吉田美香
よしだ みか
吉田美香
Yoshida Mika

1971年2月12日生れ
B型
大阪府出身
関西棋院所属。水野弘士九段門下。1986年9月入段(15歳)。2000年9月七段。2003年8月25日八段。
2001年7月15日サラリーマンと結婚。2004年10月26日長女(実美=まみ)を出産。2012年8月1日現在2女の母。吉田昇司八段はお兄さん。
棋風:
揮毫:應変
タイトル獲得数:9個(うち世界タイトル:0個)
2005年9月(4期)女流関西トーナメント戦優勝34歳4連覇
2004年9月(3期)女流関西トーナメント戦優勝33歳
2003年9月(2期)女流関西トーナメント戦優勝32歳
2002年9月(1期)女流関西トーナメント戦優勝31歳
1998年(20期)女流鶴聖27歳
1996年(15期)女流本因坊25歳4連覇
1995年(14期)女流本因坊24歳
1994年(13期)女流本因坊23歳
1993年(12期)女流本因坊22歳
2001年1月1日以降国際棋戦成績=0勝2敗(対韓国:0勝0敗、対中国:0勝2敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2009.09.23>第8回正官庄杯第2局王晨星二段(18)(中国)
2002.11.07正官庄杯戦華学明七段(中国)
関西棋院の情報 30ansの記事 新浪体育 写真(32歳)
【2008年3月10日 産経新聞「棋怒哀楽」】
「袖すり合うも多生の縁」と言うが、振り返ると、他人さまに生かしていただいてきたことばかり。さまざまなご縁に恵まれてきたが、なかでも私にとって外せない人が藤澤秀行名誉棋聖だ。初対面は16歳の時。倉橋正蔵八段が秀行先生を大阪に招かれた際、せっかくだからと、関西の若手十数人を誘ってくださったのだ。「先生は女が好きだからな。先生の側へ来たらどうだ」。自分のことを“先生”という先生は、基盤を見にくそうにしている私に、茶目(ちやめ)っ気たっぷりに特等席を作ってくださった。でも盤がよく見えない。??? どうしたのだろう、涙が後から後から滲(にじ)んでくる。その存在感に私の感性がゆさぶられたのか、前世のご縁なのか!? とにかく不思議な体験だった。
秀行合宿に参加してから、先生が私にメロメロになった(笑)。私の才能に? ならいいが残念ながら、先生が気に入ったのは私の肘(ひじ)! 腰痛持ちの先生は、私の尖(とが)った肘の虜(とりこ)になり、そのおかげで随分と可愛がっていただいたものである。「豪放磊落(らいらく)」「破天荒」。その一方で、鋭敏すぎるほどの神経と、見えないものを見る「眼」の持ち主で、私には“機”に対して敏という印象が強い。あまり勉強に身が入っていない時など、秀行先生にだけはお会いしたくない。すべてを見透かされているようで、自然と恥じ入ってしまうからだ。
私がタイトルを獲った時、就位式に出席すると自ら言っていただいた。秀行先生が宴席などに出られることはほとんどなく、就位式に出られたのは私とまな弟子の高尾紳路本因坊くらいではないかと思う。初めての就位式で右も左も分からず、また東京では招待する知人もいない。会場には沢山のお客様が足を運んでくださったが、初対面の方が多い。秀行先生が盛り上げてくださらなければ、よそよそしい式典になったに違いない。それからというもの、初めての場所へ伺っても温かい出迎えを受け、孤独感を味わったことがない。すべては、私が寂しい思いをしないよう、勉強の機会に恵まれるよう、という先生の心配りだったのだ。温かさが身にしみる。