結城聡 ゆうき さとし Yuki Satoshi 结城聪 | 1972年2月11日生れ B型 兵庫県出身 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関西棋院所属。佐藤直男門下。1981年(第2回)小学生名人戦第7位。1982年(第3回)小学生名人戦第3位。1984年3月小学6年生で入段(12歳1ヶ月)。1987年五段(15歳)。1993年6月八段。1997年4月21日九段(関西棋院第34人目、日本棋院と合わせて99人目の九段)。 2006年6月9日入籍。お相手は関西棋院の堀田陽三九段のご令嬢・可菜子さん。2007年6月13日に長女(沙菜ちゃん)誕生。2008年には長男(大志ちゃん)が誕生している。趣味は「時刻表引き」。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013年12月31日現在通算成績=1088勝445敗2ジゴ
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棋風:上段の構えから力で圧倒するタイプ。乱戦型の力戦派。石の働きを追求する戦闘的な棋風で「武闘派」と呼ばれる。 揮毫:初心 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
結城聡著作集 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山下:結城聡の対戦成績 張栩:結城聡の対戦成績 羽根直樹:結城聡の対戦成績 小林光一:結城聡の対戦成績 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:21個(うち世界タイトル:0個) 関西棋院タイトル獲得数:22個(うち世界タイトル:0個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=18勝17敗(対韓国:4勝10敗、対中国:8勝6敗、対他:6勝1敗)
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関西棋院の情報 読売新聞「岡目八目」 新浪体育 Wikipedia 写真(30歳) 写真(33歳) 写真(34歳) 写真(35歳) 結婚(35歳) 写真(38歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2011年6月3日 毎日新聞神戸版(粟飯原浩)】 史上最年少で通算1000勝を果たした神戸市西区の囲碁棋士、結城聡天元(39)=関西棋院所属=に6月3日、神戸市の矢田立郎市長が特別表彰を贈った。結城さんは8歳から囲碁を始め、小学6年でプロ棋士になった。2010年11月に初の7大タイトルとなる天元を奪取した。2011年4月の関西棋院第一位決定戦本戦2回戦に勝利し、史上14人目の公式戦通算1000勝を果たした。39歳2カ月は最年少で入段後27年1カ月は最速、さらに最高勝率での達成だった。結城天元は、自宅が「ほっともっとフィールド神戸」に近いこともあり、オリックスバファローズのファン。「名人位を取れれば、ぜひ始球式をしてみたい」と打ち明けると、矢田市長は「その日のためにこれで練習を」と始球式記念でもらった岡田彰布監督のサインボールを手渡した。結城天元は「市民に囲碁の良さを知ってもらえるよう、国際戦でも結果を出したい」と話した。 【2010年11月17日 西日本新聞朝刊】 11月16日に佐賀県唐津市の唐津ロイヤルホテルであった第36期天元戦5番勝負(西日本新聞社主催)第3局で、山下敬吾天元(32)=本因坊、日本棋院=を破り、新天元の座に就いた結城聡九段(38)=関西棋院。囲碁の7大タイトル獲得は6回目の挑戦にして初めて。「正直、もうタイトルは取れないかもしれないと思ったこともあった。3連勝できるとは」と、ほっとした表情を見せた。終局後の結城新天元はネクタイを緩め、ワイシャツの一番上のボタンを外したままで、激戦の余韻を感じさせた。だが、ほっとしたのか、ほほ笑みを浮かべた。 結城聡新天元の話:形勢判断の難しい展開でしたが、黒103(11十)と大ヨセに入ったところでは少し良いと思いました。形勢の悪かった第2局を勝てたのが大きかった。5番勝負開幕前は一つ勝てるかどうかと思っていたので、信じられない結果です。 山下敬吾前天元の話:白92(17三)と右上隅に入った手では、中央に打っておいた方が良かった。実戦はわかりやすい展開にしてしまいました。まずい手が多く、3局とも内容が悪すぎました。この結果は仕方ないです。 【2005年6月27日 朝日新聞「棋士快声」(荒谷一成)】 7月7日に始まる碁聖戦で依田紀基碁聖に挑む。8年前の依田碁聖、3年前の小林光一碁聖に続き碁聖戦は3回目だ。「過去2回は不甲斐なかった。タイトル戦の場慣れもしてきたので、リラックスして戦いたい」 プロ入りは12歳、小学6年という早さだった。「将来が楽しみな逸材」「関西棋院の星」と期待され続けてきた。而立(じりつ)を過ぎてようやく今春、7番勝負の大舞台・棋聖戦に初登場。羽根直樹棋聖をカド番に追い詰め、「関西棋院に54年ぶり7番勝負タイトルか」と地元を大いに湧かせた。しかし第6、7局を連敗し、ほろ苦い試練となった。 「2日制の挑戦手合は緊迫感がすごいし、くつろぐ暇はないし『別の世界』にいた感じ。第6、7局はくたびれ果てていた」 2ヶ月にわたる厳しい戦いをくぐって得た教訓は「闘志を持ちつつ勝負を意識し過ぎないこと」。ご利益は早速もたらされた。棋聖戦連敗以降は21勝3敗と絶好調だ。攻めの棋風から「平成の武闘派」の異名がある。自身も「攻め一本の乱戦指向」と認めつつ、「最近はしのぎ勝負も多い」と幅が出てたことを示唆する。 少年期から鉄道の時刻表に親しみ、長ずるにつれ鉄道オタクになった。神戸市に住み、名古屋以西のJR路線は九州まで8割は乗ったという。結婚が気になる年頃だ。「碁の対局と勉強が忙しいので、その気になれなくて。困ったもんです」 【「囲碁講座」2002年12月号(高見亮子)】 8歳の誕生日にお父さんから手ほどきを受けた。その後は放課後まっすぐに近所の碁会所へ通う毎日だったという。「学校の勉強より碁の方がはるかに好き」で1ヶ月に1級のペースで昇級し、小学4年の時に少年少女囲碁大会の兵庫県予選で優勝し、これを機に佐藤直男九段(関西棋院)に弟子入りした。 佐藤九段の元にはプロを目指す子どもたちが約20人集まっていて、環境は当時関西一。その中には2歳年下の坂井秀至五段もいた。「碁ももちろん打ちましたが、遊びたい盛りで、空き地で野球や缶蹴りをしたりと楽しかったです」。小学5年の9月に院生となり、翌年は入段。12歳でのプロ入りは、関西棋院では橋本昌二九段、東野弘昭九段についで33年ぶり3人目の快挙だった。聡少年は勝つのが当たり前で、入段を決めても感動はなかったという。 入段するなり第一線で活躍、1993年、21歳で新人王を獲得、同じ年本因坊リーグ入りを果している。しかし、25歳頃から迷いが生じてきた。それまでの「攻め」一辺倒から地をとってシノギに回る碁が増えてきた。2001年秋、囲碁イベントで4面打ちを朝から打ち続けヘロヘロに疲れてしまったが、他のプロ棋士やインストラクターは疲れている素振りも見せず打ち続ていた。「僕はレッスンプロとして失格。僕は対局を頑張るしかない」と実感。これを転機に復調。2002年は碁聖戦挑戦者に。また子供時代に一緒に研鑚に励み、交流の続いていた坂井秀至五段プロ入り。「碁だけやってきたというプライド」を刺激され、2003年2月は鶴聖位を獲得した。 |