第3局が行われ、李世石九段が3勝0敗で優勝した。 李世石九段○−●趙漢乗九段:183手黒番中押勝ち (2007年10月16日)挑戦手合5番勝負第2局が行われた。 李世石九段○−●趙漢乗九段:212手白番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2007年10月2日)挑戦手合5番勝負第1局が行われた。 李世石九段○−●趙漢乗九段:219手黒番中押勝ち →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2007年5月現在)リーグ戦の成績。名人戦は3年ぶりに復活した。 |
34 | 2003 | 李昌鎬九段 |
(2003年12月15日)挑戦手合5番勝負第5局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・゙薫鉉九段を232手まで白番中押勝ちで下し、3勝2敗で優勝した。優勝賞金は1億ウォン(最高賞金額)、準優勝は600万ウォン。
→棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2003年12月12日)挑戦手合5番勝負第4局は挑戦者・゙薫鉉九段が名人・李昌鎬九段を192手まで白番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2003年12月5日)挑戦手合5番勝負第3局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・゙薫鉉九段を180手まで白番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2003年11月13日)挑戦手合5番勝負第2局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・゙薫鉉九段を161手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2003年10月10日)挑戦手合5番勝負第1局は挑戦者・゙薫鉉九段が名人・李昌鎬九段を163手まで黒番中押勝ちで下した。 →棋譜(JAVA形式) from 韓国棋院 (2003年9月30日)゙薫鉉九段が李世石九段を189手まで黒番中押勝ちで下し、、リーグ戦6勝1敗でで名人戦挑戦権を獲得した。 |
33 | 2002 | 李昌鎬九段 |
(2002年10月2日)挑戦手合5番勝負第4局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・安祚永七段を128手まで白番中押勝ちで下し、3勝1敗で優勝した。5連覇。 (2002年9月24日)挑戦手合5番勝負第3局は挑戦者・安祚永七段が名人・李昌鎬九段を263手まで白番半目勝ちで下した。安祚永七段は対李昌鎬九段戦10連敗をストップさせ初勝利を収めた。 (2002年9月17日)挑戦手合5番勝負第2局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・安祚永七段を144手まで白番中押勝ちで下した。 (2002年9月9日)挑戦手合5番勝負第1局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・安祚永七段を181手まで黒番中押勝ちで下した。 (2002年8月6日)安祚永七段は劉昌赫九段を250手まで白番半目勝ちで下し、、リーグ戦6戦全勝で名人戦挑戦権を獲得した。 |
32 | 2001 | 李昌鎬九段 |
(12月4日)挑戦手合5番勝負第5局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・劉昌赫九段を229手まで黒番3目半勝ちで下し、3勝2敗で優勝した。4連覇。 (11月16日)挑戦手合5番勝負第4局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・劉昌赫九段を249手まで黒番11目半勝ちで下した。 (10月5日)挑戦手合5番勝負第3局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・劉昌赫九段を194手まで白番中押勝ちで下した。 (9月22日)挑戦手合5番勝負第2局(於:蔚山)は挑戦者・劉昌赫九段が名人・李昌鎬九段を172手まで白番中押勝ちで下した。 (9月13日)挑戦手合5番勝負第1局(於:海南)は挑戦者・劉昌赫九段が名人・李昌鎬九段を151手まで黒番中押勝ちで下した。 (9月6日)6勝1敗同士の同率決勝戦は劉昌赫九段が゙薫鉉九段を330手まで黒番半目勝ちで下し、8年ぶりに挑戦権を獲得した。 (9月3日)名人リーグ戦第28局ば薫鉉九段が劉昌赫九段を178手まで白番中押勝ちし、二人は6勝1敗で同率トップになった。 (2000年11月24日)リーグ戦のメンバーは残留組の゙薫鉉九段、劉昌赫九段、崔明勲七段、梁宰豪九段と、予選勝ち上り組の林宣根九段、尹Rル五段、睦鎮碩四段、李聖宰六段の8人に確定した。 |
31 | 2000 | 李昌鎬九段 |
(10月23日)挑戦手合5番勝負第3局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・゙薫鉉九段を293手まで白番1目半勝ちで下し、3勝0敗で優勝した。 (10月10日)挑戦手合5番勝負第2局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・゙薫鉉九段を201手まで黒番中押勝ちで下した。 (9月27日)挑戦手合5番勝負第1局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・゙薫鉉九段を186手まで白番中押勝ちで下した。 (9月18日)同率決勝戦第二局ば薫鉉九段が崔明勲七段を183手まで黒番中押勝ちで下し、挑戦権を獲得した。 (9月15日)同率決勝戦第一局は崔明勲七段が劉昌赫九段を277手まで白番7目半勝ちで下した。 (9月4日)リーグ戦ば薫鉉九段、劉昌赫九段、崔明勲七段の三人が5勝2敗で並び、同率決戦を行なうことになった。なお梁宰豪九段の残留が確定した。崔珪丙九段、金承俊七段、睦鎮碩五段、だやり式六段は陥落した。 (2月24日)リーグ戦のメンバーば薫鉉九段、劉昌赫九段、崔珪丙九段、梁宰豪九段、崔明勲七段、金承俊六段、睦鎮碩四段、だやり式六段の8人。 |
30 | 1999 | 李昌鎬九段 |
(10月4日)挑戦手合5番勝負第4局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・崔明勲七段を243手目で黒番6目半勝ちで下し、3勝1敗で優勝した。 (9月30日)挑戦手合5番勝負第3局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・崔明勲七段を225手目で白番3目半勝ちで下した。 (9月20日)挑戦手合5番勝負第2局は挑戦者・崔明勲七段が名人・李昌鎬九段を330手目で白番5目半勝ちで下した。→棋譜(SGF形式) (9月3日)挑戦手合5番勝負第1局は名人・李昌鎬九段が挑戦者・崔明勲七段を198手目で白番中押勝ちで下した。 対局は韓国棋院のインターネットサービス(www.baduk.or.kr)で生中継され、1万余名の囲碁ファンが観戦した。→棋譜(SGF形式) (8月18日)挑戦者決定3番勝負第3局は崔明勲七段(24)が゙薫鉉九段を273手まで白番1目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。 (8月6日)挑戦者決定3番勝負第2局ば薫鉉九段が崔明勲七段を白番2目半勝ちで下した。 (7月29日)挑戦者決定3番勝負第1局は崔明勲七段が゙薫鉉九段を222手まで白番3目半勝ちで下した。 (7月8日)挑戦者決定戦準決勝第2局ば薫鉉九段が林宣根六段を162手まで黒中押勝ちで下した。 (6月18日)挑戦者決定戦準決勝第1局は崔明勲六段が梁宰豪九段を283手まで白2目半勝ちで下した。 |
29 | 1998 | 李昌鎬九段 |
(9月17日)挑戦手合5番勝負第4局は挑戦者・李昌鎬九段が名人・゙薫鉉九段を下し、3勝1敗で優勝した。 (8月7日)挑戦手合5番勝負第1局は挑戦者・李昌鎬九段が名人・゙薫鉉九段を黒番2目半目勝ちで下した。 (1月14日)本戦第3局で柳才馨三段が李煕星二段を316手で黒番1目半勝ちで下した。 (98.01.27 baduk361) (1月14日)本戦第2局で崔珪丙八段が鄭大相七段を239手で黒番5目半勝ちで下した。 (98.01.27 baduk361) |
28 | 1997 | ゙薫鉉九段 |
(9月24日)挑戦手合5番勝負第5局ば薫鉉九段が李昌鎬九段を300手白番5目半勝ちで下し、3勝2敗で優勝した。 97.09.28 donga ilbo (9月12日)挑戦手合第4局ば薫鉉九段が李昌鎬九段を下した。 (9月5日)挑戦手合第3局ば薫鉉九段が李昌鎬九段を231手黒番中押勝ちで下した。 (Baduk News 97.09.06)
(8月20日)挑戦手合第2局は李昌鎬九段が゙薫鉉九段を171手黒番中押勝ちで下した。これで対戦成績は李昌鎬九段が今年は16勝8敗(通算戦績 131勝88敗)となった。
(8月11日)挑戦手合第1局は李昌鎬九段が゙薫鉉九段を148手白番中押勝ちで下した。これで対戦成績は李昌鎬九段が今年は15勝8敗(通算戦績 130勝88敗)となった。
(8月6日)挑戦者決定3番勝負の第2局ば薫鉉九段が崔明勲五段を269手黒番3目半勝ちで下し、2勝0敗で挑戦権を獲得した。
(7月23日)挑戦者決定3番勝負の第1局ば薫鉉九段が崔明勲五段を278手白番5目半勝ちで下した。 |
27 | 1996 | 李昌鎬九段 |
名称を油公杯・名人戦に変更し、優勝賞金も4000万ウォンに大幅アップした。 (9月30日)挑戦手合5番勝負は李昌鎬九段が崔明勲五段を3勝2敗で下した。6連覇 (?月?日)挑戦者決定戦準決勝第1局は崔明勲五段が劉昌赫九段を302手黒番半目勝ちで下した。 (from korea-ilbo) |
26 | 1995 | 李昌鎬七段 | 挑戦手合5番勝負は李昌鎬七段が挑戦者・梁宰豪九段を3勝0敗で下した。5連覇 |
25 | 1994 | 李昌鎬七段 |
挑戦手合5番勝負は李昌鎬七段が挑戦者・林宣根八段を3勝0敗で下した。4連覇。 (5月?日)挑戦者決定戦で林宣根八段が崔明勲三段を下した。 (5月9日)挑戦者決定戦準決勝戦で林宣根八段が李聖宰初段(17歳)を下した。 (4月21日)挑戦者決定戦準決勝戦で崔明勲三段(19歳)が徐奉洙九段を下した。(from joongang-ilbo 1994/5/4) |
24 | 1993 | 李昌鎬六段 | 李昌鎬六段が劉昌赫六段を3勝2敗で下した。3連覇 |
23 | 1992 | 李昌鎬五段 | 李昌鎬五段が梁宰豪八段を3勝1敗で下した。2連覇 |
22 | 1991 | 李昌鎬五段 | 李昌鎬五段が゙薫鉉九段を3勝0敗で下し、初タイトルを獲得した。 |
21 | 1990 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が李昌鎬四段を3勝1敗で下した。 |
20 | 1989 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が徐奉洙九段を3勝0敗で下した。 |
19 | 1988 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が徐奉洙九段を3勝0敗で下した。 |
18 | 1987 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が張斗軫六段を3勝0敗で下した。 |
17 | 1985 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が徐奉洙九段を3勝1敗で下した。 |
16 | 1984 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が金秀壮六段を3勝0敗で下した。 |
15 | 1984 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が徐奉洙八段を3勝1敗で下した。 |
14 | 1982 | 徐奉洙七段 | 徐奉洙七段が゙薫鉉九段を3勝2敗で下した。 |
13 | 1981 | ゙薫鉉九段 | ゙薫鉉九段が徐奉洙七段を3勝1敗で下した。 |
12 | 1980 | ゙薫鉉八段 | ゙薫鉉八段が徐奉洙七段を3勝1敗で下した。 |
11 | 1979 | ゙薫鉉八段 | ゙薫鉉八段が徐奉洙六段を3勝2敗で下した。 |
10 | 1978 | 徐奉洙五段 | 徐奉洙五段が゙薫鉉七段を3勝1敗で下した。 |
9 | 1977 | ゙薫鉉七段 | ゙薫鉉七段が徐奉洙五段を3勝1敗で下した。 |
8 | 1976 | 徐奉洙五段 | 徐奉洙五段が尹奇鉉七段を3勝2敗で下した。 |
7 | 1974 | 徐奉洙四段 | 徐奉洙四段が趙南哲八段を3勝0敗で下した。 |
6 | 1973 | 徐奉洙四段 | 徐奉洙四段が゙薫鉉六段を3勝1敗で下した。 |
5 | 1972 | 徐奉洙三段 | 徐奉洙三段がチォンチァンヒョン(Seong Chang-hyun)六段を3勝0敗で下した。 |
4 | 1971 | 徐奉洙二段 | 徐奉洙二段(18)が趙南哲八段を3勝1敗で下した。 |
3 | 1970 | 趙南哲八段 | 趙南哲八段が金寅七段を3勝2敗で下した。 |
2 | 1969 | 金寅七段 | 金寅七段が趙南哲八段を3勝1敗で下した。 |
1 | 1968 | 趙南哲八段 | 趙南哲八段が金寅六段を下した。 |