河英一 ハ ヨンイル Ha Yongil ハ ヨンイル | 1985年6月1日生れ 大阪府出身 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関西棋院所属。水野弘士九段門下。2001年6月1日入段。2003年3月3日二段。2003年8月18日三段。2005年5月11日四段。2009年4月1日五段(賞金ランクで昇段)。2015年2月5日六段(勝ち数=90勝昇段)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011年12月31日現在通算成績=197勝121敗
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棋風: 揮毫: | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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関西棋院の情報 写真 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【毎日新聞大阪版(2002年6月30日)】 囲碁なんておじん臭いといわれたのは今は昔か。4年前、「週刊少年ジャンプ」が「ヒカルの碁」の連載を始めて以後、小中学生の愛好家が激増している。そんなブームよりはるか前から囲碁に没頭し、プロ棋士となった少年がいる。住吉区にある民族学校、建国高校2年の河英一君(17)である。1985年、守口市で生まれた彼は、一貫して建国小・中・高に通ってきた。小学1年の夏休み、近所に級友のいない息子を、父親の河相吉さん(関西医科大助教授)が囲碁同好会に連れていった。それが人生の岐路になろうとは夢にも思わず。囲碁に非凡な興味を抱いた少年は、翌年生野区に移転したとき、関西棋院の水野弘士九段に弟子入りし、たちまち天分を開花させていく。 1995年、小学4年でアマ5段になった彼は、朝日少年少女囲碁名人戦大阪予選で準優勝。さらに大阪朝鮮囲碁協会とコリア大阪囲碁協会が思想や立場の違いを超えて共催するワンコリア囲碁大会に出場。大阪大会4段の部で3位に食い込んだのに続き、京都大会で見事優勝し、大人たちをアッと驚かせた。「アマチュアとはいっても、有段者がたくさん出場する大会だったので、自分でも驚きました」と照れ笑いする。傑出した才能を見抜いた水野九段の勧めを受け、少年は院生となる決意を固めた。 日本の囲碁界では、東の日本棋院、西の関西棋院のいずれかで入段(初段となること)した者だけがプロと認定される。つまり関西棋院の院生になるのは、プロへの第一歩を踏み出すことを意味する。しかし囲碁の世界は、プロを目指すならば、義務教育を終えた後、高校に進学せずに修行しなければならないほどの厳しさが待ち受けている。河相吉さんは「囲碁に対する本人の思い入れが非常に強かったので、大学受験時期までに入段できなければやめるという条件で認めたんです」と語る。 「河英一(ハ・ヨンイル)」と本名で登録した少年は、着実に昇級を重ね、中学3年のときに初段格となった。「人生最大の試練でした」と振り返るのは、昨年4月、入段を賭けた1局だった。プロになるには、院生手合で12勝4敗以上の戦績を挙げなければならない。11勝2敗だった彼の対戦相手は2年先輩だった。白石を握った彼は序盤から劣勢に陥り、「絶対に投げたくない」という一念だけで闘い続けた。勝負の分かれ目となったのは黒171手。チャンスを見て取った彼は必死に形勢挽回をはかり、ついに半目勝ちを手にしたのだった。「終局が近づいてくると、これで夢がかなうと思って、心臓がドキドキ、胸がワクワクしてきました。でも勝利を確認すると、何だこんなものかと、それほど特別なものではないような気がして」。それは、幼いころから抱いてきた入段という目標が、実は長いプロ生活のスタート点にすぎないことに今さらながら気づいたからなのだろう。プロ棋士として正式に認定された日は、くしくも16歳の誕生日だった。 プロになれば、ほぼ隔週ごとに手合を行うほか、昇段のための大手合もある。学業と囲碁の生活を両立させる困難を乗り越えながら、ひたすら精進を重ねていく。この7月には、ソウルで開かれる「三星火災杯」に出場する。初めて体験する国際棋戦、しかも祖国の地での戦いに並々ならぬ意欲を燃やす。世界中に広がる囲碁人口のなかでも群を抜くのが中国、韓国、日本である。かつてソウルで生まれた天才棋士趙治勲は、6歳で来日。1983年に棋聖、名人、本因坊の三大タイトル独占という前人未踏の偉業を成し遂げた。韓国人の血を引き、日本で修行した英一君は人生の盤面にどんな布石を展開するのか、大いに健闘を期待したい。 【JS日本の学校「ガンバッている高校生達」(2001年12月)】 大阪で在日3世の16歳プロ棋士が誕生した。大阪市住吉区の韓国系民族学校の白頭学院建国高校に通う高校1年の河英一(ハヨンイル)君だ。河君は小学校一年の時にお父さんと囲碁講習会に通ったのをきっかけに、2年の時に水野弘士・九段に弟子入りし、10歳で関西棋院の院生になった。院内では院生同士の対局でメキメキと実力を伸ばし、ついには今年の4月の対局で勝利し、6月1日、16歳の誕生日に正式に初段と認定されプロ棋士の仲間入りを果たした。 いままで、民族学校在学中のプロ棋士は珍しく、ただでさえ公式戦が毎週のように組まれるハードなスケジュールの中、学業との両立が大変だが、白頭学院建国高校では校長自ら「平日に対局のある場合は出席扱いにする。1日も早くタイトルを」と頼もしいエールを送っている。また、関西棋院で指導に当たった森山直棋九段は「小技の利いた鋭い手が持ち味。この長所を伸ばしていってほしい。」と期待の声。 そして先月、河君はみんなの協力と応援に応えるように、新人王戦で六段のプロを相手に初勝利を飾った。毎日、最低2時間は布石の研究やインターネット上での対局で腕を磨いている新米のプロ棋士は、「将来は世界選手権に出場し、囲碁を通して日韓交流にも役立ちたい」と大きな意欲を燃やしている。 【民団新聞(2001年8月1日)】 白頭学院建国高校に通う現役の高校1年生が関西棋院から晴れて囲碁のプロ棋士としてスタートを切った。建国からは初のケース。この高校生は生野区在住の河英一君(16)。小学校3年生のとき、囲碁自慢の在日同胞を打ちまかしてワンコリア大阪囲碁大会に優勝。その才能が認められ、毎週日曜日ごとに関西棋院の水野弘士九段のもとで勉強を重ねるようになった。4年生で正式に院生として認められ、今年の6月に初段デビューを果たしたばかり。 英一君と囲碁との出会いはアボジの河相吉さん(47)に連れられて近所の囲碁教室に通ったのがきっかけだという。白頭学院の姜駒錫校長は「英一君は小学校時代、守口市に住みながら両親の送迎で建国に通ってきた。こうした両親の民族教育へのこだわりが本名でのプロ碁士デビューに結びついた。後輩や教師たちにも大きい励みになる」と話している。 |