1959年1月10日


【呉−高川戦】黒 本因坊秀格、白 呉清源九段

1959年1月10日、呉清源九段と高川秀格本因坊との三番碁第2局(毎日新聞社主催)。終局の場面で、白地には黒イと切り、白ロ以下、符合順に白へで本コウになる手段が残っている。手を入れれば白の半目負けだ。本因坊は囲碁規約に従っての手入れを主張し、呉九段は実戦的に不要説を証明して見せた。立会人の長谷川章七段(当時)は「黒の半目勝ち」と裁定した。数日後、呉九段は新聞社の仲介などによって「白半目負け」を受け入れると同時に、囲碁規約の不合理な点についてすみやかに善処するよう日本棋院に要望した。この問題が契機となって「囲碁規約改正委員会」が生まれる。現在は国際棋戦の時代となっている。それは開催国のルールで行われているが、統一ルールの確立が必要なことは言うまでもない。北京五輪後の今年10月には、囲碁やカードなど、初の世界マインドスポーツ大会も開催される。(赤松正弘)

◎日本囲碁規約(要約)終局の手入れの問題
コウの形が一手コウ(本コウ)となっていてただちに手段が生じる場合は手入れを要するものとする。
注 ヨセコウで手段となるものは手入れを要せず。(1949年10月2日から施行。現行規約では図を入れて、もっとくわしく解説している)


最終更新日: 2009年1月31日