名人戦
Master Title

朝日新聞主催。1976年創設。予選通過者の9人の棋士が12月から8月までリーグ戦(毎月1局計8局の総当たり)を行い、挑戦者を決定する。リーグ戦の持ち時間は5時間。コミは2002年12月のリーグ戦から6目半。タイトルホルダーと挑戦者との挑戦手合は七番勝負で9月から11月まで行われる。二日制持ち時間各8時間。優勝賞金3600万円。
旧名人戦は1962年(昭和37年)に創設され、1975年(昭和50年)までは読売新聞が主催していたが、1976年に朝日新聞主催に変更された。朝日新聞はそれまではプロ十傑戦を主催していた。

優勝者 コメント
41 2016 高尾紳路九段(天元)(40) (11月2.3日)挑戦手合7番勝負第7局(山梨県甲府市)が行われた。
名人・井山裕太九段(27)●−○挑戦者・高尾紳路九段(天元)(40)
(10月26.27日)挑戦手合7番勝負第6局(静岡県河津市)が行われた。
名人・井山裕太九段(27)○−●挑戦者・高尾紳路九段(天元)(40), B+R (185手)
(10月12.13日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県熱海市)が行われた。
名人・井山裕太九段(27)○−●挑戦者・高尾紳路九段(天元)(39), W+3.5 (236手)
(10月4.5日)挑戦手合7番勝負第4局(三重県志摩市)が行われた。
名人・井山裕太九段(27)○−●挑戦者・高尾紳路九段(天元)(39), B+R (181手)
(9月20.21日)挑戦手合7番勝負第3局(山梨県甲府市)が行われた。
名人・井山裕太九段(27)●−○挑戦者・高尾紳路九段(天元)(39), B+R (169手)
(9月14.15日)挑戦手合7番勝負第2局(佐賀県佐賀市)が行われた。
名人・井山裕太九段(27)●−○挑戦者・高尾紳路九段(天元)(39), W+R (236手)
(8月30.31日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区)が行われた。
名人・井山裕太九段(27)●−○挑戦者・高尾紳路九段(天元)(39), B+R (217手)
40 2015 井山裕太九段(26) (10月5.6日)挑戦手合7番勝負第4局(三重県志摩市)が行われ、名人・井山裕太九段(26)が4勝0敗で優勝した。
名人・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・高尾紳路九段(天元)(38), B+R (227手)
(9月24.25日)挑戦手合7番勝負第3局(山梨県甲府市)が行われた。
名人・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・高尾紳路九段(天元)(38), W+R (148手)
(9月17.18日)挑戦手合7番勝負第2局(佐賀県佐賀市)が行われた。
名人・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・高尾紳路九段(天元)(38), B+0.5 (259手)
(9月3.4日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区)が行われた。
名人・井山裕太九段(26)○−●挑戦者・高尾紳路九段(天元)(38), W+R (180手)
39 2014 井山裕太九段(25) (10月29.30日)挑戦手合7番勝負第6局(長野県)が行われ、名人・井山裕太九段(25)が4勝2敗で防衛した。

名人・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・河野臨九段(33), B+3.5 (215手)
(10月15.16日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県)が行われた。
名人・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・河野臨九段(33), W+R (176手)
(10月6.7日)挑戦手合7番勝負第4局(京都府)が行われた。
名人・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・河野臨九段(33), B+R (217手)
(9月25.26日)挑戦手合7番勝負第3局(北海道)が行われた。
名人・井山裕太九段(25)●−○挑戦者・河野臨九段(33), B+R (169手)
(9月18.19日)挑戦手合7番勝負第2局(鳥取県)が行われた。
名人・井山裕太九段(25)●−○挑戦者・河野臨九段(33), W+R (200手)
(9月4.5日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区)が行われた。
名人・井山裕太九段(25)○−●挑戦者・河野臨九段(33), W+R (212手)
(2014年8月5日)挑戦者決定戦が6勝2敗同士で行われ、河野臨九段(33)が山下敬吾九段(35)に250手黒番半目勝ちして挑戦が決定した。
38 2013 井山裕太九段(24) (10月16.17日)挑戦手合7番勝負第4局(山梨県甲府市)が行われ、挑戦者・井山裕太九段(24)が4勝2敗で優勝した。
名人・山下敬吾九段(35)●−○挑戦者・井山裕太九段(24), B+4.5 (258手)
(10月9.10日)挑戦手合7番勝負第4局(福岡県福岡市)が行われた。
名人・山下敬吾九段(35)●−○挑戦者・井山裕太九段(24), W+R (196手)
(9月25.26日)挑戦手合7番勝負第3局(兵庫県宝塚市)が行われた。
名人・山下敬吾九段(35)●−○挑戦者・井山裕太九段(24), B+1.5 (275手)
(9月19.20日)挑戦手合7番勝負第3局(広島県尾道市)が行われた。
名人・山下敬吾九段(35)●−○挑戦者・井山裕太九段(24), W+R (162手)
(9月5.6日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区)が行われた。
名人・山下敬吾九段(35)○−●挑戦者・井山裕太九段(24):172手白番中押勝ち (朝日新聞)
37 2012 山下敬吾九段(34) (11月12.13日)挑戦手合7番勝負第7局(甲府市)が行われ、名人・山下敬吾九段(34)が4勝3敗で防衛した。

名人・山下敬吾九段(34)○−●挑戦者・羽根直樹九段(36), W+R (138手)
(10月31.1日)挑戦手合7番勝負第6局(熱海市)が行われた。
名人・山下敬吾九段(34)●−○挑戦者・羽根直樹九段(36), W+R (184手)
(10月17.18日)挑戦手合7番勝負第5局(神戸市)が行われた。
名人・山下敬吾九段(33)○−●挑戦者・羽根直樹九段(36):140手白番中押勝ち (10月10.11日)挑戦手合7番勝負第4局(仙台市)が行われた。
名人・山下敬吾九段(33)○−●挑戦者・羽根直樹九段(36):163手黒番中押勝ち (9月27.28日)挑戦手合7番勝負第3局(北海道)が行われた。
名人・山下敬吾九段(33)●−○挑戦者・羽根直樹九段(36):141手黒番中押勝ち (9月20.21日)挑戦手合7番勝負第2局(北海道)が行われた。
名人・山下敬吾九段(33)●−○挑戦者・羽根直樹九段(36):178手白番中押勝ち (8月30.31日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区)が行われた。
名人・山下敬吾九段(33)○−●挑戦者・羽根直樹九段(36):184手白番中押勝ち (朝日新聞)
(2012年8月6日)挑戦者決定戦が7勝1敗同士で行われ、羽根直樹九段(35)が井山裕太九段(23)に黒番中押勝ちして挑戦が決定した。
36 2011 山下敬吾九段(33) (10月27.28日)挑戦手合7番勝負第6局が行われ、挑戦者・山下敬吾九段(33)が4勝2敗で優勝した。

挑戦者・山下敬吾九段(33)○−●名人・井山裕太九段(22):281手白番3目半勝ち (朝日新聞)
(10月13.14日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県熱海市)が行われた。
名人・井山裕太九段(22)○−●挑戦者・山下敬吾九段(32):182手黒番中押勝ち (朝日新聞)
(10月5.6日)挑戦手合7番勝負第4局(静岡県下田市)が行われた。
挑戦者・山下敬吾九段(33)○−●名人・井山裕太九段(22):198手白番中押勝ち (朝日新聞)
(9月21.22日)挑戦手合7番勝負第3局(青森県弘前市)が行われた。
挑戦者・山下敬吾九段(33)○−●名人・井山裕太九段(22):197手黒番中押勝ち (朝日新聞)
(9月14.15日)挑戦手合7番勝負第2局(京都府京都市)が行われた。
名人・井山裕太九段(22)○−●挑戦者・山下敬吾九段(32):179手黒番中押勝ち (朝日新聞)
(9月1.2日)挑戦手合7番勝負第1局(東京都文京区)が行われた。
挑戦者・山下敬吾九段(32)○−●名人・井山裕太九段(22):273手黒番5目半勝ち (朝日新聞)
(8月8日)挑戦者決定戦が6勝2敗同士で行われ、山下敬吾九段(32)(本因坊)が羽根直樹九段(34)に黒番中押勝ちして挑戦が決定した。
35 2010 井山裕太九段(21) (10月6.7日)挑戦手合7番勝負第4局(神奈川県)が行われ、名人・井山裕太九段(21)が4勝0敗で初防衛した。

名人・井山裕太九段(21)○−●挑戦者・高尾紳路九段(33):265手黒番中押勝ち (You-Tube)
(9月22.23日)挑戦手合7番勝負第3局(山形県)が行われた。
名人・井山裕太九段(21)○−●挑戦者・高尾紳路九段(33):170手白番中押勝ち
(9月1.2日)挑戦手合7番勝負第1局(大阪府)が行われた。
(9月16.17日)挑戦手合7番勝負第2局(愛媛県)が行われた。
名人・井山裕太九段(21)○−●挑戦者・高尾紳路九段(33):263手黒番5目半勝ち
(9月1.2日)挑戦手合7番勝負第1局(大阪府)が行われた。
名人・井山裕太九段(21)○−●挑戦者・高尾紳路九段(33):305手白番6目半勝ち
(8月5日)名人戦挑戦者決定リーグ戦は8月5日、東京と大阪の日本棋院で最終の4局が一斉に打たれ、全日程を終了した。6勝1敗の高尾九段と張栩棋聖の名人経験者2人に絞られていた挑戦権争いは、この日、高尾九段が結城聡九段に勝って白星を伸ばしたのに対し、張棋聖が小県真樹九段に敗れ、高尾紳路九段(33)が7勝1敗で優勝を決め、井山裕太名人(21)への挑戦権を獲得した。高尾九段は2006年の第31期名人。井山名人と高尾九段が挑戦手合で対決するのは初めて。リーグ落ちする3人は、王銘宛九段、山田規三生九段、小県真樹九段となった。
34 2009 井山裕太八段(20) (10月14.15日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県熱海市)が行われ、挑戦者・井山裕太八段(20)が4勝1敗でタイトルを獲得した。20歳での名人位獲得は七大タイトルの中でも最年少獲得記録となる。同時に九段昇段を決めた。

挑戦者・井山裕太八段(20)○−●名人・張栩九段(29):176手まで白番中押勝ち (朝日新聞)
(10月7.8日)挑戦手合7番勝負第4局(仙台市)が行われた。
挑戦者・井山裕太八段○−●名人・張栩九段:159手まで黒番中押勝ち (朝日新聞)
(9月24.25日)挑戦手合7番勝負第3局(兵庫県宝塚市)が行われた。
挑戦者・井山裕太八段○−●名人・張栩九段:246手まで白番中押勝ち (朝日新聞)
(9月16.17日)挑戦手合7番勝負第2局(熊本市)が行われた。
挑戦者・井山裕太八段○−●名人・張栩九段:255手まで黒番中押勝ち (朝日新聞)
(9月3.4日)挑戦手合7番勝負第1局(札幌市)が行われた。
名人・張栩九段○−●挑戦者・井山裕太八段:304手まで黒番半目勝ち (朝日新聞)
(8月6日)名人戦挑戦者決定リーグ戦は8月6日、東京と大阪の日本棋院で最終の4局が一斉に打たれ、全日程を終了した。すでに名人への挑戦を決めている井山裕太八段(20)は最終戦にも勝ち、リーグ優勝を8戦全勝で飾った。1976年に現行の名人戦になって以降では、全勝優勝は6期ぶり4回目の記録。残留争いでは小林覚九段(50)が敗れ、リーグ落ちが決まった。小林は、すでに陥落の確定している王銘宛九段(47)、張豊猷七段(27)とともに第35期の最終予選にまわり、リーグ復帰をめざすことになる。
33 2008 張栩九段(28) (11月5.6日)挑戦手合7番勝負第7局(山梨県甲府市)が行われ、名人・張栩九段(28)が4勝3敗で防衛した。

名人・張栩九段(28)○−●挑戦者・井山裕太八段(19):236手まで白番中押勝ち (朝日新聞)
(10月30.31日)挑戦手合7番勝負第6局(静岡県伊豆市)が行われた。99手での終局は名人戦七番勝負史上3番目の短手数。
挑戦者・井山裕太八段(19)○−●名人・張栩九段(28):99手まで黒番中押勝ち (朝日新聞)
(10月15.16日)挑戦手合7番勝負第5局(静岡県伊東市)が行われた。
名人・張栩九段(28)○−●挑戦者・井山裕太八段(19):242手まで黒番半目勝ち (朝日新聞)
(10月8.9日)挑戦手合7番勝負第4局(静岡県熱海市)が行われた。
名人・張栩九段(28)○−●挑戦者・井山裕太八段(19):164手まで白番中押勝ち (朝日新聞)
(9月24.25日)挑戦手合7番勝負第3局(岐阜県高山市)が行われた。
名人・張栩九段(28)○−●挑戦者・井山裕太八段(19):225手まで黒番中押勝ち (朝日新聞)
(9月17.18日)挑戦手合7番勝負第2局(滋賀県大津市)が行われた。
挑戦者・井山裕太八段(19)○−●名人・張栩九段(28):292手まで黒番半目勝ち (朝日新聞)
(9月4.5日)挑戦手合7番勝負第1局(青森県青森市)が行われた。
挑戦者・井山裕太八段(19)○−●名人・張栩九段(28):265手まで白番5目半勝ち (朝日新聞)
(7月10日)挑戦者決定リーグ戦は最終戦を待たずに6勝1敗の井山裕太七段(19)の挑戦が決定した。井山は9月上旬の開幕時で19歳3カ月となる。19歳3カ月での名人戦挑戦は史上最年少記録。
32 2007 張栩九段(27) (11月8.9日)挑戦手合7番勝負第7局(熱海)が行われ、挑戦者・張栩九段が4勝3敗でタイトルを奪取した。

挑戦者・張栩九段○−●名人・高尾紳路九段:292手まで黒番2目半勝ち (朝日新聞)
(11月1.2日)挑戦手合7番勝負第6局が行われた。
名人・高尾紳路九段○−●挑戦者・張栩九段:265手まで白番半目勝ち (朝日新聞)
(10月17.18日)挑戦手合7番勝負第5局が行われた。
名人・高尾紳路九段○−●挑戦者・張栩九段:223手で黒番2目半勝ち (朝日新聞)
(10月10.11日)挑戦手合7番勝負第4局が行われた。
挑戦者・張栩九段○−●名人・高尾紳路九段:141手で黒番中押勝ち (朝日新聞)
(9月26.27日)挑戦手合7番勝負第3局が行われた。
挑戦者・張栩九段○−●名人・高尾紳路九段:318手まで白番1目半勝ち (朝日新聞)
(9月19.20日)挑戦手合7番勝負第2局が行われた。
挑戦者・張栩九段○−●名人・高尾紳路九段:187手まで黒番中押勝ち (朝日新聞)
(9月6.7日)挑戦手合7番勝負第1局が行われた。
名人・高尾紳路九段○−●挑戦者・張栩九段:198手まで黒番4目半勝ち (朝日新聞)
31 2006 高尾紳路九段(30) (11月2.3日)挑戦手合第6局(愛知県名古屋市)は挑戦者・高尾紳路九段(30)が名人・張栩九段を275手まで白番3目半勝ちで下し、4勝2敗でタイトルを奪取した。高尾九段は史上6人目の名人本因坊になった。 (朝日新聞)
(10月18.19日)挑戦手合第5局(静岡県伊東市)は名人・張栩九段が挑戦者・高尾紳路九段を216手まで白番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(10月11.12日)挑戦手合第4局(静岡県熱海市)は挑戦者・高尾紳路九段が名人・張栩九段を364手まで白番半目勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月28.29日)挑戦手合第3局(兵庫県神戸市)は名人・張栩九段が挑戦者・高尾紳路九段を208手まで白番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月20.21日)挑戦手合第2局(大分県別府市)は挑戦者・高尾紳路九段が名人・張栩九段を210手まで白番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月8.9日)挑戦手合第1局(新潟県長岡市)は挑戦者・高尾紳路九段が名人・張栩九段を289手まで黒番半目勝ちで下した。 (朝日新聞)
(2006年8月3日)名人戦挑戦者決定リーグ戦最終局は東京と大阪の日本棋院で打たれ、単独首位だった高尾紳路本因坊(29)が潘善h七段(28)を黒番中押勝ちで下し、6勝2敗で優勝した。リーグ初参加で名人挑戦を決めた。今村俊也九段、潘善h七段、黄翊祖七段のリーグ落ちも決まった。
(2005年10月27日)黄翊祖四段が18歳6カ月の最年少でリーグ入りを決めた。依田紀基五段(当時)が1984年に記録した18歳8カ月をわずかに抜いた。棋聖、本因坊を含めた3リーグでも最年少記録になる。

30 2005 張栩九段(25) (11月9.10日)挑戦手合第7局(静岡県伊豆市)は名人・張栩九段(25)が挑戦者・小林覚九段(46)を176手まで白番中押勝ちで下し、4勝3敗で初防衛した。 (朝日新聞)
(11月3.4日)挑戦手合第6局(静岡県伊東市)は挑戦者・小林覚九段(46)が名人・張栩九段(25)を264手まで黒番半目勝ちで下した。 (朝日新聞)
(10月19.20日)挑戦手合第5局(兵庫県神戸市)は挑戦者・小林覚九段(46)が名人・張栩九段(25)を259手まで白番1目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(10月11.12日)挑戦手合第4局(愛知県名古屋市)は挑戦者・小林覚九段(46)が名人・張栩九段(25)を259手まで黒番3目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月28.29日)挑戦手合第3局(山梨県甲府市)は名人・張栩九段(25)が挑戦者・小林覚九段(46)を213手まで黒番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月22.23日)挑戦手合第2局(福岡県福岡市)は名人・張栩九段(25)が挑戦者・小林覚九段(46)を241手まで白番6目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月7.8日)挑戦手合第1局(神奈川県平塚市)は名人・張栩九段(25)が挑戦者・小林覚九段(46)を135手まで黒番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(8月8日)挑戦者リーグ・プレーオフは小林覚九段(46)が山下敬吾九段(26)を白番1目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。
29 2004 張栩九段(24) (11月3.4日)挑戦手合第6局(静岡)は挑戦者・張栩九段(24)が名人・依田紀基九段(38)を280手まで黒番1目半勝ちで下し、4勝2敗で優勝した。張栩九段は史上最年少で趙治勲25世本因坊以来5年ぶり5人目の名人本因坊に。 (朝日新聞)
(10月21.22日)挑戦手合第5局(静岡)は挑戦者・張栩九段(24)が名人・依田紀基九段(38)を244手まで白番4目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(10月13.14日)挑戦手合第4局(札幌)は挑戦者・張栩九段(24)が名人・依田紀基九段(38)を260手まで黒番7目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月29.30日)挑戦手合第3局(名古屋)は名人・依田紀基九段(38)が挑戦者・張栩九段(24)を145手まで黒番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月22.23日)挑戦手合第2局(福岡)は挑戦者・張栩九段(24)が名人・依田紀基九段(38)を240手まで黒番3目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月9.10日)挑戦手合第1局(大阪)は名人・依田紀基九段(38)が挑戦者・張栩九段(24)を242手まで黒番半目勝ちで下した。 (朝日新聞)
(8月9日)挑戦者リーグ・プレーオフは張栩九段(24)が小林覚九段(45)を黒番2目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。

28 2003 依田紀基九段(37) (10月22.23日)挑戦手合第5局(甲府市)は名人・依田紀基九段(37)が挑戦者・山下敬吾九段(25)を185手まで黒番中押勝ちで下し、4勝1敗で優勝した。 (朝日新聞)
(10月15.16日)挑戦手合第4局(熱海市)は名人・依田紀基九段(37)が挑戦者・山下敬吾九段(25)を232手まで白番3目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(10月1.2日)挑戦手合第3局(出雲市)は挑戦者・山下敬吾九段(25)が名人・依田紀基九段(37)を246手まで白番2目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月24.25日)挑戦手合第2局(新潟市)は名人・依田紀基九段(37)が挑戦者・山下敬吾九段(25)を167手まで白番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)

(9月10.11日)挑戦手合第1局(北九州市)は名人・依田紀基九段(37)が挑戦者・山下敬吾九段(25)を249手まで黒番7目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(7月3日)挑戦者リーグ戦で山下敬吾九段(24)が張栩八段(23)を295手まで黒番7目半勝ちで下し、8月の最終局を待たず7勝0敗で挑戦者となった。
27 2002 依田紀基九段(36) (10月23.24日)挑戦手合第5局(横浜市)は名人・依田紀基九段が挑戦者・趙治勲九段を164手まで白番中押勝ちで下し、4勝1敗で3連覇した。 (朝日新聞)
(10月16.17日)挑戦手合第4局(京都府)は名人・依田紀基九段が挑戦者・趙治勲九段を263手まで黒番半目勝ちで下した。 (朝日新聞)
(10月2.3日)挑戦手合第3局(大町市)は挑戦者・趙治勲九段が名人・依田紀基九段を319手まで黒番2目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月25.26日)挑戦手合第2局(萩市)は名人・依田紀基九段が挑戦者・趙治勲九段を295手まで黒番2目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月11.12日)挑戦手合第1局(北京)は名人・依田紀基九段が挑戦者・趙治勲九段を276手まで白番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(8月1日)挑戦者リーグ戦最終一斉対局が行われ、趙治勲九段が7勝1敗で挑戦者となった。
26 2001 依田紀基九段(35) (10月31.1日)挑戦手合第6局(於:神奈川県横浜)は名人・依田紀基九段が挑戦者・林海峰九段を204手まで白番中押勝ちで下し、4勝2敗で初防衛した。 (朝日新聞)
(10月17.18日)挑戦手合第5局(於:山梨県甲府)は名人・依田紀基九段が挑戦者・林海峰九段を229手まで黒番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(10月10.11日)挑戦手合第4局(於:静岡県修善寺)は挑戦者・林海峰九段が名人・依田紀基九段を207手まで黒番5目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月26.27日)挑戦手合第3局(於:広島県因島)は挑戦者・林海峰九段が名人・依田紀基九段を253手まで白番半目勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月19.20日)挑戦手合第2局(於:北海道岩見沢)は名人・依田紀基九段が挑戦者・林海峰九段を237手まで白番半目勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月4.5日)挑戦手合第1局(於:韓国ソウル)は名人・依田紀基九段が挑戦者・林海峰九段を273手まで黒番2目半勝ちで下した。 (朝日新聞)
(7月12日)挑戦者リーグ戦で林海峰九段(59)が小松英樹九段を白番半目勝ちで下し、6勝2敗となり、2敗で並んでいた趙治勲九段が敗れて4勝3敗となったため、8月の最終ラウンドを待たずに挑戦者に決定した。
25 2000 依田紀基九段(34) (10月11.12日)挑戦手合第4局(於:高崎市)は挑戦者・依田紀基九段が名人・趙治勲九段を189手まで白番中押勝ちで下し、4勝0敗で優勝した。 (朝日新聞)
(9月27.28日)挑戦手合第3局(於:京都市)は挑戦者・依田紀基九段が名人・趙治勲九段を167手まで黒番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月20.21日)挑戦手合第2局(於:北九州市)は挑戦者・依田紀基九段が名人・趙治勲九段を236手まで白番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(9月6.7日)挑戦手合第1局(於:アムステルダム)は挑戦者・依田紀基九段が名人・趙治勲九段を179手まで黒番中押勝ちで下した。 (朝日新聞)
(8月7日)挑戦者リーグ・プレーオフが依田紀基九段が王銘宛九段を247手まで黒番2目半勝ちで下し、挑戦者に決定した。 →棋譜(Java形式)(中国365囲棋学院)
(1999年12月6日)挑戦者決定リーグ戦が開幕した。リーグ戦参加者は依田紀基九段、小林光一九段、柳時熏七段、王立誠九段と加藤正夫九段、武宮正樹九段、王銘宛九段、今村善彰八段、羽根直樹七段の9人。

24 1999 趙治勲九段(43) (10月20.21日)挑戦手合第5局(於:甲府市)は名人・趙治勲九段が挑戦者・依田紀基九段を242手まで白番1目半勝ちで下し、4勝1敗で防衛した。(朝日新聞)
(10月13.14日)挑戦手合第4局(於:浦和市)は名人・趙治勲九段が挑戦者・依田紀基九段を195手まで黒番中押勝ちで下した。(朝日新聞)
(9月29.30日)挑戦手合第3局(於:熱海市)は挑戦者・依田紀基九段が名人・趙治勲九段を195手まで黒番中押勝ちで下した。(朝日新聞)
(9月15.16日)挑戦手合第2局(於:神戸市)は名人・趙治勲九段が挑戦者・依田紀基九段を255手まで黒番3目半勝ちで下した。(朝日新聞)
(9月1.2日)挑戦手合第1局(於:熊本市)は名人・趙治勲九段が挑戦者・依田紀基九段を240手まで白番1目半勝ちで下した。(朝日新聞)
(8月9日)挑戦者リーグ・プレーオフで依田紀基九段(33)が小林光一九段(46)を300手まで黒番半勝ちで下し、挑戦者に決定した。

23 1998 趙治勲九段(42) (11月11.12日)挑戦手合第7局(於:熱海市)は名人・趙治勲九段が挑戦者・王立誠九段を228手までで黒番1目半勝ちで下し、4勝2敗1無勝負で防衛した。
Asahi Shinbun 1998.11.13
(11月4.5日)挑戦手合第6局(於:伊東市)は名人・趙治勲九段が挑戦者・王立誠九段を261手までで黒番3目半勝ちで下した。この1勝で趙治勲九段は1968年のデビュー以来30年6ヶ月で1000勝に到達した。
Asahi Shinbun 1998.11.06
(10月21.22日)挑戦手合第5局(於:東京都港区)は挑戦者・王立誠九段が名人・趙治勲九段を294手までで黒番3目半勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1998.10.23
(10月14.15日)挑戦手合第4局(於:甲府市)は224手までで三コウ無勝負となった。囲碁タイトル戦史上初めての結末。
Asahi Shinbun 1998.10.16
(9月30.1日)挑戦手合第3局(於:三重県)は名人・趙治勲九段が挑戦者・王立誠九段を176手までで白番中押勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1998.10.02
(9月23.24日)挑戦手合第2局(於:京都市)は名人・趙治勲九段が挑戦者・王立誠九段を237手までで黒番中押勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1998.09.25
(9月9.10日)挑戦手合第1局(於:札幌市)は挑戦者・王立誠九段が名人・趙治勲九段を181手までで黒番中押勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1998.09.11
22 1997 趙治勲九段(41) (11月5.6日)挑戦手合第6局(於:静岡県伊東市)は名人・趙治勲九段が小林光一九段を232手までで黒番3目半勝ちで下し、4勝2敗で防衛した。
Asahi Shinbun 1997.11.07
(10月22.23日)挑戦手合第5局(於:静岡県熱海市)は名人・趙治勲九段が小林光一九段を250手までで白番3目半勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1997.10.24
(10月15.16日)挑戦手合第4局(於:神戸市有馬温泉)は名人・趙治勲九段が小林光一九段を155手までで黒番中押勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1997.10.17
(10月1.2日)挑戦手合第3局(於:福島県郡山市)は小林光一九段が名人・趙治勲九段を149手までで黒番中押勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1997.10.03
(9月24.25日)挑戦手合第2局(於:岐阜県湯村温泉)は名人・趙治勲九段が小林光一九段を277手までで黒番3目半勝ちで下した。
(9月10.11日)挑戦手合第1局(於:ニューヨーク)は小林光一九段が名人・趙治勲九段を197手までで黒番中押勝ちで下した。
Asahi Shinbun 1997.09.12
(8月11日)挑戦者決定リーグ戦はプレーオフ(同率決戦)が打たれ、小林光一九段(44)が王立誠九段(38)を187手までで黒番中押勝ちで下した。小林光一九段が趙治勲名人(41)に挑戦する。
Asahi Shinbun 1997.08.12
21 1996 趙治勲九段(40) (9月6日〜11月7日)挑戦者・趙治勲九段(棋聖・本因坊)が名人・武宮正樹九段を4勝2敗で下した。趙治勲は通算6期(5連覇を含む)。これで七番勝負の三棋戦を制し、1983年に次いで二度目の大三冠王に輝いた。
20 1995 武宮正樹九段(44) (9月6日〜)挑戦者・武宮正樹九段が名人・小林光一九段を4勝1敗で下した。
(8月3日)挑戦者決定リーグで武宮正樹九段が挑戦者に決定。リーグ在籍通算14期にして初めて挑戦権を手にした。

19 1994 小林光一九段(42) (9月7.8日〜10月12.13日)名人・小林光一名人が挑戦者・林海峰九段を4勝0敗で下した。7連覇。
18 1993 小林光一九段(41) (10月20.21日)挑戦手合7番勝負第5局は名人・小林光一九段が挑戦者・大竹英雄九段を202手まで白番中押勝ちで下し、4勝1敗で優勝した。6連覇。
(10月6.7日)挑戦手合7番勝負第4局は名人・小林光一九段が挑戦者・大竹英雄九段を黒番中押勝ちで下した。
(9月29.30日)挑戦手合7番勝負第3局は挑戦者・大竹英雄九段が名人・小林光一九段を黒番6目半勝ちで下した。
(9月15.16日)挑戦手合7番勝負第2局は名人・小林光一九段が挑戦者・大竹英雄九段を黒番1目半勝ちで下した。
(9月1.2日)挑戦手合7番勝負第1局は名人・小林光一九段が挑戦者・大竹英雄九段を白番1目半勝ちで下した。
17 1992 小林光一九段(40) 名人・小林光一九段が挑戦者・大竹英雄九段を4勝3敗で下した。5連覇。
16 1991 小林光一九段(39) (9月7.8日〜10月12.13日)名人・小林光一九段が挑戦者・林海峰九段を4勝1敗で下した。4連覇。
15 1990 小林光一九段(38) 名人・小林光一九段が挑戦者・大竹英雄九段を4勝2敗で下した。3連覇。
(9月12.13日)七番勝負第1局は西ドイツ・デュッセルドルフ市で行われた。
(1989年11月3日)リーグの新参加者は藤沢秀行名誉棋聖、大竹英雄九段、依田紀基七段と決まった。残留組6人を加えた9人によるリーグは12月から始まる。
14 1989 小林光一九段(37) (11月1.2日)七番勝負第5局は名人・小林光一九段が挑戦者・淡路修三九段を97手で黒番中押勝ちで下し、4勝1敗で下した。2連覇。
13 1988 小林光一九段(36) 挑戦者・小林光一九段が名人・加藤正夫九段を4勝1敗で下した。
12 1987 加藤正夫九段(40) 名人・加藤正夫九段が挑戦者・林海峰九段を4勝0敗で下した。挑戦手合第1局アメリカニューヨークで初の海外対局。 (10月7.8日)挑戦手合第3局は加藤正夫名人が挑戦者・林海峰九段を189手まで黒番反則勝ちし、3連勝となった。林九段が188手目を打って夕食の打ち掛けになったが、午後6時30分の再開直後に、林九段が続けて189手目を打ったため「二手打ち」の反則負けとなった。囲碁タイトル戦では1971年のプロ十傑戦で石田芳夫七段(当時)が、コウ立てをしないでコウを取って反則負けになって以来のハプニング。
11 1986 加藤正夫九段(39) 挑戦者・加藤正夫九段が名人・小林光一九段を4勝0敗で下した。

10 1985 小林光一九段(33) 挑戦者・小林光一九段が名人・趙治勲九段を4勝3敗(○●○○●●○)で下した。
(1984年10月18日)依田紀基五段(18)、18歳8ヶ月の最年少で第10期名人戦リーグ入りを決める。従来は趙治勲七段の20歳で第2期名人戦リーグ入りが記録。

9 1984 趙治勲九段(28) 名人・趙治勲九段が挑戦者・大竹英雄九段を4勝3敗(●●●○○○○)で下した。5連覇。3連敗後の4連勝は、旧名人戦(1973年)、棋聖戦(1983年)、本因坊戦(1983年)以来、4度目で話題になった。
リーグ戦は大竹英雄、小林光一、石田章、高木祥一の4人が5勝3敗で並んだので、順位が上位の大竹英雄、小林光一の2人によるプレーオフが行われ、大竹英雄が挑戦者となった。4人が同率で並んだのは今回が初めて。
8 1983 趙治勲九段(27) 名人・趙治勲九段が挑戦者・大竹英雄九段を4勝1敗で下した。4連覇。
7 1982 趙治勲九段(26) 名人・趙治勲九段(本因坊)が挑戦者・大竹英雄九段を4勝1敗で下した。3連覇。
6 1981 趙治勲九段(25) 名人・趙治勲九段(本因坊)が挑戦者・加藤正夫九段を下し、4勝0敗で優勝した(タイトル料1500万円)。2連覇。
5 1980 趙治勲八段(24) (10月22.23日)挑戦手合第5局(於:伊豆)は挑戦者・趙治勲八段(24歳)が名人・大竹英雄九段を192手まで白番中押勝ちで下し、4勝1敗1無勝負で優勝した。
(10月8.9日)挑戦手合第4局(於:岐阜県)は挑戦者・趙治勲八段がコウ立てを打たず、直ちにコウを取った。取り番か否か記録係に確認してからの2度打ちだったことから、裁定の結果、無勝負となった。
(8月21日)6勝2敗で並んだ趙治勲八段と加藤正夫八段がプレーオフ。趙治勲が勝った。

4 1979 大竹英雄九段(37) (10月25日)名人・大竹英雄九段が挑戦者・坂田栄男九段を4勝1敗で下した。
3 1978 大竹英雄九段(36) (11月2日)挑戦者・大竹英雄九段が名人・林海峰九段を4勝2敗で下した。
2 1977 林海峰九段(35) (10月31日)挑戦者・林海峰九段が名人・大竹英雄九段を4勝0敗で下した。
1 1976 大竹英雄九段(34) (10月28日)名人・大竹英雄九段が挑戦者・石田芳夫九段を4勝1敗で下した。

旧名人戦・・・読売新聞主催。1962年(昭和37年)から1975年(昭和50年)まで14期行われた。前身は日本最強決定戦。1976年(昭和51年)からの新名人戦は朝日新聞が主催。

優勝者 コメント
14 1975 大竹英雄九段(33) (11月13日)挑戦者・大竹英雄九段が名人・石田芳夫九段を4勝3敗で下した。
13 1974 石田芳夫八段 (10月24日)挑戦者・石田芳夫八段(本因坊)が名人・林海峰九段を4勝3敗で下した。石田芳夫は坂田栄男、林海峰につぐ3人目の名人本因坊に。
12 1973 林海峰九段 (10月20日)名人・林海峰九段が挑戦者・石田芳夫七段(本因坊)を4勝3敗(●●●○○○○)で下した。3連敗後の4連勝、史上初の大逆転で話題になった。
11 1972 林海峰九段 (10月5日)名人・林海峰九段が挑戦者・藤沢秀行九段を4勝2敗で下した。2連覇。
10 1971 林海峰九段 (10月6日)挑戦者・林海峰九段が名人・藤沢秀行九段を4勝2敗で下した。
9 1970 藤沢秀行九段 挑戦者・藤沢秀行九段が名人・林海峰九段を4勝2敗で下した。
8 1969 林海峰九段 挑戦者・林海峰九段(本因坊)が名人・高川格九段を4勝2敗で下した。
7 1968 高川格九段 挑戦者・高川格九段(53歳0ヶ月)が名人・林海峰九段(26歳)(本因坊)を4勝1敗で下した。
6 1967 林海峰八段 名人・林海峰八段が挑戦者・坂田栄男九段(本因坊)を4勝1敗で下した。3連覇。
5 1966 林海峰八段 名人・林海峰八段が挑戦者・坂田栄男九段(本因坊)を4勝1敗で下した。2連覇。
4 1965 林海峰八段 (9月18.19日)挑戦者・林海峰八段(23歳)が名人・坂田栄男九段(45歳)(本因坊)を224手まで黒番12目勝ちで下し、4勝2敗で下した。23歳での名人獲得は最年少記録。
3 1964 坂田栄男九段 名人・坂田栄男九段(本因坊)が挑戦者・藤沢秀行九段を4勝1敗で下した。2連覇。
(7月29日)第3局が行われた。坂田栄男が29連勝(日本新記録)を達成した。
名人・坂田栄男九段(本因坊)○−●挑戦者・藤沢秀行九段

2 1963 坂田栄男九段 (9月29.30日)挑戦手合第7局が行われ、挑戦者・坂田栄男九段(本因坊)が名人・藤沢秀行八段を4勝3敗(○△●●●○○)で下した。史上初の名人本因坊となる。持ち時間各10時間。
白番・坂田栄男の120手目△が妙手として後世にまで語り継がれている。ここまで互角の形勢で、ここからの終盤で中央の力関係で地の付き方が問題となりそうなところ、一間トビを逆ノゾキする(逆側からノゾくのが普通の発想であるため「逆ノゾキ」と呼ばれる)という手で優勢を築き、名人位獲得となった。藤沢はしばらく考えた後に「そんな馬鹿な」と呻(うめ)いたという。
名人・藤沢秀行八段●−○挑戦者・坂田栄男九段:178手白中押勝ち(「名人獲得の逆ノゾキ」の棋譜)

(9月21.22日)挑戦手合第6局が行われた。
名人・藤沢秀行八段●−○挑戦者・坂田栄男九段:172手白中押勝ち
(9月12.13日)挑戦手合第5局が行われた。
名人・藤沢秀行八段○−●挑戦者・坂田栄男九段:215手白2目勝ち
(9月2.3日)挑戦手合第4局が行われた。
名人・藤沢秀行八段○−●挑戦者・坂田栄男九段:291手黒12目勝ち
(8月23.24日)挑戦手合第3局が行われた。
名人・藤沢秀行八段○−●挑戦者・坂田栄男九段:256手白13目勝ち
(8月14.15日)挑戦手合第2局が行われた。
名人・藤沢秀行八段●−○挑戦者・坂田栄男九段:261手白ジゴ勝ち
(8月4.5日)挑戦手合第1局が行われた。
名人・藤沢秀行八段●−○挑戦者・坂田栄男九段:242手黒1目勝ち
1 1962 藤沢秀行八段 (8月5、6日)名人決定リーグ戦最終局は橋本昌二九段が藤沢秀行八段を黒番中押勝ちで下し、呉清源九段が坂田栄男九段を白番ジゴ勝ちで下した。この結果、呉清源九段と藤沢秀行八段が9勝3敗の同率となったが、ジゴ勝ちは下位にするという規約により藤沢秀行八段が優勝と決まった。
(1961年1月〜)九段11人(呉清源九段、木谷実九段、藤沢朋斎九段、坂田栄男九段、高川格九段、島村俊廣九段、宮下秀洋九段、杉内雅男九段、橋本宇太郎九段、橋本昌二九段、半田道玄九段)と藤沢秀行八段、岩田正男七段(のちに達明)の13名のリーグ戦が開始された。

最終更新日: 2016年10月27日