囲碁タイトル戦予選を改革 プロ組織の日本棋院 【2003年3月8日 神戸新聞(文化生活部 岡崎丈和)】 囲碁のプロ組織の一つ、日本棋院は今年から、初段から九段の段位で、高段者ほどタイトル戦予選でシードされる現行方式を改め、段位に関係なく実力に応じた制度を採用する。一度昇段すると降段しない従来の方式では、段位と実力が必ずしも一致せず、改革の必要に迫られていた。長らく囲碁界を支配していた段位偏重のシステムが改まる。 段位偏重を実力主義に/成績に応じクラス分け これまで日本棋院では、各棋戦の予選で、九段をはじめとする七段以上の高段者を上位にシードしてきた。しかし、新しい予選制度では実力優先。各棋戦の成績に応じ、段位に関係なく、プロ棋士をA―C予選の三クラスに振り分ける。各クラスで昇降を争い、最高のA予選で勝ち進めば、本戦やリーグ入りとなる。 棋戦の方式変更と同時に、段位認定方法も変える。同棋院では1927年から、棋戦とは別に「大手合」と呼ばれる制度を実施。決められた成績を上げると一段ずつ昇段し、最高段位の九段になると参加が免除されてきた。大手合開始直後は、段位が棋界での実力を反映していたが、段位を下げる規定はないため、九段は増加の一途を辿った。現在、棋士約320人のうち九段は70人を超え、全段位の中で最も多くなった。最近は若手の中低段者が高段者を破ることも珍しくない。このため、同棋院では今年から大手合制度を廃止。タイトル獲得や主要棋戦の通算勝数によって昇段する方式を採ることにした。同棋院では「段位はイベントやけいこ先での棋士の肩書にすぎなくなる」という。 対局料の方式も見直す。段位が根拠になり、高段ほど対局料が高額になる現在の方式を見直す。現在4、5倍の差がある九段と初段の対局料は、同じクラスでは同額になる。これによって、勝数の少ない高段者が、勝ち星の多い中低段者よりマネーランキングが高くなるという矛盾が解消される。同棋院の河野光樹五段(29)=千葉県在住=は「段位に関係なく、強ければチャンスが確実に広がる。若手の多くは歓迎ムードで、やる気は満々」と好意的に受け止める。さらに、同棋院・手合課は「棋士の競争心をあおることで、さらに実力がアップするはず。現在、韓国や中国に押されている国際棋戦での活躍につながれば」ともくろむ。 関西在住の棋士を中心に構成するプロ組織、関西棋院はどうか。ほとんどの棋戦で高段者を優遇しているのが実態だ。1999年に始まった実力優先の唯一の棋聖戦予選ですら、今年から高段者にシード権を与える。対局料の格差も広がっており、若手棋士を中心に「時代に逆行している」と批判されている。関西棋院で棋戦改革案を作成する委員の代表、山崎吉廣九段(54)は「棋聖戦予選は不備があり、変更した。来年からは日本棋院と同じように、実力主義の制度に改めるよう話し合いを進めている」と説明している。 囲碁の世界も制度改革 【2003年5月 労務屋ブログ】 日本棋院が、2003年4月から昇段制度の抜本的な改定に踏み切りました。よく知られているとおり、囲碁や将棋、柔道や剣道など日本の伝統競技は、競技者の熟達度を初段から九段までの段位で表示しています。それを決める昇段制度はまさに力量の評価制度であり、企業の人事管理にも通じる部分があるものです。そこで今回は、日本棋院の昇段制度改定をご紹介してみたいと思います。 約4分の1が九段 まず、改定前の制度から見ていきたいと思います。囲碁は勝負の世界ですから、評価も基本的には実績主義ですが、相手のある競技なので、単純に勝ち数や勝率だけでは評価できません。そこで、従来は、「名人戦」や「本因坊戦」などのタイトル戦をはじめとする一般棋戦とは別に、「大手合」という段位を決めるための棋戦を実施して、その結果で昇段を決めていました。具体的には、段位が上の人に勝てば高得点、段位が下の人に負ければ低得点というように、相手関係と勝敗の組み合わせで結果をポイント化し、連続した何試合(何局)かの平均点が一定基準に達すると昇段する、というしくみです。 なかなか合理的な考え方ですが、成績が悪くても段位が下がることはないことに加えて、最高段の九段になると大手合には参加しなくなるという、基本的には勝ち抜けのしくみなので、年功的にどんどん高段者がふえる構造になっていました。実際、過去75年間大手合で昇段を決めてきた結果、最初の1人がこのしくみで誕生するまでに20年以上を要した九段が、制度改定時には日本のプロ棋士321人の約4分の1にあたる73人にまで増えてしまっていました。その一方で、初段から四段までを合計しても78人だというのですから、これでは実力の尺度としてはあまり役に立つとはいえません。現実に、九段のなかでの実力のばらつきは非常に大きいといわれています。 それに加えて、昇段していくには一定の期間が必要なので、急速に成長している若手の場合、段位が実力に追いつかないということも間々あるようで、七段、八段の若手がタイトルを獲得する例も珍しくないようです(昨年は、七段の若手が日本囲碁界の最高位である「棋聖」を獲得しています)。 こうしてみると、結果が明らかな実力の世界で、客観的な制度で評価しているにもかかわらず、実態としてはかなり年功的な部分が大きい制度だったといえそうです。 ここにも年功賃金の弊害 しかも、単なる肩書であればまだしも、これが報酬(対局料)に反映されるので、問題はさらに深刻になります。具体的な対局料についてはほとんど情報がないのですが、岩波新書に入っている中山典之著「囲碁の世界」には、朝日新聞主催の「名人戦」の対局料が紹介されています(昭和61年のものなのでかなり古いのですが、他に資料がみつかりませんでした)。 それによれば、予選は1次予選から3次予選まであり、四段以下の「低段者」は1次予選から出場しなければならず、対局料は初段48,000円〜四段64,000円となっています。 1次予選を勝ち抜いた低段者と、五段以上の「高段者」が出場する2次予選では、対局料は五段127,000円〜八段171,000円となっています(低段者でも、2次予選に進出すれば五段の対局料がもらえるようです)。さらに、九段は204,000円と、もう一段格上の対局料となっています(三次予選はさすがに段位に関係なく定額のようです)。もちろん、これを支払うのは主催者である新聞社ですが、いずれにしても段位がどんどん上がれば、対局料総額も上昇し、棋戦の運営に大きな負担となることは間違いありません。まさに、多くの民間企業が悩んでいるのと同じような、高齢化、高資格化のなかでの年功賃金の弊害という、同一の構造になっているわけです。 新しい昇段制度 それでは、今回の制度改定はどのようなものかというと、まず、大手合に代わって、一般棋戦の成績による昇段制度が導入されました。 昇段基準は3つあり、第一が「タイトル獲得による昇段」です。格式の高いタイトルである「棋聖」「名人」「本因坊」のいずれかを獲得するか、世界戦に優勝するか、「天元」など他の4つのタイトルを2期獲得・保持するかすれば九段、というように、タイトル獲得、優勝、挑戦などの回数によって昇段するというしくみです。前述した七段で「棋聖」を獲得した若手棋士は、この新ルールによって「飛び級」で九段に昇りました。 次が「勝数による昇段」で、初段で30勝すれば二段に、二段で40勝すれば三段に…と続き、八段で200勝すれば九段になる、というしくみです。勝数は減るわけではないので、長く続ければ年功的に上がる部分はありますが、棋戦はトーナメント戦が多く、強い人は勝てば勝つほど対局数が増え、勝数も増えるわけなので、日本棋院幹部によれば、「平均して昇段スピードは落ちるが、若くて強い棋士は早くなる」とのことです。現状、八段の棋士の平均年間対局数は20局くらいとのことですから、勝率5割で200勝といえば20年かかることになります。なかなか高いハードルといえましょう。七段には六段で120勝、八段には七段で150勝ということなので、七段くらいまでは勝数での昇段が大半で、八段以上はタイトル獲得などで昇段するのが主流ということになるのではないでしょうか。 もうひとつは「各段賞金ランキングによる昇段」で、初段から五段までは上位2人、六段の上位1人が、それぞれひとつ上の段に上がるというもので、やはり強い人をはやく上げていくしくみといえるでしょう。 もちろん、この制度改定が意図した結果を得るまでには、かなりの時間がかかるでしょう。また、各段での通算勝数が基準となっていることや、降段がないことなど、年功的な部分も残されており、本質的な解決ではないとの見方もあるでしょう。とはいえ、激変緩和という観点もありますし、必ずしもすべて実力だけではなく、普及への貢献なども昇段の考慮に入れるとすれば、かなりうまく考えられたしくみであると評価できるのではないでしょうか。 段位と対局料の分離 いっぽうで、高段者、特に九段の増加による対局料の負担増については、昇段制度改定の結果が出てくるまで待つわけにはいきませんので、今回の制度改定のもう一本の柱として、段位と対局料の分離が行なわれるようです。 さきほど名人戦の例を見ましたが、囲碁のタイトル戦は、棋戦によって違いはありますが、一般的には、挑戦者を決めるリーグ戦または本戦への参加者を、低段者による1次予選、1次予選勝ち抜き者と高段者による2次予選(棋戦によっては3次予選も)で決めるというしくみになっています。リーグ戦や本戦は、そこで一定以上の成績を上げると、翌期もリーグ戦や本戦にシードされるという形が一般的です。対局料も、予選段階では段位によって決まっていました。 今回の改定では、1次予選・2次予選などの出場者を段位で決めるのをやめる、対局料も段位によらず、各予選ごとに一律とする、という見直しが、各棋戦で順次行なわれるようです。 本因坊戦と天元戦については、見直し内容の報道がみつかりましたが、概ね同じ内容に変更されるようです。具体的には、予選をC・B・Aの3段階として、本戦やリーグ戦と同様に、それぞれの段階の予選で一定の成績をあげれば翌期もその段階に残留し、あげられなければ翌期は一つ下の段階からスタートする、という昇降戦方式を取り入れる、ということです。このしくみであれば、今期は予選Cからスタートした低段の若手が、C、Bを勝ち抜いてAに進み、そこは勝ち抜けなかったものの一定の成績を上げれば、翌期は段位に関係なく予選Aからスタートすることができるわけで、より実力主義に近い形になるわけです(この場合、翌期の予選Aに参加するのは、今期予選Aに残留した人のほか、翌期の予選Bを勝ちあがった人と、今期本戦(またはリーグ戦)を陥落した人、ということになります)。 また、対局料は、予選Cより予選B、予選Bより予選Aが高いといった具合に、予選の段階によって格差をつけるものの、同じ段階であれば、段位での差はつけない、ということになるようです。これもまた、より実力と成果に応じた報酬ということになるでしょう。 逆にいえば、これまでは九段が一次予選に出ることはなく、対局料も高い水準が確保されていた(もっとも、棋戦の多くはトーナメントなので、勝ち上がらなければ対局数も増えず、収入も増えませんが)わけですが、これからは成績が悪ければ九段でも予選Cのスタートとなり、対局料も予選Cの低水準のものになるわけです。 制度改定を迫ったもの こうしてみると、まさに民間企業の人事・賃金制度改定に通じる部分が多いわけですが、こうした改定を迫った要因のひとつが「国際競争」であるという点も、よく似ています。 囲碁は国際化が進んでおり、今では中国や韓国のほうが日本よりさかんなくらいで、世界戦では日本が苦戦しているのが実情なのだそうです。今回の制度改定の背景には、日本棋院の財政難もさることながら、世界戦に勝つには従来の年功的な体質を改め、より実力が段位や報酬に反映されるしくみをつくる必要がある、という危機感があるようです。「世界戦優勝1回で九段」という昇段基準も、それをよく現しているように思われます。 今回の制度改定は、一部のベテランには批判的な意見もあるものの、トップ棋士や若手からは概ね好意的に受け止められているそうです。囲碁は高齢まで長期に活躍できる競技ですが、そうしたなかでも、処遇には実力、成果を重視していくという点では、民間企業と同じ流れの中にあるといえそうです。(本文はすべて筆者の個人的な見解であり、筆者が所属する会社などとは関係ありません) |